YOSHIKI
'''{{lang|la|YOSHIKI}}'''(ヨシキ、本名:林 佳樹(はやし よしき)[[1965年]][[11月20日]] - )は、[[日本]]の[[音楽家]]。[[ソングライター]]、[[作詞家]]、[[作曲家]]、[[編曲家]]で、[[音楽プロデューサー]]。1989年にメジャー・デビューした[[ロック (音楽)|ロック]][[バンド (音楽)|バンド]]、[[X JAPAN]]のリーダーで[[ドラマー]]/[[ピアニスト]]として最もよく知られている。X JAPANのほかにも、[[Violet UK]]、[[L・O・X]]、[[V2 (ユニット)|V2]]、[[globe extreme]]、[[S.K.I.N.]]として活動がある。 これまでのソロとしての大きな仕事に、『[[天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典]]』のための奉祝曲(1999年)<ref name="emperor_celebration">[http://www.houshuku.org/houshuku/movie.html 天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典] 天皇陛下御即位二十年奉祝委員会 2009-10-14</ref>、『[[2005年日本国際博覧会|日本国際博覧会(愛知万博)]]』の公式イメージ・ソング(2005年)<ref name="expo_theme">[http://www.expo2005.or.jp/jp/N0/N1/N1.3/N1.3.9/index.html 「愛・地球博」イメージソングを元X JAPANのYOSHIKI氏に依頼] 愛・地球博公式ウェブサイト 2002-02-25</ref>、[[ゴールデングローブ賞]]の公式テーマ・ソング(2012年)<ref name="golden_globes_theme">[http://www.goldenglobes.org/blog/2012/01/golden-globes-theme-composed-by-yoshiki/ Golden Globes Theme Composed By Yoshiki] Hollywood Foreign Press Association 2012-01-17</ref>などがある。 本名は1997年のX JAPAN解散記者会見で公表した。弟に元俳優の[[林光樹]]がいる<ref>小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 61</ref><ref name="tokyo_journal">『[[東京ジャーナル]]』(2013年秋号)</ref>。 == 経歴 == === 生い立ち === 1965年11月20日に、[[千葉県]][[館山市]]の老舗[[和服|呉服屋]]を営む家庭の2人兄弟の長男として生まれる<ref>小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 58</ref>。仕事で忙しい両親に代わり、主に家政婦が兄弟の面倒を見ていた<ref>小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 59</ref>。4歳で[[ピアノ]]を買い与えられ、自宅そばのピアノ教室でクラシック・ピアノのレッスンを受け始める<ref name="keyboard_magazine_2003"> 『キーボード・マガジン』 (2003年1月号) リットー・ミュージック</ref>。日頃から父親が購入する[[クラシック音楽]]のレコードを好んで聴き<ref>小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 66</ref>、8歳の時に[[フランツ・シューベルト|シューベルト]]の[[交響曲第7番 (シューベルト)|交響曲第8番ロ短調「未完成」]]と[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーベン]]の[[交響曲第5番 (ベートーヴェン)|交響曲第5番ハ短調「運命」]]が収録されたレコードを初めて自分の小遣いで購入した<ref name="keyboard_magazine_2003"/>。 病弱で重い小児喘息を患っていたために、小学校中学年になるまで頻繁に入退院を繰り返す生活を送っていた<ref>小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 64</ref>。病室では見舞う父親が手土産として持ってきた子供向けの偉人伝を愛読し、とりわけ若くして難聴となりながらも数々の名曲を残したベートーベンの苦難の人生に対して強い興味を抱いた<ref>小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 65</ref>。 9歳頃からピアノで作曲をはじめ<ref name="keyboard_magazine_2003"/>、10歳から14歳まで学校の[[ブラスバンド]]部で[[トランペット]]を担当した<ref name="keyboard_magazine_2003"/>。毎年、誕生日には楽器を買い与えられることが恒例で、トランペットを始めたのも10歳の誕生日に父親から買ってもらったことがきっかけであったが、その翌年の夏に父親を自殺により亡くした<ref name="josei_jishin_20090707">[http://jisin.jp/serial/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%A1/jisin/2235 【インタビュー】YOSHIKIが語った抜け殻の2年間―] 女性自身 2012-10-17</ref>。34歳の若さであった<ref name="josei_jishin_20090707"/>。 