マルセル・メイエ
マルセル・メイエ(Marcelle Meyer, 1897年5月22日 - 1958年11月17日[1])は、フランスのピアノ奏者。[2]
リールの出身。5歳の頃から姉ジェルメーヌにピアノを教わる。1911年にパリ音楽院に入学してアルフレッド・コルトーとマルグリット・ロンにピアノを師事し、1913年にプルミエ・プリを得て卒業した。その後、リカルド・ビニェスにモーリス・ラヴェルの音楽、ホセ・イトゥルビにスペイン音楽の薫陶を受けた。1917年に俳優のピエール・ベルタンと結婚したことでエリック・サティの知己を得た。1918年にはリラ・エ・パレット・コンセールに参加し、フランシス・プーランクの四手ピアノのためのソナタを作曲者とともに連弾してデビューを飾った。1920年にはラヴェルの2台ピアノ版《ラ・ヴァルス》の試演に作曲者らの立ち合いの下で参加している。1921年にはイーゴリ・ストラヴィンスキーに依頼されてピエール・モントゥーの指揮で《ペトルーシュカ》の上演に参加してストラヴィンスキーの知己を得た。1923年にはストラヴィンスキーのバレエ・カンタータ《結婚》の初演にも参加し、ソルボンヌのアルクイユ楽派のコンサートでアンリ・ソーゲのピアノ曲を初演した。1930年にはザルツブルク音楽祭に初参加。1937年にはベルタンと離婚し、イタリア人弁護士のカルロ・ディ・ヴィエトと再婚。1939年にはアレクシ・ロラン=マニュエルのコンチェルティーノの初演で独奏を務めた。1941年からパリ音楽院のコンサートに出演するようになった。1948年からローマを本拠に演奏活動を展開し、ルイジ・ダッラピッコラ、ゴッフレド・ペトラッシ、アントニオ・ヴェレッティやヴィットリオ・リエティ等、同時代のイタリアの作曲家の作品を積極的に擁護した。
パリの姉のアパートを訪問してピアノを演奏中に心臓発作を起こして急逝。