平家盛
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平 家盛(たいら の いえもり、保安元年(1120年)? - 久安5年(1149年))は、平安時代末期の武将。平忠盛の次男。母は藤原宗兼の娘・池禅尼。平清盛の異母弟。同母弟に平頼盛がいる。
久安3年(1147年)に従五位下・常陸介、久安4年(1148年)には従四位下・右馬頭に就任。兄・清盛の地位を脅かすほどの存在だったが、保安元年(1149年)に鳥羽法皇に御供して熊野に赴く途中で病没。
平治の乱の際、源頼朝の容姿がこの家盛に似ていたために、池禅尼は頼朝の助命嘆願をしたのだと、『平治物語』に記されている。
なお、長崎県の五島列島宇久島には清盛の弟の平家盛という名の人物が壇ノ浦の戦いの後、落ち武者狩りを逃れて移り住み、宇久次郎家盛と名乗って宇久氏(五島氏)の祖となったという伝承が残っている。