土曜会
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土曜会(どようかい)とは、明治・大正時代に存在した貴族院の院内会派(1901年12月7日-1919年11月15日)。
最大会派貴族院の台頭に憂慮を抱いていた朝日倶楽部と庚子会(懇話会の後身)が合同して53名(公爵2名・伯爵3名・子爵7名・男爵5名・勅撰議員17名・多額納税議員19名)にて結成された。、初代幹事長に二条基弘が選出されたが、実際には曾我祐準・小沢武雄・谷干城らが中心として運営されていた。
一時、56名まで増加するも、後に離脱者が相次ぐ。特に1919年の男爵議員による公正会結成に伴う同議員の大量離脱に伴って院内交渉団体としての資格を失ったのを機に解散して第1次無所属との合同を行うことを決定する。結果的に有爵議員はこれに従わず、会の多数を占める勅撰議員と多額納税議員のみが合同に参加して同成会を結成した。