イヴォンヌ・ルフェビュール
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イヴォンヌ・ルフェビュール(Yvonne Lefébure, 1898年6月29日 - 1986年1月23日)[1]は、フランスのピアノ奏者。[2]
エルモン出身。4歳の頃からピアノに親しむ。8歳半の時にマルグリット・ロンに才能を認められ、そのままパリ音楽院に入学し、1年間ロンの準備クラスに在籍。その後、アルフレッド・コルトーのクラスに入り、1912年にルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第23番を弾いてプルミエ・プリを取得。このプルミエ・プリを取得後、すぐにカミーユ・シュヴィヤールの指揮するコンセール・ラムルーのコンサートでカミーユ・サン=サーンスのピアノ協奏曲第2番を演奏してデビューを果たしたが、ピアノの天才少女として売り出されることを危惧した母親の言いつけにより、パリ音楽院の勉学を続け、モーリス・エマニュエルに和声と音楽史、ジョルジュ・コサードに対位法、シャルル=マリー・ヴィドールにフーガ、ポール・デュカスに作曲をそれぞれ学んだ。1919年から1939年までコルトーの開設したエコール・ノルマル音楽院に、コルトーの助手として参加しつつ、個人的にコルトーのレッスンを受けていた。1933年にはイギリスのヴィグモア・ホールでリサイタルを開いて好評を博している。1947年には音楽学者で指揮者のフレッド・ゴルドベックと結婚している。1950年からはパブロ・カザルスに招かれてプラドやペルピニャンの音楽祭に参加している。1952年から1967年まで母校のパリ音楽院のピアノ科教授を務めた。1964年からサン・ジェルマン・アン・レー七月音楽祭を主宰し、自らマスター・クラスを開いて後進の指導に当たった。
パリにて死去。