パリ
rxy=森谷辰也=LTA:ASPE、 LTA:DCHANCE、LTA:SASHOという動かせない事実。[[Image:Paris arc.jpg|thumb|凱旋門から眺めたパリ(右側に見える塔がエッフェル塔)|center|750px]] '''パリ'''('''Paris'''、'''巴里'''、英語では「パリス」と発音)は、[[フランス]]の[[首都]]であり、[[イル=ド=フランス地域圏]]の[[州都|首府]]である。[[ロンドン]]、[[ニューヨーク]]、[[東京]]と並びトップ水準の[[世界都市]]である。 == 概要 == [[画像:Paris-Landsat001.jpg|thumb|left|300px|{{ランドサット}}]] パリ盆地のほぼ中央に位置し、市内を[[セーヌ川]]が貫く。市役所はセーヌ川右岸の北緯48度52分00秒、東経2度19分59秒に位置する。行政上では、一[[コミューン|市]]単独で[[県]]を構成する[[首都#特別市|特別市]]であり、中心部から順に20個の[[パリの行政区|行政区]]に分割される。市域は西部の[[ブローニュの森]]と東部の[[ヴァンセンヌの森]]を併せて105.40平方キロメートルと、世界の大都市の中でも狭い部類に入る。更に旧城壁部分(純粋な市街地)の面積となると86.99平方キロメートルしかない。そのため市街地エリアに限定した人口密度は2万5000人近くに達する。ヨーロッパ随一の過密都市である。市域人口は1950年代の約290万人をピークに長くドーナツ化現象によって減少し続けたが、ここ数年は減少が下げ止まり微増傾向に転じている。特に、再開発が進む南部や移民流入の著しい東部での人口増加が目立っている。 フランスの政治・経済・文化の中心である上、世界四大都市にも挙げられるほどの[[世界都市]]であり、歴史的な建造物や[[美術館]]を数多く抱えるため「芸術の都」、「花の都」などと呼ばれる、世界屈指の[[観光都市]]としての顔も持つ。歴史的に戦火を巧みに避けてきたため<!--[[第二次世界大戦]]において、空襲やその他の戦災を奇跡的に免れることができたため → 必ずしもそうではなく、ナポレオン1世の頃からフランスはパリを戦火から守るため首都陥落の前には必ず降伏してきたのが大きな理由です -->、パリは街全体が数多くの由緒ある歴史的建造物を有する一つのテーマパークのような存在になった。 古くから宗教・文化面などにおいて欧州各地、そして世界中から人を集める多民族集住地区であった。1960年代以降旧植民地であったアフリカ中部・北部やインドシナ半島、更に近年は中近東や東欧、中国などからの移民も増えてきた。 <!--[[ダリシスト]]とよばれる[[風水]]のような魔よけの都市構造と似ている。←出典を示してください--> パリっ子は'''パリジャン (Parisien) '''(男性)・'''パリジェンヌ (Parisienne) '''(女性) と呼ばれる。 == 歴史 == {{See also|フランスの歴史}} === 語源 === [[語源]]はパリシー (Parisii) と呼ばれるガリア人部族。Parisiiは「田舎者」、「乱暴者」を意味する。ローマ人が入ってくる以前のこの土地の先住民である。欧州の言語の中で古い時代の痕跡をとどめている[[ギリシャ語]]ではΠαρίσι(パリーズィ)、[[イタリア語]]で Parigi(パリージ)と発音される。[[フィンランド語]]では Pariisi(パリーシ)と発音されるのはここからだという説がある。Lutetia (Parisiorum) 「(パリシーたちの)ルテティア」とも呼ばれていた。 <!-- パリをこよなく愛する日本人である早川雅水は、自著の中で「パリ」の[[語源]]を Par 「等しい」+ Isis 「(エジプトの女神)[[イシス]]」と説明しているが、これは誤りである。 --> === 古代 === [[Image:Arènes de lutèce maquette.jpg|thumb|ルテチアの円形劇場(模型)]] セーヌ川の中洲[[シテ島]]は古くからセーヌ川の渡河点であり、[[紀元前3世紀]]ごろからパリシー族の集落ルテチアがあった。[[紀元前1世紀]]、[[ガリア戦争]]の結果ルテチアは[[古代ローマ|ローマ]]支配下に入った。ローマ時代のルテチアはシテ島からセーヌ左岸にかけて広がっており、円形劇場や公衆浴場などが築かれた。しかしローマが衰退すると左岸の市街地は放棄され、シテ島のみを範囲とする城塞都市になった。このころからルテチアに代わり「パリ」と呼ばれるようになった。 === フランス王国首都 === [[5世紀]]末に[[フランク族]]の王[[クロヴィス1世]]はパリを征服し、[[508年]]にはパリを[[メロヴィング朝]][[フランク王国]]の首都とした。しかしクロヴィス1世の死後王国はいくつかに分裂したため、パリは現在のフランスよりも狭い範囲の都でしかなかった。シャルルマーニュ([[カール大帝]])以降の[[カロリング朝]]フランク王国の中心は[[ライン川]]流域にあり、パリは一地方都市でしかなかった。[[885年]]から[[886年]]にかけてパリは[[ヴァイキング]]の襲撃を受けた。このときフランク王シャルル3世([[カール3世 (フランク王)|カール3世]])は金銭を支払って講和を結んだため信望を失い、代ってパリ伯の権威が上昇することになった。このころからセーヌ右岸側にも市街地が拡大した。 [[Image:Plan de Paris 1223 BNF07710747.png|thumb|1223年のパリ]] [[西フランク王国]]が断絶すると、[[987年]]にパリ伯[[ユーグ・カペー]]がフランス王に推挙されたことから、パリはフランス王国の首都となった。