浅野和三郎
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浅野 和三郎(あさの わさぶろう)は、日本の心霊研究家。東京心霊科学協会を主宰した。[1]
その子・浅野新樹は満鉄の社員として勤務中に病気のため満鉄病院に入院し、そのまま亡くなった。このとき浅野はロンドンの世界心霊学大会に出席していて、鶴見の自宅に帰ったときに玄関で「ただいま」という息子の声と扉が開き、閉まる音を聞いた後、危篤の電報を受けて船で大連に直行したが、間に合わなかったという。[1]
その後も、交霊会などでは、浅野の妻を通じて息子の新樹と「霊界通信」が行なわれ、「新樹の通信」と呼ばれていた。[2]
付録
脚注
参考文献
- 小田 (1985) 小田秀人『生命の原点に還れ』たま出版、1985年1月、ISBN 4884811291