飯塚幸三
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飯塚 幸三(いいづか こうぞう、1931年 - )、飯塚 一陽(いいづか いちよう?)
略歴
推定1931年(昭和6年)生まれ[1]。
東京大学卒。1953年(昭和28)、通産省に入省。工業技術院計量研究所第一部長を経て、1983年(昭和58)4月から同研究所長、1986年(昭和61)6月から工業技術院長。[2]
1989年6月27日付で同院長を辞職[3]。クボタ専務取締役。1992年9月、国際度量衡局(本部・フランス)の質量関連量諮問委員会の委員長に就任が内定。[4]
2012年4月1日、一般社団法人への移行当時、日本淘道会の理事長[5]。飯塚一陽と号し[6]、淘道会館などで淘席を開催する「吉川会」の会長をしていたとみられる[7]。
2015年、84歳のとき、秋の叙勲で、元工業技術院長として瑞宝重光章の叙勲を受けた[8]。
2017年3月17日当時も日本淘道会理事長在任[7]。2019年4月の池袋暴走事故の後、同年度中に退任したとみられる[9]。
付録
脚注
- ↑ 『朝日新聞』1986年6月5日 朝刊2総 2頁の記事「通産省人事内定 事務次官に福川伸次氏」に同年55歳とある。
- ↑ 「通産省人事内定 事務次官に福川伸次氏」『朝日新聞』1986年6月5日 朝刊2総 2頁
- ↑ 「通産省人事(27日、7月1日付)」『朝日新聞』1986年6月23日 朝刊2総 2頁
- ↑ 「国際度量衡局の委員長に飯塚幸三氏」『朝日新聞』1992年9月22日 朝刊3総 3頁
- ↑ 『一般社団法人 日本淘道会 定款』 2019年4月24日時点のアーカイブ 2012年4月1日改正版、p.10
- ↑ 日本淘宮会トップ > トピックス > 関西地域部会 第259回紅葉狩り淘席・淘宮説明会 東西合同研修会(紅葉狩り淘席) 2014年6月22日時点のアーカイブ 2013年11月23日-24日の「東西合同研修会(紅葉狩り淘席)」の「講演会・淘話」の次第に「講話 本部理事長 飯塚一陽先生」とある。
- ↑ 7.0 7.1 日本淘道会 2017
- ↑ 「秋の叙勲 4053人受章」『朝日新聞』2015年11月3日 朝刊 東特集J 24頁
- ↑ 日本淘道会『令和元年度 事業報告書』に、理事会の「主な議案及び可決事項」として「旧代表理事交代(退任と選任)」とある。
参考文献
- 日本淘道会 (2017) 日本淘道会トップ > 当会概要 2017年3月17日時点のアーカイブ 2021年11月11日閲覧