タヤンムリアウ分県
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タヤンムリアウ分県(インドネシア語:Kabupaten Tayan Meliau)は、日本海軍の占領行政の時代に西カリマンタン(旧蘭領ボルネオ西部)地方に設置された県[1]。
1945年4月頃から管内でのダヤク人や現地住民による暴動が激しくなって駐在していた日本人の商社員や官吏の安全が危ぶまれるようになったといい、タヤンムリアウ分県監理官は、ダヤク人が県事務所を襲撃予定との現地住民からの情報を受けて、海軍特別攻撃部隊の派遣を要請[1]。同年7月1日に県事務所から1kmほどの地点に来ていたダヤク人数百人を、山本海軍少尉の率いる1個小隊が機関銃で銃撃する事件が起きた(ダイヤ族騒擾事件)[1]。
付録
脚注
参考文献
- 赤道会 (1975) ポンチアナク赤道会『赤道標』JPNO 73012073