王権の強化にしたがって首都も発達し、[[フィリップ2世 (フランス王)|フィリップ2世]]の時代にはパリを囲む城壁が築かれた。このころのパリは初期[[スコラ学]]の中心の一つでもあり、[[11世紀]]頃からパリ大司教座聖堂付の学校が発達し、のちの[[パリ大学]]につながっていった。パリ大学は[[ヨーロッパ]]最古の大学のひとつであり、特に[[神学]]の研究で著名であった。右岸に中央市場「レ・アル(Les Halles)」が作られたもこのころである。こうして左岸は大学の街、右岸は商人の街という現在まで続く町の原型が定まった。[[12世紀]]にはパリ水運商人組合が結成された。後にその商人頭は事実上の市長として市政を司るようになり、[[エティエンヌ・マルセル]]のように王に匹敵する権力を持つものも現れた。市の規模が大きくなるにつれ、城壁は何度か壊され市域が拡大していった。 [[Image:Les Très Riches Heures du duc de Berry octobre.jpg|thumb|「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」に描かれた15世紀のルーヴル宮殿]] [[百年戦争]]後半にはパリはオルレアン派とブルゴーニュ派の対立で混乱に陥った後、[[イングランド]]と同盟したブルゴーニュ公の支配下に入った。しかし[[1436年]]にはフランス軍に奪還され、翌[[1437年]]、[[シャルル7世]]は改めてパリをフランスの首都と定めた。しかしこの後もフランス王はパリには住まず、[[ロワール渓谷]]の城を好むようになった。[[ユグノー戦争]]の時代にはパリは[[カトリック]]派の拠点であり、[[1572年]]には[[サン・バルテルミの虐殺]]が起こった。 [[アンリ4世]]の即位によりパリは名実ともにフランスの首都の座を回復した。これ以降パリ市内では[[テュイルリー宮殿]]、[[リュクサンブール宮殿]]、[[廃兵院]]などの大規模建築が相次いで作られた。しかし[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]はパリ郊外の[[ヴェルサイユ]]に造営した離宮に政治の本拠を移し、[[ルイ16世 (フランス王) |ルイ16世]]の治世の末期までヴェルサイユが政治の中心となった。 [[1789年]][[7月14日]]、パリ市内で発生した[[バスティーユ襲撃]]によって[[フランス革命]]が勃発した。[[ヴェルサイユ行進]]でルイ16世が強制的にパリのチュイルリー宮殿に戻されてからは、革命の重要な事件の多くがパリで発生した。 === 19世紀 === [[19世紀]]のパリは政治的には安定しなかったものの、[[産業革命]]の到来により経済的、文化的には繁栄した。 [[1837年]]にはパリ(現在の[[サン・ラザール駅]])-[[サン=ジェルマン=アン=レー]]間に[[鉄道]]が開通し、以後各方面への鉄道路線が次々と開業した。 [[フランス第二帝政|第二帝政]]下ではセーヌ県知事[[ジョルジュ・オスマン]]によって[[パリ改造]]が行なわれた。中世以来の狭い路地を壊して道路網を一新したほか、上下水道の設置など都心部の[[再開発]]や[[インフラストラクチャー]]の整備が行なわれた。これによりパリは近代都市として生まれ変わった。現在のパリ市中心部の姿はほぼこの時の状態をとどめている。 [[Image:Disderi 3.jpg|thumb|パリ・コミューンの[[バリケード]]]] [[普仏戦争]]で[[ナポレオン3世]]の主力軍が敗北すると、パリは[[1870年]]9月から[[プロイセン]]軍に包囲された。翌[[1891年]]1月に政府は降伏したが、パリの労働者らはこれを認めず蜂起した。3月には史上初の労働者階級の政権[[パリ・コミューン]]が発足したが、ヴェルサイユ政府軍の攻撃によりわずか2ヶ月で崩壊した。コミューンの最後はパリ市内での[[市街戦]]となり、大きな被害を出した。 19世紀末から20世紀初めにかけて、パリでは数会の[[パリ万国博覧会|万国博覧会]]が開かれた。[[1889年]]の万博では[[エッフェル塔]]が建てられ、[[1900年]]には[[メトロ (パリ)|メトロ]]が開業した。この時代を[[ベル・エポック]](よき時代)と呼ぶ。 === 20世紀 === [[第一次世界大戦]]の緒戦では[[ドイツ帝国|ドイツ]]軍がパリの目前にまで迫り、政府が一時[[ボルドー]]に避難するほどであったが、[[マルヌ会戦]]の勝利により辛くも陥落を免れた。大戦後半には[[パリ砲]]による砲撃を受けた。 戦間期にはパリは芸術の都としての地位を回復した。 [[Image:Nazi-parading-in-elysian-fields-paris-desert-1940.png|thumb|パリに入城したドイツ軍]] しかし[[第二次世界大戦]]が勃発すると、[[ナチス・ドイツのフランス侵攻]]開始から1ヶ月で政府はパリを放棄せざるを得なくなり、[[1940年]]6月14日にはドイツ軍がパリをほぼ無血で占領した。6月23日には[[アドルフ・ヒトラー]]がパリに入った。占領下のパリでは[[レジスタンス運動]]に身を投じる者がいる一方で、積極的にドイツ軍に協力する市民もいた。後者は後に[[対独協力者]]として糾弾されることになる。 [[ノルマンディー上陸作戦]]から2ヶ月半後の[[1944年]]8月25日、パリは[[連合国#第二次世界大戦|連合国]]軍と[[自由フランス]]軍によって[[パリの解放|解放]]された。