日南木造造船

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日南木造造船(にちなんもくぞうぞうせん)、日南造船は、太平洋戦争中、大和紡元社長の加藤主計の後援を受け、日本占領下の西ボルネオで、木材を取扱い、木造船の製造を行った国策会社。1943年1月に日本から社員20数人が赴任して工場を建設、同年5月から木材を採取し、同年7月から木造船を起工、1945年4月までに10隻を引き渡した。1945年5月初旬に連合軍の空襲により壊滅的な損害を蒙った。

事業開始

太平洋戦争の開始を受けて、国策に貢献するため、大和紡元社長の加藤主計の後援を受けて、日本占領下の西ボルネオで、木材を取扱い、木造船の製造を行うことになり、設立された[1]

1942年12月初に社員20数名が浅間丸に乗船して日本を離れ、故障のため長崎竜田丸に乗換え、マニラを経由して同月30日にバリクパパンに上陸、翌1943年1月、バンジャルマシンを経て22日にポンチアナク市に到着した[1]

到着後、ランダック河畔のシヤンタン(Siantan)で工場建設に着手し、同年5月から造船木を取りに入り、同年7月に3隻を起工した[1]

工場規模

敷地・建物

出典:赤道会 1975 52

  • 工場敷地 325,000m2
  • 造船用建物等 約35棟・20,000m2
  • 製材工場等 約10棟・5,000m2

1945年4月時点の建造船

出典:赤道会 1975 52

  • 引渡済 10隻
  • 艤装中 6隻
  • 150トン型の未浸水船 10隻
  • 起工準備中 5隻
  • 20トン型の曳舟 6
  • 快速艇 1
  • 船板 45隻分

木材の伐採流送高

出典:赤道会 1975 52。合計と内訳が合わないが、原文どおり。

  • 合計 69,450m3
  • 供製材 24,450
  • 加奈木 03,050
  • 浮腐材 13,100
  • 残存物 28,700

社員

渡航者は7次にわたって赴任し、総員75人だった[1]

空襲による被災

1945年5月初旬に連合軍の空襲により、工場は壊滅的な損害を蒙った[1]

終戦後

終戦後、会社の残余財は華人に委託する形式をとった[1]

関連会社

付録

脚注

参考文献

  • 赤道会 (1975) ポンチアナク赤道会『赤道標』JPNO 73012073