岡部三千代
岡部 三千代(おかべ みちよ、1970年8月 - 1989年7月23日)は、福井県美浜町出身の女子短大生。身長161cm、スリムで健康的な美人。
地元の高校を卒業後、兵庫県の明石短期大学に通っていたが、1989年7月23日に恋人の米田和久によって勤務先の寿司店で殺害され、全裸死体となって路上に遺棄された。
人物
岡部三千代さんは3人姉妹の末っ子で、地元の小・中学校から福井県立美方高校に進み、テニス部員として活躍。2年秋の県新人戦で団体準優勝、3年時の春季県総体で団体3位に入った。
男性を意識させない明るい子だった。
– 高校時代の男子同級生
3年間一日も休まずに練習し、いつも日焼けして真っ黒でした。勉強のほうもクラスでトップクラス。
– 高校時代の担任教諭
1989年4月、明石短大に推薦入学。秘書志望で、短大ではジャズダンスクラブに所属し、授業は欠席したことがなく、まじめな学生だった。神戸・三宮のしゃぶしゃぶ店に勤めていた。22日夕、「コンパに行く」といって下宿を出ていた。
いつも明るくほがらかで友達もたくさんいました。大学も4月から一日も休むことなく通っていた、とてもまじめな子でしたよ。
– 下宿の大家
毎週火曜に行われる課外授業のジャズダンスにも必ず出席していた。
– 明石短大事務局長
– 高校時代の担任教諭
明るくて、しっかりした子。男性に声をかけられてもついていくような女性ではない。
– 短大の友人たち
ごく普通の、明るい女の子だった。まさか事件に巻きこまれるなんて。
– 短大の上級生
学校の成績もよく、朗らかで明るい子だった。人に恨まれるような子ではなかった。
– 実家近くの人
アルバイトで帰省が遅くなると聞いていた。殺されたなんて信じられない。
– 近所の人たち
成績も良く、明るい子だった。こんなことになるとは信じられない。同窓生が夏休みにクラス会を計画しており、顔を見られるのを楽しみにしていた。犯人には怒りでいっぱいだ。
– 高校時代の担任教諭
明石美人短大生全裸殺人事件
- 詳細は 明石美人短大生・岡部三千代さん全裸殺人事件 を参照
岡部三千代さんの全裸死体
1989年7月23日午前3時15分ごろ、兵庫県明石市の商店街の路上で、全裸の少女が死んでいるのを、通行人が見つけ、110番した。
- 死体は頭を東側にあお向けで、アスファルトの路上に横たわっていた
- バンザイをするように両手をあげ、両足を広げた大の字の格好
- 身長161cmで、やせ型
- 髪は約30cmと肩よりやや長い
- 化粧っ気のない、きれいな顔
- 穏やかに眠っているような表情で、人形のようだった
- 首にネクタイのようなもので絞められた跡
- 背中などに引きずったような傷
- 両手の爪に薄いピンクのマニキュアをしていた
- 女性の唇と乳首に男の唾液が付着していた
- 性器には男の体液が付着
兵庫県警捜査1課と明石署が調べたところ、少女は同市内に住んでいた私立明石短期大学教養学科1年岡部三千代さん(当時18歳)で、現場近くの寿司店調理師、米田和久(当時30歳)の犯行とわかり、同日、殺人、死体遺棄の疑いで逮捕した。米田は「乱暴しようとしたら抵抗されたので、殺害した」と自供した。
岡部三千代さんの葬儀
事件の知らせを受けた福井県三方郡美浜町の岡部三千代さんの実家では、電話の応対に出た母親が「10日ほど前に本人から電話があり、いまアルバイトをしているが、盆には帰ると話していたのに…」と、突然の訃報に言葉少な。父親とともに列車で現地へ向かった。留守宅では親類や近所の人が、遺体を迎えるため掃除に追われた。
司法解剖を終えた岡部三千代さんの遺体は7月24日未明、福井県美浜町の実家に無言の帰宅をした。両親に付き添われた棺は玄関から部屋の中に運びこまれ、奥の祭壇に安置された。
7月25日午前11時、実家で行われた葬儀には約100人が参列。家の周辺に飾られた花輪の芳名名札には「明石短期大学学長福冨芳美」「美方高校テニス部」などの贈り主の名が記されていた。供花が飾られた祭壇中央の遺影を前に、両親は人目もはばからず泣き崩れたという。
上の2人の姉は家を出ているので、末っ子のミッちゃんが帰ってくるのを楽しみにしていた。
– 知人
やがて出棺の時が訪れた。父親が持つ遺影を先頭に、親族に担がれた岡部三千代さんの棺は自宅を後にする。喪服姿の短大の友人や、制服姿の美方高校の後輩たちは手を合わせ、ハンカチで涙をぬぐいながら最後のお別れをした。