このときドイツ軍のパリ駐留部隊を指揮していたフォンコルティッツ将軍はヒトラーからパリを破壊するよう命令されていたが、これを拒んで部隊を無抵抗で退却させ、自身は降伏した。この英断によりフォンコルティッツは戦後、フランスから名誉パリ市民号を贈られている 戦後のパリでは主に郊外([[バンリュー]])で人口が急増した。環状高速道路ペリフェリックをはじめとする[[高速道路]]網や、郊外と都心を直結する鉄道[[RER]]などが整備され、[[ラ・デファンス]]地区がオフィス街として開発された。一方で豊かな都心と貧しい郊外という構図が生まれ、[[失業]]や治安の悪化が社会問題となった。[[2005年]]には[[2005年パリ郊外暴動事件|パリ郊外暴動事件]]が発生した。 === 行政区画の変遷 === フランス革命後の地方自治制度では、パリ市は[[セーヌ県]](当初の名称はパリ県)に属する一[[コミューン]]であり、同県の県庁所在地であった。市域は現在より狭く、ほぼ[[メトロ (パリ)|メトロ]][[パリメトロ2号線|2号線]]、[[パリメトロ6号線|6号線]]の内側に相当する。 [[1860年]]に市域が拡張されてほぼ現在の範囲となり、同時に20の[[パリの行政区|行政区]]が設けられた。[[1968年]]にはセーヌ県が廃止され、パリ市は単独で県と同格の自治体とされた。[[1976年]]に[[イル=ド=フランス地域圏]]が発足すると、パリはその首府となった。 {{Demography 6col|765px|1801|1851|1881|1926|1999|2005|54万7800|105万3000|224万0000|287万1000|212万5946|215万4000}} <!-- この上二行あける --> == 地理 == === 行政区 === [[画像:Arrondissements-de-Paris.png|thumb|right|300px|パリの行政区]] パリは、一市単独で[[フランスの地方行政区画|県]]を構成する[[コミューン]]、いわゆる特別市である。市内は20の[[パリの行政区|行政区]]に区分されている。区は、パリ市街地の1区から、右回りの渦巻状に番号が付けられている。1~4、8~12、16~20区は右岸に、5~7、13~15区は左岸に位置する。 <br style="clear:both;" /> ==== 各地域 ==== [[画像:ArcDeTriomphe.JPG|right|200px|thumb|凱旋門]] [[画像:Champs-Elysees-InSummer.JPG|right|200px|thumb|シャンゼリゼ通り]] [[画像:Palais_garnier_bs.jpg|right|200px|thumb|オペラ・ガルニエ(オペラ座) ]] [[画像:Tour_eiffel_at_sunrise_from_the_trocadero.jpg|right|200px|thumb|エッフェル塔]] 括弧内の数字は区を示す。 <!--(括弧内の数字は区。特に観光名所となっている地域は斜体とした): <br />→ 斜体は機種によっては表示されません--> ;右岸 *[[シャンゼリゼ通り]] (8) :凱旋門からチュイルリーまで続く、パリを代表する目抜き通り。 *[[シテ島]] (1, 4) :パリ発祥の地であり、[[ノートルダム大聖堂 (パリ) |ノートルダム大聖堂]]など歴史的建造物も多い。 *パッシー (16) :高級住宅地。 *オペラ界隈 (2) :デパートや高級ブティック、銀行などが立ち並び、日本人街でもある。日本料理店や日本の生活雑貨店が並ぶ。 *マレ (3, 4) :貴族の館が集中して残る地域であり、現在は裕福なユダヤ系住民が多く住む。美術館やギャラリーも多い。お洒落な[[同性愛|ゲイ]]の集まる地域でもある。 *バスティーユ (4, 11, 12の各境) :[[フランス革命]]の発端となった場所として有名だが、今では若者が集まる歓楽街となっている。[[オペラ・バスティーユ]]もある。 *オベルカンプ (11) :同じく歓楽街だが、比較的新しい。テクノ音楽やゲームなど新しい文化を紹介する場として認識され、日本のアニメショップなども複数見られる。 *ピガール、ブランシュ (18) :モンマルトルのふもとに位置する。高級キャバレー「ムーラン・ルージュ」があるが、その他は怪しげな[[キャバレー]]やいかがわしい[[セックス]]ショップが多く並ぶ性的歓楽街でもある。昔から猥雑な界隈であり、[[永井荷風]]の「ふらんす物語」にも描かれている。 *[[モンマルトル]] (18) :パリを見下ろす高台。パリ市に編入されたのは1860年以後だが、現在ではパリを代表する名観光地となっている。2001年のフランス映画『[[アメリ]]』の舞台にもなった。[[サクレ・クール寺院]]が一番の高台にそびえ、そこから西側へ行くにつれテルトル広場やムーラン・ド・ラ・ギャレットなど観光名所が多く並ぶ。寺院東側は[[観光]]地ではなく[[アフリカ]]系移民が多く暮らすシャトー・ルージュ地区。 *ベルシー (12) :昔は[[倉庫]]街だったが今は再開発が進み、[[フランス経済・財政・産業省|大蔵省]]やベルシー公園、[[ワイン]]倉庫街を改造したレストラン街などが新しい観光地となっている。 *ベルヴィル (11, 20) :[[アラブ]]系、アフリカ系、[[ユダヤ]]系(労働者系の)、[[中国]]系([[華僑]])など、主に労働者系の多くの[[移民]]が暮らす地域。安くて異国的なレストランなどが集中する。 *バルベス (18) :ベルヴィルと同じくアラブ系やアフリカ系の移民が多く暮らす。有名な安物服屋やアフリカ系商店街があり、人口密度も多く、駅前は常に混雑している。 ;左岸 *[[モンパルナス]] (14) :庶民的な雰囲気を残す左岸の地域。 *サンジェルマン・デ・プレ (5, 6) :歴史的地区であり、美術学校に近いことからギャラリーも多い。[[ジャン=ポール・サルトル|サルトル]]ら哲学者が集まった場所として有名な2軒のカフェがある。カルチエ・ラタンに隣接する。 *[[カルチエ・ラタン]] (5, 6) :[[ソルボンヌ大学]]をはじめ大学が集中しており、昔から学生街として有名。カルチエは「地区」、ラタンとは「[[ラテン語]]」のことであり、「ラテン語を話す (= 教養のある) 学生が集まる地区」という意味が語源。羅典区。 *エッフェル塔とシャン・ド・マルス公園 (7) :パリを代表する観光名所としてあまりに有名。セーヌ川の観光船のうち有名な2つの船の発着点ともなっており、観光客が集中する。 *トルビヤック (13) :いわゆる中華街だが実際は[[ベトナム]]系が多く、中華・ヴェトナム料理店が並ぶ。昔はゴブラン織りで栄えたが、今は高層ビルが林立する再開発地域である。 === 川、運河 === ==== 川 ==== [[画像:Small_1330-Paris.jpg|right|200px|thumb|セーヌ川]] *[[セーヌ川]] :パリ市内を横断する川であり、[[パリのセーヌ河岸]]は[[世界遺産]]に登録されている。パリではセーヌ川の北部を右岸、南部を左岸という。パリ市中心部にある川中島であるシテ島は、パリ市発祥の地である。シテ島の東にもうひとつサン・ルイ島という島がある。セーヌ川は重要な運路であり、パリ市内では観光船のほか運搬船も多く行き来する。パリ市東部郊外のごく近い場所でセーヌ川とマルヌ川が合流し、ベルシーからパリに入り、途中サン・ルイ島とシテ島を抜け、アンヴァリッドのあたりで南西に折れ曲がり、そのまま15区と16区を抜けていく。パリを抜けた後は蛇行を繰り返し、ノルマンディー地方を経て大西洋へと流れていく。パリ市内には多くの橋がかかっており、歴史やいわくのある橋も多い。詳細は[[セーヌ川]]の項を参照。 *ビエーヴル川 :13区のトルビヤック地区やゴブラン地区には、セーヌ川の支流であるビエーヴル川という自然の川がかつて流れていた。今は下水道として完全に地下化してしまい、現在の一般の地図上でその存在を確認することは出来ないが、古地図などで見ることが出来る。国立ゴブラン織り製作所は、この川の上に存在する。 ==== 運河 ==== [[画像:Paris canal saint-martin ecluse01.jpg|right|200px|thumb|サン・マルタン運河]] *[[サン・マルタン運河]] :パリ東部セーヌ右岸を南北に流れる[[運河]]。セーヌ川に面したサン・マルタン運河の出入口はアルスナル港と言う。ここからバスティーユ広場を経て、運河は地下水道となる。10区に入ったあたりで、運河は地上に顔を出す。この辺りには水位を上下するための水門がいくつかある。10区の運河沿いにはかつて革製品などの町工場が多く並んでいたが、今はそれらの工場は衰退しており、徐々に再開発の動きが進んでおり、最近は、景観を生かしてレストランが並ぶ。10区と19区の境にある[[地下鉄]]2番、5番、7番のジョレス駅およびスタリングラッド駅付近にあるラ・ヴィレット運河まで出たところで、サン・マルタン運河の名称は終わる。今はサン・マルタン運河を走る運搬船はほとんどないが、観光船が走っている。 *ウルク運河 :サン・マルタン運河と一続きの運河だが、ラ・ヴィレット運河より以北はこの名称になる。パリ19区からパンタン市へ、さらに遠方のウルク川へと繋がっている。メトロ5番は、終点、ボビニー・パブロピカソ駅手前でこのウルク運河沿いの地上部を走る。ラ・ヴィレット公園の手前でサン・ドニ運河と分岐(合流)している。 *サン・ドニ運河 :ラ・ヴィレット公園の手前でサン・ドニ運河と分岐・合流している。パリ市内では19区のごく一部を流れる。パリ郊外のオーベルヴィリエ市、サン・ドニ市を経て、パリ北部で蛇行するセーヌ川下流と合流する。ウルク運河経由で水路をショートカットするためにつくられており、運搬船が頻繁に行き来している。 === 広場、公園、森 === ==== 広場 ==== [[画像:Fontaine-place-de-la-concorde-paris.jpg|right|200px|thumb|コンコルド広場]] [[Image:PlaceBastille20040914B_commons.jpg|thumb|right|200px|バスティーユ広場]] [[Image:Colonne_de_Vendôme_cropped.jpg|thumb|right|200px|ヴァンドーム広場]] [[Image:Paris-Arc-de-Triomphe001.jpg|thumb|right|200px|シャルル・ド・ゴール広場]] *[[コンコルド広場]] (1) :パリの中心部、チュイルリー公園とシャンゼリゼ通りに挟まれて位置する。歴史ある広場で、フランス革命の後にはルイ16世や[[マリー・アントワネット]]の処刑が行われた。現在は[[ツール・ド・フランス]]の終着点としても知られ、最終日には多くのファンが集まる。 *ヴァンドーム広場 (1) :[[ナポレオン2世]]の記念柱が立っている。この広場および隣接するサントノレ通りには高級宝石店や高級ブティックが並ぶ。 *バスティーユ広場 (4, 11, 12の各境) :[[フランス革命]]の発端となった[[バスティーユ]]要塞があった場所で、要塞は革命後に取り壊されて現在の広場となった。広場中央には革命の記念柱が立っている。広場に面してオペラ・バスティーユがある。サン・マルタン運河出入口のアルスナル港にも面している。 *ヴォージュ広場 (4) :バスティーユ広場のすぐ近くだが奥まった場所にあり、赤い煉瓦と石造りの美しい建物に囲まれたほぼ正方形の広場である。その赤い建物の一角には[[ヴィクトル・ユーゴー]]の住んだ家がある。フランス革命前は国王(ロワイヤル)広場と呼ばれていた。 *サン・ミッシェル広場 (6) :カルチエ・ラタンの中心部に位置し、セーヌ川および対岸のシテ島、ノートルダム寺院に面している。本屋などが多くあるほか、広場裏手には安手のレストランが立ち並ぶ。 *シャルル・ド・ゴール広場(エトワール広場) (8) :凱旋門を中心に、シャンゼリゼ通りを含め放射状に道路が伸びる、パリの顔とも言うべき広場。元はエトワール広場と呼ばれたが、[[第二次世界大戦]]後[[シャルル・ド・ゴール]]将軍をたたえて現在の呼称となった。通常はエトワール広場の呼称でも通じる。[[1860年]]のパリ拡張以前はパリの西の玄関だった。 *レピュブリック広場 (3, 10, 11) :訳すと共和国広場。庶民的な地区に位置するが、広場としてはきわめて大きいそれの一つ。マニフェスタシオン(デモ)がある際にはほとんどここが起点となる。 *ナシオン広場 (11,12) :エトワール広場と同じく道が放射状に伸びる、1860年以前のパリの東の玄関。かつてカルーゼル凱旋門が置かれていたが現在同門はルーヴル正面に移され、現在ナシオン広場には2つの柱が立っている。[[マクシミリアン・ロベスピエール|ロベスピエール]]の恐怖政治時代にはここで多数の反体制者がギロチンで処刑された。 *テルトル広場 (18) :モンマルトルがパリに編入される以前はこの広場が村の中心だった。現在は絵描きが多く並ぶ一大観光名所となっている。 *イタリー広場 (13) :パリの南の玄関口。 ==== 公園、庭園 ==== [[Image:Jardindetuileries.jpg|right|200px|thumb|テュイルリー庭園]] [[Image:Senat.jpg|right|200px|thumb|リュクサンブール庭園]] [[Image:Champ-de-Mars 2005-07.jpg|right|200px|thumb|シャン・ド・マルス]] [[Image:Paris parc de la villette01.jpg|200px|thumb|ラ・ヴィレット公園]] 公園はパーク (Parc)、庭園はジャルダン (Jardin) と呼ばれ区別されている。 *テュイルリー庭園 (1) :パリの中心部、ルーヴル宮の正面に位置する。かつて[[テュイルリー宮殿]]があった。 *リュクサンブール庭園 (6) :リュクサンブール宮殿(現在のフランス上院議会)の正面に位置する庭園。カルチエ・ラタンに隣接し、学生たちの憩いの場でもある。 *シャン・ド・マルス (7) :[[エッフェル塔]]に登ると先ず目に入るのが眼下に広がるこの公園の全景である。かつては軍事演習場だったところ、1889年のパリ万博の会場にもなった。 *モンソー公園 (8) :1860年のオスマン公によるパリ大改造で公園に整備された。 *ベルヴィル公園 (20) :庶民的なベルヴィル地区に位置する。高台になっており、パリを一望できるとても眺めの良い公園。 *ビュット・ショーモン公園 (19) :同じく1860年のパリ大改造で整備され、昔の石切場跡を公園にした。 *植物園 (5) :その名の通り[[植物園]]で、[[動物園]]も併設する(ただしヴァンセンヌの森の動物園よりは小さい)。敷地内には自然史博物館がある。 *モンスーリ公園 (14) :これも1860年のパリ大改造で整備された。14区の外れにあり、[[国際大学都市]]に面している。 *[[ジョルジュ・ブラッサンス]]公園 (15) :馬市場、家畜市場の跡を整備した公園で、銀色の巻貝のような劇場を併設する。馬市場の跡の19世紀の鉄骨屋根のテントの下では、定期的に古本市が開かれる。 *[[ラ・ヴィレット公園]] (19) :庶民的な地区に属するが、かつての食肉処理場跡および旧鉄道用地の広大な敷地を再開発して公園とした。広大な敷地内にはサン・ドニ運河(サン・マルタン運河に繋がる)が流れる。代表的な建物として、食肉処理場時代の19世紀の鉄骨建築ホールをそのまま流用したグランド・アール(見本市会場)、科学産業都市(博物館)および音楽都市([[クラシック音楽|クラシック]]用コンサートホール)、ZENITH([[ロック (音楽) |ロック]]・[[ポピュラー音楽|ポップス]]用コンサートホール)、[[パリ音楽院]]現校舎などがある。 *アンドレ・シトロエン公園 (15) :[[自動車]]会社[[シトロエン]]の工場跡および鉄道敷地跡を整備して公園にした。大きな芝生の広場がある公園で、現代的なデザインである。 *ベルシー公園 (12) :[[フランソワ・ミッテラン]]元大統領により整備された。新大蔵省の建物に面している。付属のベルシー体育館ではスポーツのほかコンサートなども行われている。 ==== 森 ==== [[Image:Lac supérieur bois de boulogne.jpg|right|200px|thumb|ブローニュの森の池]] パリには東西2つの大きな森があり、パリ市民の憩いの地となっている。現在はこの森もパリ市の敷地に含まれる。 *[[ブローニュの森]] (16) :パリの西側に位置する。16区の高級住宅街パッシーやオートゥイユ、近郊の高級住宅市街に面し、高級社交場でもあるオートゥイユ競馬場なども併設する、高級的な雰囲気の漂う森である。ただし夜暗くなってからは[[同性愛|ゲイ]]の人達が集うことでも知られる。 *[[ヴァンセンヌの森]] (12) :パリの東側に位置する。こちらは庶民的な森として知られ、アフリカ・[[オセアニア]][[博物館]]のほか、[[動物園]]、[[農場]](パリ唯一の農場)、パーク・フローラル(花公園)などを併設する。中世の砦だったヴァンセンヌ城もある。 === 四大墓地 === [[Image:Monmartre_Cemetery.JPG|thumb|right|200px|モンマルトル墓地]] パリは東西南北に4つの主要な[[墓地]]があり、多くの著名人が眠っている。 * [[ペール・ラシェーズ墓地]] (20): 東 * [[パッシー墓地]] (16): 西 * [[モンパルナス墓地]] (14): 南 * [[モンマルトル墓地]] (18): 北 この他、パリ中心部に位置する[[パンテオン (パリ) |パンテオン]]にも[[ジャン=ジャック・ルソー|ルソー]]や[[ヴォルテール]]、[[ヴィクトル・ユーゴー]]、[[ルネ・デカルト|デカルト]]といった偉人たちが埋葬されている。 == 郊外 == [[Image:Paris - Blick vom großen Triumphbogen.jpg|right|200px|thumb|ラ・デファンス]] パリの[[郊外]]には[[ヴェルサイユ]]など有名な観光地がいくつかあり、そのほとんどはパリから日帰りで往復できる。 16-17区に繋がるセーヌ川下流の西部方面には閑静な高級住宅地が広がっている。逆に18~20区から繋がる北東方面は低所得層の集まる地価の安い郊外となっており、近年は犯罪増加などの問題を抱えている。フランスで単に「郊外([[バンリュー]])」という場合、こうした地域を婉曲的に指すことが多い。その他の方面の郊外は一般的なベッドタウンとなっている。 パリより[[電車]]で各30分ほど離れた郊外にはいくつかの[[衛星都市]]があり、近代建築によって町の機能が整えられている。中でも[[ラ・デファンス]]には「新凱旋門[[グランダルシュ]]」をはじめ[[高層ビル]]群が集中しており、多数の企業オフィスを抱える新都心となっている。 詳細は[[イル・ド・フランス地域圏]]を参照。 == 観光名所 == [[Image:Parigi 015.jpg|right|200px|thumb|ノートルダム大聖堂]] [[Image:Les_Invalides_Paris.jpg|right|200px|thumb|アンヴァリッド]] [[Image:Paris.moulin.750pix.jpg|right|200px|thumb|ムーラン・ルージュ]] *建造物 **[[エトワール凱旋門|凱旋門]] **[[エッフェル塔]] **[[エリゼ宮]] **[[ガルニエ宮]](オペラ座) **[[オテル・デ・ザンヴァリッド|アンヴァリッド]](廃兵院) **[[ノートルダム大聖堂 (パリ) |ノートルダム大聖堂]] **[[オペラ・バスティーユ]] **[[ポンピドゥー・センター]] **[[サクレ・クール寺院]] **[[マドレーヌ寺院]] **[[パンテオン (パリ) |パンテオン]] **[[シャイヨ宮]] *美術館 **[[ルーヴル美術館]] **[[オルセー美術館]] **[[オランジュリー美術館]] **[[ロダン美術館 (パリ) |ロダン美術館]] **[[マルモッタン美術館]] *その他 **[[ムーラン・ルージュ]] **[[プランタン]] **[[ラ・デファンス]] == 交通 == === 空港 === [[Image:Airport_cdg_t1tubes.jpg|left|200px|thumb|複雑に交差するド・ゴール空港の移動回廊]] *[[シャルル・ド・ゴール国際空港]] :パリ北部郊外ロワッシーに位置する、[[TGV]]の駅とも直結する、フランスの玄関口である。現在拡張工事が続けられている。3つのターミナル(主なものは2つ)よりなり、[[エールフランス航空]]と[[日本航空]]、[[全日空]]が[[成田空港]]と[[関西国際空港]]、[[中部国際空港]]から直行便を運行している他、[[アエロフロート]]航空が[[モスクワ]]経由便を運航している。 *[[オルリー空港]] :パリ南部オルリー市にある空港。かつては最も主要な空港だったが、シャルル・ド・ゴール空港にその座を譲った。とはいえ現在も国際空港として機能しており、主にヨーロッパ近隣諸国のほかアフリカ・[[中近東]]方面の便が発着している。Orly-sud(南)とOrly-ouest(西)の2つのターミナルがある。 *[[ル・ブルジェ空港]] :最も初期に作られた空港で、[[1927年]]に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]人の[[チャールズ・リンドバーグ]]が世界初の[[大西洋]]無着陸横断飛行を行ったときに着陸したのがこの空港である。現在は初夏に行われるパリ・エアショーの会場として知られている。 *ヘリポート :15区南部端れ、セーヌ川沿いのペリフェリック(環状道路)の外側に位置する。[[ヘリポート]]はパリ市内の敷地である。パリ市内上空は飛行禁止区域のため、[[ヘリコプター]]はパリ市の境界すれすれを飛ぶことが多い。 === 鉄道 === ==== ターミナル駅 ==== [[Image:Paris_GareDeLyon_FacadeEtTourDeLHorloge.JPG|right|200px|thumb|時計台のついたリヨン駅駅舎]] <!-- [[Image:GareDuNord20040914_CopyrightKaihsuTai.JPG|right|200px|thumb|北駅構内]] --> [[Image:Garedelest.jpg|right|200px|thumb|東駅駅舎]] *[[リヨン駅 (パリ) |リヨン駅]] (12) :[[リヨン]]・[[マルセイユ]]、<!---[[スペイン]]--->、[[スイス]]、[[イタリア]]方面 *ベルシー駅 (12) :リヨン駅の近くにある駅。当駅から出た線路はリヨン駅からのものと合流するため方面は同じだが、イタリア方面への国際夜行列車および乗用車運搬用列車が発着。 *[[パリ北駅|北駅]] (10) :[[ロンドン]]行[[ユーロスター]]、[[ブリュッセル]]・[[ケルン]]・[[アムステルダム]]行[[タリス]]、[[TGV]]<!--2007年5月現在、ブリュッセル行きTGVの殆どはイルドフランス連絡線経由で運行。北駅発の設定はレアケース--> *[[パリ東駅|東駅]] (10) :[[ストラスブール]]、[[ドイツ]]方面 *[[モンパルナス駅]] (15) :[[ブルターニュ]]地方、[[ボルドー]]方面[[TGV]] *[[サン・ラザール駅 (パリ) |サン・ラザール駅]] (8) :西部方面<!--、[[上野駅]]のモデルとなった。{{要出典}}--> *[[オーステルリッツ駅 (パリ) |オーステルリッツ駅]] (13) :[[オルレアン]]・[[トゥール]]方面のほか、フランス南部・[[スペイン]]へ向う夜行列車のほとんどが発着。 市内には[[メトロ (パリ) |メトロ]](地下鉄)と[[RER]](高速地下鉄)がくまなく走っている。14番まであり、運営はRATP(パリ市営交通)が行っている。2006年にパリ市最南端で[[トラム (パリ) |トラム]](路面電車)が開通した。このほか郊外を結ぶトラムがある。 詳細は「[[パリの交通]]」を参照。 === 道路 === [[Image:Champs-Élysées.jpg|right|200px|thumb|シャンゼリゼ通り]] [[Image:Rue_du_Faubourg_St_Honore_dsc00792.jpg|right|200px|thumb|フォーブールサントノレ通り]] [[Image:Paris-bld-saint-germain.jpg|right|200px|thumb|サンジェルマン通り]] <!-- パリの道路の種類には、主に以下のものがある。 *リュー Rue: <br />最も一般的な道。 *ブールヴァール Boulevard (Bd.): <br />大通り。かつての城壁を壊してその跡を道路として整備したもの。 *アヴニュー Avenue (Av.): <br />並木通り。主に街の中心となる通り。 *ケ Quai: <br />河岸。 この他、歩行者用の道路パッサージュ Passage(アーケードの商店街が多い)や、行き止まり道を示すアンパッスImpasseなどがある。!--> ==== 主な一般道 ==== *[[シャンゼリゼ通り]] :[[エトワール凱旋門|凱旋門]]のあるエトワール広場とパリ中心部の[[コンコルド広場]]を結ぶ、パリで最も有名な目抜き通り。フランス一周自転車[[ロードレース]]「[[ツール・ド・フランス]]」はここがゴールとなる。 *フォーブール・サントノレ通り :有名ブランドのブティックが並ぶ。 *リヴォリ通り :ルーヴル宮北側に沿って市内最中心部を横断する道路。 *サンタントワーヌ通り :リヴォリどおりとバスティーユを結ぶ、パリ中心部横断道路の一つ。 *フォーブール・サンタントワーヌ通り :バスティーユとナシオン広場を結ぶ通り。 *ヴァンセンヌ大通り :ナシオンからパリ最東端ヴァンセンヌ門までを結ぶ目抜き通り。目抜きと言ってもシャンゼリゼ通りのようには栄えておらず市の外れではあるが、決して寂れてはおらずパリの東の玄関の品格を保った通りである。週2回、パリ最大規模の朝市が開かれる。 *オペラ通り :ガルニエ宮(オペラ座)からルーヴル宮に向かって伸びる通り。高級ブティックやホテルなどが立ち並ぶが、付近は[[日本人街]]でもある。 *グラン・ブールヴァール :1860年のオスマン公によるパリ大改造で生まれたブールヴァールのうち、9-10区の北部沿いの一部の通りを指す。メトロ8番と9番が走っている。 *サンジェルマン通り :サンジェルマン・デ・プレからカルチエ・ラタンを通る、左岸の代表的な通り。 *[[ムフタール通り]] :パリ5区にある道路であり、多くのレストランや市場などが立ち並んでいる。 ==== 主な車輛専用道 ==== [[Image:Boulevard_périphérique_de_Paris.png|right|200px|thumb|ペリフェリック]] *ヴォワ・エスプレス :河岸沿いの一部は、パリを横断する一方通行専用の高速バイパス道路となっている。 *[[ブルヴァール・デ・マレショー]] :パリ市内最外周部を囲んで走る道路のうち、一般道をまとめてこう呼ぶ。ティエールの城壁の後に作られたブルヴァール。ペリフェリックより少し内側に位置する。 *ペリフェリック :パリ市内最外周部を囲んでいる環状高速道路で、現在はこれがパリ市の境界となっている。(2つの森など一部の区間を除く。