尼崎児童暴行事件

提供: Yourpedia
2009年10月12日 (月) 03:15時点におけるFromm (トーク | 投稿記録)による版 (新しいページ: ''''尼崎児童暴行事件'''(あまがさきじどうぼうこうじけん)とは、2006年11月に発生した兵庫県尼崎市の小学4年生の男子...')

(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内検索

尼崎児童暴行事件(あまがさきじどうぼうこうじけん)とは、2006年11月に発生した兵庫県尼崎市の小学4年生の男子児童が主犯格となり、同級生の女子児童に対し、性的いじめを加えた事件である。

概要

小学4年生の男子児童が親が所有しているアダルトビデオを見た影響(男児が主張)により、2006年11月半ばに同級生の女子児童を呼び出し性的暴行を加えた。この際には複数の男児がその場に居合わせていた。事件を報じた週刊新潮の記事によれば、下半身を触る、舐める、指を入れる、などはしたものの、性交自体は無かった。この行為の後、親に言うなと加害者は被害者に口止めを行った。その後男児は足を蹴る、石を投げるなどの行為を行った。

12月8日に、女児が被害の内容を話していた友人の家族が事件を知り学校に通報、12月11日に、関係者が呼び出された。この時点で女児の母親が初めて娘が性的暴行を訴えていると知る。だが、男児は教師の聴取に対し行っていないと否定。だがその夜、男児の父親から「息子が認めた」という電話がかかった。夕刊フジは学校側は12月11日に尼崎市教育委員会(以下市教委)に報告したと報道したが、週刊新潮の報道では、12月12日の母親の学校への問い合わせによれば、学校は市教委へ連絡していなかったという。

事件後の経緯

加害児の父親は「あなたの子どもが同じような目にあったらどうしますか?」という学校側の問いに対し「殺す」と答えた。被害女児の母親は転校を希望していたが、母子家庭であり資金面の問題で転校が出来ないため、加害児童の親と学校側で転校にかかる費用を負担することで一時期合意がまとまりかけた。加害者と被害者の両母親も面会し和解は成立したと思われた。

しかし、母親同士の面会翌日、加害男児の父親が「(被害女児の母親が)妻を脅迫してきた」と主張し、事態が一変した。さらに男児の父親は「うちの息子に子供に手を出したらただでは済まんぞ」と女児の母親を恫喝。これを重く見た学校側により、転校の話は破談した。現在も女児と男児は同じ学校に通うことを余儀なくされている。また、尼崎市教育委員会は女児が被害者であるにもかかわらず「娘に問題がある」と話した。

尼崎市教育委員会学校教育課は、男児の保護者が女児の保護者に謝る場を設けたり、カウンセラーを付けたりなどしていると主張したが、女児の母親はカウンセラーも付けてくれず何もしてくれないと述べた。週刊新潮はこれらを「見事なまでの隠蔽体質と事なかれ主義」と表現した。教育評論家尾木直樹は現実にはこういった事で学校を替えたり引っ越したりしたら、際限がなくなってしまう(数からすれば紛れも無い事実である)とは述べたが、同時に学校や市教委の対応については「言語道断」と述べている。

さらに、週刊実話5月3日号によれば、加害男児ら複数の児童は事件後も相変わらず被害女児への集団性的暴行を繰り返した模様である。

報道など

こういった事件に毎度の如く見られる報道統制(実際には小学生による性的暴行事件は大量に起こっており、2005年の犯罪データでは13歳以下の強姦犯は11人で強制猥褻犯は116人であった)により、この事件も騒がれずに終わるものと思われた。しかし、この事件を知った週刊新潮や夕刊フジが翌2007年3月から4月にかけ記事にする。この事件では事件後の周囲の対応に問題があり、被害者側が一方的に泣き寝入りせざるを得ない様子が報道された。

丁度『ムーブ!』の報道で居合わせていた橋下徹弁護士(当時)はこの事件に対し「同意があったかどうかを確かめるべき」という発言をした。

ネット上で、この事件をInfoseekの検索キーワードランキングに掲載する事で事件の認知度を上げようとする動きがおこったが、Infoseekは2007年4月24日~4月30日集計の5月3日掲載分を休載としたため、キーワードランキングには掲載されなかった。

出典

  • 週刊新潮4月19日号(朝日放送「ムーブ!」でも放送)
  • インターネットニュースサイトZAKZAK 3月27日配信「AVと同じことしたかった…小4男児が同級生を暴行」[1]

関連項目

脚注