スルタン・ポンティアナク
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スルタン・ポンティアナク(インドネシア語:Sultan Pontianak)は、西カリマンタンのポンティアナク市周辺を領地としたスルタン[1]。
日本による占領期間中に、ポンティアナクのスルタンは、ポンティアナク事件で日本軍により殺害された[1]。
1945年5月に、一族に成年に達した男子が出たため、ポンチアナク州知事庁にスルタン就任を要請[2]。同年9月2日に即位式が行われ、州知事代理の三ツ井卯三男が司祭役を務めた[2]。
1945年末頃、クチンのリンタン収容所から戦犯容疑者としてポンティアナクに連れ戻された平塚道雄・元ポンチアナク市長と海軍の警備隊長、特警隊長の3人は、ポンチアナク刑務所に入所して間もなく、ポンティアナクのスルタンの宮殿へ連行され、新しいスルタンに、階段の下に平伏(して謝罪を)させられた[3]。
付録
脚注
参考文献
- 赤道会 (1975) ポンチアナク赤道会『赤道標』JPNO 73012073