これらの区間は地下化されている) == 姉妹都市・提携都市 == *{{flagicon|Spain}} [[マドリード]]、[[スペイン]] *{{flagicon|Italy}} [[ローマ]]、[[イタリア]]、1956年 *{{flagicon|Japan}} [[京都市]]、[[日本]]、1958年 *{{flagicon|Japan}} [[東京都]]、日本、1982年 *{{flagicon|South Korea}} [[ソウル]]、[[大韓民国]]、1991年 == モットー == パリ市民のモットーは “''Fluctuat nec mergitur'' (Il tangue mais ne coule pas)”、「たゆたえど沈まず」である。 == 経済 == フランスにおける経済の中心地であり、多くの大企業や国営企業が本社を構える。観光が大きな産業となっているフランスにおいても最も多くの観光客を迎え入れる街である。 == 文化 == 「芸術の都」という異名が言い表すように、パリは[[絵画]]から[[彫刻]]、[[ファッション]]、[[音楽]]に至るまで、さまざまな芸術の世界的な中心地として名を馳せている。特に近年は[[パリコレクション]]やクッキングコンペの開催にみられるように、フランスを代表する服飾文化や食文化の分野で世界的な情報発信地となっている。 == パリを代表する施設・企業 == 各節とも日本語での五十音順。 === 企業本社 === *[[LVMH]] *[[エールフランス]] *[[フランス国鉄]] (SNCF) *フランス・テレコム *[[BNPパリバ]] *[[ルノー]] *[[ロレアル]] === ファッション === *[[アニエス・ベー]] *[[エルメス]] *[[クリスチャン・ディオール]] *クリスチャン・ラクロワ *[[ケンゾー]]([[高田賢三]]) *[[コム・デ・ギャルソン]]([[川久保玲]]) *[[ジバンシィ]] *[[シャネル]] *[[ジャン=ポール・ゴルチエ]] *[[ルイ・ヴィトン]] === スポーツ === *ベルシー体育館 *サンドニ・スタッド・ド・フランス(サッカー競技場) *[[パリ・サンジェルマン]](サッカーチーム) *[[ロンシャン競馬場]] *[[オートゥイユ競馬場]] *[[ヴァンセンヌ競馬場]] === オペラ・舞台・音楽 === *オディオン座 *[[オペラ=コミック座]] *[[ガルニエ宮|オペラ・ガルニエ]](日本で「オペラ座」と呼ぶのはこちら) *[[オペラ・バスティーユ]] *オランピア劇場 *ゲテ・モンパルナス劇場 *[[コメディ・フランセーズ]] *サル・ガボー *サル・ドゥ・ヴュ=コロンビエ *サル・プレイエル *サル・リシュルー *シテ・ドゥ・ラ・ミュジーク *シャイヨー国立劇場 *[[シャトレ座]] *[[シャンゼリゼ劇場]] *テアトル・デュ・ラ・ヴィル *パリ市立劇場 *ボビノ劇場 *マデレーン座 *モガドール劇場 *ユシット座 *ラ・シガール *ラ・スプレンディド == 関連項目 == {{commons|Paris}} {{ウィキポータルリンク|パリ}} 上述までの既出のリンクを除く。 *スポーツ **[[全仏オープン|全仏オープン テニス]] **[[ダカール・ラリー|パリ=ダカール・ラリー]] **[[パリオリンピック_ (1900年) |1900年パリ オリンピック]] **[[パリオリンピック_ (1924年) |1924年パリ オリンピック]] *施設 **[[パリの宗教施設の一覧]] *音楽教育機関 **[[パリ国立高等音楽・舞踊学校]] **[[エコールノルマル音楽院]] **[[スコラ・カントルム]] *テレビ局 **[[フランス・テレビジョン]] **[[TF1]] **[[カナルプリュス]] *ラジオ局 **[[Radio FG]] **NRJ **France Inter *催事 **[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト1978]] *出来事 **[[フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路]] <!-- *演奏団体 **[[パリ管弦楽団]] **[[フランス国立管弦楽団]] **フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団 **[[アンサンブル・アンテルコンタンポラン]] *研究機関 **[[IRCAM]] **GRM **CCMIX --><!-- 楽団や研究機関は都市と不可分の関連項目とはいえないのではないかと --> == 外部リンク == <!-- * [http://www.cybartv.org/html/whoweare.htm Paris left bank live style 1950-70] --> * [http://www.aeroportsdeparis.fr/ADP/en-GB/Passagers/ パリの空港] (英語・フランス語) * [http://www.abcparislive.com パリのウェブカム] * [http://www.cyberikono.net/www_bridgesofparis/index_jp.html パリの橋] * [http://paris-japan.com/home.jsf パリの日本人コミュニティー] * [http://www.pausenberger.com/paris.html Paris pictures] {{FranceDep}} {{夏季オリンピック開催都市}} [[Category:パリ|*]]