神の国解散

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神の国解散(かみのくにかいさん)は2000年6月2日衆議院解散の通称[1]

概説[編集]

脳梗塞により緊急入院した小渕恵三の後を受け、2000年4月5日森喜朗自民党総裁・第85代内閣総理大臣に就任する。しかし、就任直後から、いわゆる五人組による森の選出手続きに問題があったとして、自民党の内外から「密室政治」との批判を受けた。

首相就任後、森の不適切な発言や行動がたびたび指摘されたが、5月15日神道政治連盟国会議員懇談会で、いわゆる「神の国発言」を行うと、野党をはじめとして「政教分離の原則に反する」との批判が高まり、森内閣の内閣支持率が大きく低下した。

6月2日野党から衆議院内閣不信任決議案が提出されたが、森内閣は同日、衆議院解散を決定。本会議で不信任案が議題となった直後に解散詔書が朗読され、不信任案への投票を行う前に解散した。

なお参議院議員であった馳浩塩崎恭久平田耕一が衆議院鞍替えを表明して2000年5月11日に議員辞職をしていて参議院補欠選挙が2000年6月25日に行われることが決定しており、参議院補欠選挙と同日に総選挙が実施されると見込まれていたため、解散日と総選挙の投票日の日程は多くの人から予測されていた。

呼称[編集]

解散の呼称は「日本新生解散」(森喜朗)、解散された年が2000年であったことから「ミレニアム解散」、「神隠し解散」「森隠し解散」(民主党鳩山由紀夫)、「逃げまくり解散」(社会民主党)などの呼称も提唱されたが、「神の国解散」の名称が広く使用された。

経緯[編集]

  • 4月2日 小渕恵三が緊急入院。
  • 4月3日 青木幹雄官房長官首相臨時代理となり、首相の入院理由を脳梗塞であると発表。
  • 4月4日 小渕内閣総辞職
  • 4月5日 衆参両院本会議で森喜朗が首班指名を受ける。同日夜に組閣が行われ、森を第85代首相として、第1次森内閣が発足。
  • 5月14日 小渕が死去。
  • 5月15日 森が神道政治連盟国会議員懇談会に出席、いわゆる「神の国発言」。
  • 5月26日 森が神の国発言に対する釈明会見を行う。その際に首相官邸記者クラブ記者が記者会見にあたっての「指南書」を作成、森の側近に渡していたことが発覚し、問題となる。
  • 6月2日 衆議院に「森内閣不信任決議案」が提出される。本会議で議長が同決議案を議題とすると宣告した直後、解散詔書を朗読、衆議院が解散。
  • 6月13日 衆議院総選挙公示。
  • 6月20日 森が選挙演説で「無党派層は寝ていてくれればいい」と発言し、問題視される。
  • 6月25日 第42回衆議院議員総選挙。

脚注[編集]

  1. 朝日新聞 2009年08月30日 朝刊 長野東北信・1地方 「(09総選挙)政権の行方、一票に 小選挙区、候補者ひと言 きょう投開票 /長野県 」

関連項目[編集]

外部リンク[編集]