日本社会主義同盟
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日本社会主義同盟(にほんしゃかいしゅぎどうめい)とは、1920年(大正9年)9月に結成された、日本における社会主義者の統一組織[1]。翌年5月に解散[1]。
沿革[編集]
日本では1907年の日本社会党の結党禁止以後、1910年の大逆事件を経て、社会主義運動がほぼ壊滅した「冬の時代」を迎えていた。
しかし第一次世界大戦(1914年-1918年)、ロシア革命の勃発(1917年)などで政府の社会主義取り締まりが緩和すると、日本の社会主義者は大同団結を目的として結集し、運動の再建をめざすことになった。
そこで1920年8月ないし9月[1]に、山川均を中心にして、友愛会・信友会などの各種労働組合や学生団体、社会運動家らの思想団体を網羅した統一組織として「日本社会主義同盟」が結成され、12月の創立大会には申込者が1000人を超えた。
しかし、政府の激しい弾圧を受けて、被検挙者が増え、1921年(大正10年)5月[1]、第2回大会開会の後に結社禁止の処分をうけて解散した。
機関誌[編集]
『社会主義』(のち『新社会評論』を改題)を機関誌とした。
影響[編集]
この同盟は単一の政治党派を結成するには至らず、同盟内左派の堺利彦は、1922年に日本共産党(第一次共産党)を結成。合法性の維持を目指す非共産系も単一の政党結成には至らず、1925年に右派の社会民衆党と、中間派の労働農民党に分かれた。
評価[編集]
活動期間は短く、また有力な活動もなかったが、社会主義者が大同団結したことに意義が与えられている。
付録[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 石堂 (1986) 石堂清倫『わが異端の昭和史』勁草書房、ISBN 4326151749