それまではクラシック音楽しか聴いていなかったが<ref name="keyboard_magazine_2005">『キーボード・マガジン』(2005年6月号)リットー・ミュージック</ref>、行きつけのレコード店でジャケットに惹かれて購入した[[キッス]]のシングル「[[ラヴ・ガン (曲)|ラヴ・ガン]]」と<ref>小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)pp. 80-81</ref><ref>SiriusXM Yoshiki Radio 2011-05-27 O.A.</ref>、母親に頼み連れていってもらったキッスの『ロックンロール・オーバー・ツアー』の[[日本武道館]]公演をきっかけに[[ロック (音楽)|ロック]]に魅了され、11歳で[[ドラムセット|ドラムス]]を始めた<ref name="keyboard_magazine_2003"/>。12歳で[[エレクトリックギター|ギター]]も始めたが、細かい作業が性に合わず早々に手を引いた<ref>小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)pp. 87-88</ref>。 11歳で初めてのバンド「DYNAMITE」を小学校の同級生2人と幼馴染みでギターが弾けた[[Toshl]]の4人で結成し、近所の貸しスタジオでキッスの楽曲を練習して腕を磨いた<ref name="komatsu_p87">小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 87</ref>。YOSHIKIはドラムスとボーカルを兼任していたが、声変わりが遅く高声しか出すことが出来なかった<ref name="komatsu_p87"/>。中学校に進学後、新たに同級生をボーカルに迎え、バンド名を「NOISE」に改称<ref name="komatsu_p89">小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 89</ref>。YOSHIKIはドラムス専任となり、[[レッド・ツェッペリン]]や[[ディープ・パープル]]などの楽曲を演奏した<ref name="komatsu_p89"/>。より複雑なリズムを叩くため、14歳の誕生日に母親に頼んで[[ダブル・ベース・ドラム|ダブル・ベース]]のドラムセットを手に入れ<ref>小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 96</ref>、中学校の体育館で開かれた予餞会で初めてのステージを踏んだ<ref>小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 97</ref>。高校進学後もNOISEとして、レッド・ツェッペリンや、[[UFO (バンド)|UFO]]、[[レインボー (バンド)|レインボー]]などの楽曲を学校の文化祭などで演奏した<ref>小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 110</ref>。 === X JAPANの結成 === {{Main|X JAPAN}} 1982年の夏、大学受験に専念するメンバーが離脱したNOISEを解散。当時[[アイアン・メイデン]]のアルバム『[[鋼鉄の処女]]』や『[[キラーズ (アイアン・メイデンのアルバム)|キラーズ]]』に感化されていたYOSHIKIは、ボーカルに転向したToshlと他校の生徒によるツインリードギター編成で、よりハードなロックを指向したバンド「X」(現在の[[X JAPAN]])を新たに結成する<ref name="rockinf_2000_11">『ロッキンf』(2000年11月号)立東社</ref>。Xでは既存の楽曲の演奏だけでなく、オリジナル楽曲の作曲も始め、演奏のレパートリーを着実に増やしていった。YOSHIKIがXのために初めて作曲した楽曲「[[I'LL KILL YOU]]」は、1985年にXの1作目のシングルとしてリリースされている。 高校3年から音楽大学を目指して本格的にピアノに打ち込み、受験用のプログラムを通して、[[ソルフェージュ]]、[[和声]]、[[楽典]]などの[[音楽理論]]を学んだ<ref name="keyboard_magazine_2003"/><ref>小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 123</ref>。受験勉強の合間には、Xとしていくつかのバンド・コンテストに出場。ヤマハ主催のアマチュアのバンド・コンテスト『[[EastWest]]』の千葉県大会ではバンドとしての受賞こそ逃したものの、ベスト・ドラマー賞を受賞した<ref>小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)pp. 125-126</ref>。Toshlもまた、その後に参加したコンテストでベスト・ボーカル賞を受賞していた<ref name="komatsu_p128">小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 128</ref>。このことにバンドとしての可能性に自信を深めていたToshlは、大学に進学せず東京でバンドを続ける決意を固めたことをYOSHIKIに告げる<ref name="komatsu_p128"/>。YOSHIKIもこれに呼応して、推薦入学が決まっていた音楽大学への道を断つ決心をした<ref>小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 131</ref>。 高校を卒業するとバンド活動の本格化のためToshlと共に上京。東京でバンドのメンバーを探していた時期は、[[エクスプロイテッド]]や、[[カオスUK]]、[[ディスチャージ (バンド)|ディスチャージ]]、[[G.I.S.M.]]、[[GAUZE (バンド)|GAUZE]]などの[[パンク・ロック]]に傾倒していた<ref name="rockinf_2000_11"/><ref>『uv』(Vol. 79)ソニー・マガジンズ</ref>。