彦火々出見尊絵巻
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彦火々出見尊絵巻(ひこほほでみのみことえまき,)は原本が失われた国宝級の絵巻である。原本に忠実な写本を福井県の明通寺が所蔵している。
概要
平安時代後半である12世紀末に、後白河法皇の命令により、宮廷絵師・常磐源二光長が制作したと考えられている。「海幸山幸神話」を題材としており、竜宮と日本の間を往復する話である。制作時期は、1170 年代後半と考えられるが、注文主である後白河院は、このころ、毎年のように四天王寺に参詣していた。 蓮華王院宝蔵に収蔵されていたが、中世に若狭国遠敷郡の松永庄にあった「新八幡宮」という神社に「伴大納言絵詞」「吉備大臣入唐絵巻」、「彦火々出見尊絵巻」の3点の絵巻が移された[1]。 彦火々出見尊絵巻はその後、江戸時代に小浜城主となった酒井忠勝から三代将軍徳川家光に献上され、江戸城に移されたが、その後は江戸城の火災により失われた。献上時に忠勝は狩野種泰に命じてこれを模写して6巻本として、詞書は足立勝興に楷書させた。模写ではあるが、その原本が失われているため、日本美術史上に重要な意味をもつものといわれる。
絵巻
絵巻は狩野派の極彩色と重厚さがあり、色彩構成は濃厚で華麗である。全巻とも、縦32.4㎝×総長5076.1㎝、56紙であり、表紙は紺地に菱と菊を交互に織り出した緞子で、見返しは、金箔を一面に貼りつけた布目折菊唐草文様、本誌は鳥ノ子紙に近い間似合紙である。現在、模写された絵巻を明通寺が所蔵している。
注
- ↑ 小峯和明(2018)「遣唐使と外交神和」集英社