春画
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春画(しゅんが)とは、江戸時代に流行した性風俗(特に異性間・同性間の性交場面)を描いた浮世絵の一種。笑い絵や枕絵、枕草紙、秘画、ワ印とも呼ばれる。また、それほど露骨な描写でない絵は危絵(あぶなえ)とも呼ばれた。
歴史
春画の始まりは中国の医学書とともに伝えられた房中術の解説図だと思われる。日本では平安時代初期から偃息図(えんそくず、おそくず)、またはおそくずの絵と呼ばれる性的題材を描いた絵画があったとされているが(『古今著聞集』など)、もともと「偃息図」という言葉自体が中国からきたものである。 それが庶民に、室町時代から江戸時代にかけて広がり、絵師たちによって描かれるようになった。一種のお守りとして使われるようになったり、特に枕絵の絵巻は花嫁の性教育のテキストとして使われた。ただ、この時代は肉筆のため一部の上流階級のためのものであった。
桃山時代、明から春宮秘戯図が伝来し出版された。それに影響され日本でさかんに春画が描かれるようになった。 初期の絵師としては菱川師宣が代表的であり、彼の作品の大半が春画である。 また、井原西鶴の浮世草子、好色一代男が大流行し、好色物と呼ばれるジャンルが流行る。それにより、春画の需要が増える。
しかし享保7年(1722年)享保の改革により好色本が禁止される。それでも需要があるためこれより非公開で販売されることとなる。そして、錦絵の開発により、多色刷りの春画が寛政のころから本格的に登場しだした。
江戸幕府の規定を守る必要がない春画は、通常では出版できない極彩色の作品が作られた。そのため、浮世絵の最高の技術が使われているものは春画とも言われている。有名な絵師のほとんどがこれを手がけ、狩野派・土佐派の絵師達までもが描いた。
ただ、幕府による取締りの対策として、作者、絵師、版元を分からないよう画中に隠号という形で記した。
明治に入り、次第に写真に取って代わられるようになった。現代においては、芸術作品として社会的に高く評価されており、猥褻出版物としての扱いは受けていない。
幕末におきたジャポニズムによって、西洋では浮世絵がもてはやされたが、春画は画題が猥褻であるとの理由から嫌われ、輸出には供されなかった。しかし、次第に外国人好みの美人画が不足していったことから、明治末期から大正にかけて局部を書き換えた春画や、複数の春画を切り張りして一枚の美人画に仕立て上げたものを輸出するようになっていった。こうして作られた美人画は現在も多数流通しており、真贋をめぐって裁判沙汰になったケースもある。
絵師と代表作
- 菱川師宣:『小むらさき』
- 勝川春章:『絵本色好之人式』
- 鳥居清長:『色道十二番』
- 喜多川歌麿:『歌まくら』
- 歌川豊国:『逢世雁之声』
- 葛飾北斎:『萬福和合神』
- 渓斎英泉:『夢多満佳話』
- 歌川国芳:『華古与見』
古くは、伝・鳥羽僧正とされる『陽物くらべ』などがある。
参考サイト
- The Tradition of Japanese Shunga Prints
- Androphile Homoerotic Shunga Exhibition
- Japanese Lovers in Art
- Erotica: Japanese Shunga and Other Works