小樽高商軍事教育事件
提供: Yourpedia
小樽高商軍事教育事件(おたるこうしょうぐんじきょういくじけん)は、1925年10月15日に、小樽高商での軍事演習の際に、「札幌と小樽で大地震がおこった機会に、無政府主義者団が「不逞鮮人」を煽動して何かを画策し、在郷軍人団と激戦としているので、生徒隊は軍人団と協力して敵を殲滅する」という想定で訓練が行われた事件[1]。
学連参加の研究会や全国の大学内の各団体が軍部と文部当局に対する抗議運動を展開した[2]。
東京大学では同年11月21日に法学部30番教室で弁論部主催の軍事教育批判演説会が開かれ、軍事教育を学園の軍国主義化として批判する新人会と、軍国主義化を支持する七生会との立会演説が行われた[2]。
新人会からは宝積一、田中正文、小倉司郎、是枝恭二が登壇した[2]。
付録
脚注
参考文献
- 石堂 (1986) 石堂清倫『わが異端の昭和史』勁草書房、ISBN 4326151749