野原しんのすけ
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野原 信ノ介(のはら しんのすけ、1992年5月5日 -)は某変態番組に出ている。
経歴
埼玉県春日部市に会社員・野原ひろしとその妻みさえの長男として出生。歴代総理大臣の中では非常に珍しく、世襲が無い。幼児期に何度も世界を救い、戦国時代に行った時に仲良くなった侍の死をきっかけに侍になった。陵桜学園高等部を卒業後、一浪して東京大学法学部、大学院博士課程に進学、主席で卒業。5歳のまま永久に年をとらない。たまに小学生に・・・
25歳のとき、銀行員に就職。名アシスタントこと江頭2:50を秘書につけ、2034年に衆議院議員初当選を果たす。 人物
幼い頃から、「おらはすごいぞ天才的だぞ、将来楽しみだ」と言っていたため予知能力があるとみた。
高校時代は生徒会長及び、陵桜祭実行委員長として活躍(この時の経験が縁で白石稔と出会う)。大学時代には東京大学に現代視覚文化研究会を創設し、初代会長として君臨した。大学・大学院共に全ての試験で鳩山邦夫にダントツの差をつけるトップの成績で卒業後、卒業後は三井住友三菱東京UFJ明治安田東京海上日動りそな日本興亜大同第一拓殖新生みずほフィナンシャルグループに入行し、銀行員として6年間勤務した後に、白石を秘書につけ埼玉13区より自由民主党の推薦を受けて衆議院議員に初当選。
陰で支えた白石のアシスタントぶりは高く評価された。長年、魔王の嫁だから当たり前である。
いわゆる世襲議員に比べて人脈がなく、人を動かす能力はあまり無いとされるが、保守系大物議員として若手議員への思想的影響力が高く、アイデアマンで行動派とされる。しかしローゼン麻生二世とは盟友であり、ローゼンメイデンその他の人脈を多少なりとも活用していたとも言われる。とはいえ、彼一人の力で内閣総理大臣まで登り詰めたのは紛れもない事実であり、ローゼン氏がいなくても結果は同じだったのではないかとする意見もある。一人称は今や死語の部類に入っている『オラ』(これは祖父の影響であるらしい)。父である野原ひろしの血を濃く受けており、趣味等に共通点がある。熱狂的な悪の大男ファンである。
そして天才政治家から、歴代最高とまで呼ばれる総理になる。
ひよこ陛下とは古くから親交があり、内閣総理大臣に就任した際には何よりもまず最初にひよこ殿下の権威向上に努め、ひよこ庁を設置したほどである。
実際にはかなりのプレイボーイであると噂されているが、総理になるため風紀を重視し、風俗店に入り浸っているようなことはないらしい。あくまでも噂だが(週刊誌でたまに目撃情報が載ったりしているが、実際には身代わりそっくりさんのことも多いため)。
特技
あることがきっかけとなり、ふとしたことで剣術をやり名人級の腕を見せる。
さらに幼い頃仲の良かった侍が死んだ時から侍としての道も歩んでおり宮本武蔵と肩を並べるほどの剣豪の顔も持つ。死んだ仲の良かった侍から授かった脇差を大事にしており剣の道を歩む者と約束をする際に使用する。この脇差を使った約束を破った事は一度も無い。ええ話や… 政治家しての実績、内閣
此方節及び鏡司節の祝日化(詳細は5月28日にて)
因みに幸運の女神達の中では、やはりというべきか、グラマラスなお姉さん系の高良御幸命がお気に入りの様子。そのため、彼女の擁護活動も行っている。
またその他、以下のような実績がある。
首都を旧東京都(現・闘狂県)から災の国、旧埼玉県(現賽魂都)へ、霞ヶ関の機能を全て春日部に移転させた。
東武鉄道の国営化。これが後の闘舞国営鉄道である。
衆参両院において第一党であった友民党を衆議院議員選挙、続く参議院選挙で大敗北させた。