森奥戦争
森奥戦争(しんおうせんそう)は、石川県選出の衆議院議員である森喜朗グループと奥田敬和グループによる政治抗争の総称。
概要[編集]
派閥対立[編集]
二人とも1969年の第32回衆議院議員総選挙で、旧石川県第1区(中選挙区制)から初当選。森は福田派(清和会)、奥田は田中派(木曜クラブ、のちに経世会結成に参加)に所属し、福田赳夫・田中角栄による角福戦争の代理という背景もあった。
1991年(平成3年)2月の石川県知事選において、8期目を目指す中西陽一に対して、森は副知事の杉山栄太郎を擁立した。奥田は中西支援に回るが、自民党の公認は杉山となった。奥田は金沢市を中心に支持を固めて、中西の8選に尽力する。
自民分裂[編集]
1993年、奥田は自民党を離党し、新生党の結成に参加する。系列の県議・市議もそろって離党したため、自民党金沢支部は壊滅的状態に陥る。第40回総選挙では、奥田がトップ当選を飾る。
1994年、長年県政のトップであった中西陽一知事が死去。後継知事選で、奥田は副知事の谷本正憲を擁立。自民党幹事長であった森は、参院議員の石川弘を候補として擁立するも、連立与党の前に敗北した。
新・森奥戦争[編集]
1994年、公職選挙法の改正により、衆議院議員選挙に小選挙区制が導入された。金沢を地盤とする奥田は石川1区が、加賀地方を地盤とする森は石川2区が、それぞれ選挙区となったため、森奥の直接対決に終止符を打った。
1995年、第17回参議院議員通常選挙で、結党間もない新進党の大幹部の奥田は、一人区の石川県選挙区で、民改連現職の粟森喬を支援。しかし、森が擁立した新人候補の馳浩に敗北。
1996年、第41回衆議院議員総選挙で、奥田は、森の立候補する石川県第2区に、新進党公認候補として県議の一川保夫を支援。一方、森は、奥田の立候補する石川1区で、自民党公認候補の擁立を断念したことから、当時自民党と連立を組んでいた日本社会党石川県本部長、社民党石川県連合代表を経たことのある、旧民主党公認の桑原豊を支援した。小選挙区では、森・奥田はそれぞれ当選し、、一川・桑原は比例復活で衆院初当選した。
1998年、第18回参議院議員通常選挙で、奥田は県副知事の岩本荘太を擁立。岩本は現職の参議院議員沓掛哲男(自民党)を破るが、奥田が参議院選挙4日後に死去。奥田の後継を選ぶ衆議院石川県第1区の補欠選挙で、長男の奥田建が出馬し、自民公認の岡部雅夫を下す。
2000年、第42回衆議院議員総選挙で、自民党の馳は参院議員を辞職して、衆議院に鞍替えし、奥田建に挑戦して小選挙区で勝利する。しかし、敗れた奥田建も比例で復活当選。同日に行われた参院補選では、沓掛が当選し、国政に復帰する。
一覧[編集]
選挙区 | 森 | 奥田 | |
---|---|---|---|
第12回知事選 | ‐ | ×(杉山) | ○(中西) |
第40回総選挙 | 旧石川1区 | △(2位・森) | ○(1位・奥田) |
第13回知事選 | ‐ | ×(石川) | ○(谷本) |
第17回参院選 | ‐ | ○(馳) | ×(粟森) |
第41回総選挙 | 石川1区 石川2区 |
△(比例・桑原) ○(森) |
○(奥田) △(比例・一川) |
第18回参院選 | ‐ | ×(沓掛) | ○(岩本) |
衆院補欠 | 石川1区 | ×(岡部) | ○(奥田建) |
第42回総選挙 | 石川1区 石川2区 |
○(馳) ○(森) |
△(比例・奥田建) △(比例・一川) |
第19回参院選 | ‐ | ○(沓掛) | ×(森岡) |
第43回総選挙 | 石川1区 石川2区 |
△(比例・馳) ○(森) |
○(奥田建) △(比例・一川) |
第20回参院選 | ‐ | ○(岡田) | ×(加藤) |
第44回総選挙 | 石川1区 石川2区 |
○(馳) ○(森) |
×(奥田建) ×(一川) |
第21回参院選 | ‐ | ×(矢田) | ○(一川) |
第45回総選挙 | 石川1区 石川2区 |
△(比例・馳) ○(森) |
○(奥田建) △(比例・田中) |