白道塾
提供: Yourpedia
白道塾(びゃくどうじゅく)は、1921年頃、小学校の教員2人を中心にして金沢市の犀川の高台・桜木八ノ小路に設置され、ペスタロッチの思想の普及・啓蒙活動を行ったグループ[1]。
大聖寺学生会出身で広島高師の専攻科で福島政雄の教えを受けた柳川重行と、河上寅太が主宰者だった[1]。創設当時、柳川は淋病で病臥していた[2]。
1922年からペスタロッチ思想の普及を中心としたタブロイド版の雑誌『混沌』を発行し、北陸や全国の教員に読者を得た[3]。
参加者の蔵書を集めて哲学書や文学書の図書室を設けた[3]。
柳川の叔母が炊事を引受けていた[4]。
柳川は同僚の女性教師と恋仲になったが、実父の高田重松が結婚を認めず、白道塾に出入りしていた石堂清倫が高田を説得しに行き、暗に承諾を得た[4]。
藤原鉄乗がよく訪問してきて、一切の権威や偶像破壊のようなラディカルな主張をしていた[5]。また浄土真宗の改革派に属していた高光大船も出入りしていた[6]。
柳川の結婚を機に解散した[7]。
付録
脚注
参考文献
- 石堂 (1986) 石堂清倫『わが異端の昭和史』勁草書房、ISBN 4326151749