ソロモン
ソロモン(Solomon, 1902年8月9日 - 1988年2月2日)[1]は、イギリスのピアノ奏者。[2]
ロンドンのイーストエンドにソロモン・カットナー(Solomon Cutner)として生まれる。5歳の頃から地元の音楽教師の下で音楽を学び始める。7歳の時にピョートル・チャイコフスキーの大序曲《1812年》を自身でピアノ用に編曲して演奏して周囲の大人を驚かせ、マチルデ・ヴェルネの門下となった。8歳でロンドンで初リサイタルを開き、9歳の時にはヘンリー・ウッドの指揮するクィーンズ・ホール管弦楽団の演奏会でルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番とフランツ・リストのハンガリー幻想曲を演奏している。少年時代のコンサート出演で「神童ソロモン」と呼ばれた為、本名からカットナー姓を削り、「ソロモン」を芸名とした。ただ、師のヴェルネは自らの音楽学校の宣伝にソロモンを酷使したため、1915年にヴェルネの元を離れたソロモンはヴェルネと縁を切っている。その後もしばらく演奏活動を続けたが、精神的に摩耗していたため、共演を重ねていたウッドの助言で1919年から一時的に演奏活動から遠ざかり、サイモン・ラムシンスキーの許でピアノを学び直した。ラムシンスキーはソロモンにパリへの留学を勧め、パリでマルセル・デュプレに和声法と対位法、ラザール・レヴィにピアノを師事。1921年にパリでリサイタルを開いた後、帰国して演奏活動を本格的に再開させ、世界各地でコンサートを開いてピアノ奏者としての名声を確立。1939年のニューヨーク万国博覧会ではアーサー・ブリスのピアノ協奏曲を初演している。1946年には大英帝国勲章のコマンダー章を受勲。1950年代半ばから次第に脳卒中の症状が現れるようになり、1956年にフランスでの休暇中に脳卒中の重篤な発作に見舞われて右半身の麻痺したことで、演奏活動から引退している。結果として、1951年頃から行っていたベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集の録音プロジェクトは頓挫することとなった。
ロンドンにて死去。