スルタン・シンタン
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スルタン・シンタン(インドネシア語:Sultan Sintang)は、西カリマンタン・シンタン一帯を支配していたスルタン[1]。
1945年3月以前にポンティアナク事件で日本軍に殺害された[1]。同月頃、亡くなったスルタンの邸宅には、過去の王家の歴史に関するものや、石器・隕石などが陳列してあった[1]。
夫人はスルタン・サンバスの妹で、事件後はスルタン・サンバスの邸宅に寄寓していたようだった。若い頃から理知的で、革新的な考え方をもっていた人物だったといい、スルタン・シンタンと結婚するとき、(イスラム教では一夫多妻が認められていたが)スルタンが他の女性と結婚しないことを条件にしていた。またスルタン・サンバスに似て繊維品の試織などに熱心だった。[1]
付録
脚注
参考文献
- 赤道会 (1976) ポンチアナク赤道会『続赤道標』JPNO 73015036