ライブ・ハウス時代には、Xが出演していたライブ・ハウス「神楽坂EXPLOSION」で[[Doom (日本のバンド)|Doom]]のメンバーが店員であった繋がりから、Doomの初ライブでヘルパーとしてドラムを叩いている<ref name="rockinf_2000_11"/>。また、Xの活動と並行して[[Lip Cream]]のNAOKI、ORANGEのACTとともにパンク・バンド「[[L・O・X]]」を結成して活動していた。 Xのレコードをリリースするため、1986年にインディーズのレコード会社「[[エクスタシーレコード]]」を設立<ref>『POP MUSIC Artist 公式ホームページ INDEX 2000〜2001』主婦と生活社</ref>。1988年にエクスタシーレコードからリリースしたXの1作目のアルバム『[[Vanishing Vision]]』は、インディーズ・レーベルの作品として日本のメジャー・チャートにランクインした初めてのアルバムとなった。翌1989年にXの2作目のアルバム『[[BLUE BLOOD]]』で[[ソニー・ミュージックエンタテインメント (日本)|CBSソニー]]からメジャー・デビュー<ref>[http://www.discogs.com/X-Blue-Blood/release/1321700 Blue Blood] Discogs 2012-10-21</ref>。年末には[[日本有線大賞]]の最優秀新人賞<ref>[http://ranking.cansystem.info/grandprix/?md=h&ts=22 第22回日本有線大賞] 有線ランキング 2013-09-09</ref> 、[[全日本有線放送大賞]]の最優秀新人賞<ref>『R25』(2005年7月22日号)リクルート</ref>、[[日本ゴールドディスク大賞|第4回日本ゴールドディスク大賞]]の最優秀新人賞などを受賞した<ref>[http://www.golddisc.jp/award/04/index.html 第4回日本ゴールドディスク大賞] golddisc.jp 2013-09-09</ref>。X JAPANの1993年のアルバム『[[ART OF LIFE]]』からはプロデューサーとしての立場も担っている<ref>[http://www.discogs.com/X-Japan-Art-Of-Life/release/2707122 Art Of Life] Discogs 2012-10-21</ref>。 === ソロ活動(1991-99年) === 1991年の10月31日に[[TM NETWORK|TMN]]の[[小室哲哉]]とともに記者会見を開き、2人で新ユニット「[[V2 (ユニット)|V2]]」を結成することを発表<ref>小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年) p. 280</ref>。12月5日に[[東京ベイNKホール]]でV2のコンサート『V2 SPECIAL LIVE VERGINITY』を開催した。同年、初のソロ名義作として、自身の選曲によるクラシック音楽のコンピレーション・アルバム『[[Yoshiki Selection]]』を12月12日に発表。このアルバムは[[日本ゴールドディスク大賞|第6回日本ゴールドディスク大賞]]で洋楽アルバム賞(クラシック部門)を受賞した<ref>[http://www.golddisc.jp/award/06/index.html 第6回日本ゴールドディスク大賞] 日本レコード協会 2012-09-16</ref>。 1992年にV2としてシングル「[[背徳の瞳〜Eyes of Venus〜]]」をリリース<ref>[http://www.oricon.co.jp/music/release/d/108057/1/ 「背徳の瞳」リリース情報] ORICON STYLE 2012-07-23</ref>。また、[[ロサンゼルス]]に自身のレコーディング・スタジオと自宅を購入し、制作と生活の拠点をアメリカに移した。MIDIやシンクラヴィアなどコンピュータ・ベースの制作環境に関心を持ち、バンドの枠を超えたプロジェクト「[[Violet UK]]」を構想する<ref>市川哲史『私が「ヴィジュアル系」だった頃。』(竹書房、2005年)p. 109</ref>。この時期からから[[管弦楽法|オーケストレーション]]と、[[キース・ジャレット]]の『[[ザ・ケルン・コンサート]]』をきっかけに[[ジャズ]]の理論や[[即興演奏#ジャズにおける即興演奏|インプロビゼーション]]を学び始める<ref name="keyboard_magazine_2003"/>。 1992年7月23日に[[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]]と初めてとなるソロ契約の締結を発表<ref>NHK「わたしはあきらめない」制作班『YOSHIKI―わたしはあきらめない』(KTC中央出版、 2003年)p. 102-103</ref>。7月30日に[[日本武道館]]で『YOSHIKI TALK LIVE at 日本武道館』を開催し、1993年にX JAPANの作品としてリリースされた自らの半生を描いた楽曲「[[ART OF LIFE]]」をピアノ協奏曲形式で初演した。また、年末に[[NHKホール]]で行われた『[[第43回NHK紅白歌合戦]]』の全出場歌手で歌う合唱曲「Tears〜大地を濡らして〜」を作詞・作曲し、会場のパイプオルガンで伴奏した。「Tears〜大地を濡らして〜」もまた、X JAPANのシングル「[[Tears (X JAPANの曲)|Tears]]」として1993年にリメイクされた。東芝EMIからは、[[ビートルズ]]のプロデューサーとして知られる[[ジョージ・マーティン]]とのクラシック・アルバム『[[Eternal Melody]]』と、シングル「[[Amethyst]]」が1993年にリリースされた。ジョージ・マーティンは日本武道館での「ART OF LIFE」の演奏をビデオを観てプロデュースを快諾した<ref>『WHAT's IN?』(1993年4月号)ソニー・マガジンズ</ref>。1993年にはTBS系で10月から放送されたドラマ『[[徹底的に愛は…]]』の主題歌として[[NOA (デュオ)|NOA]]のシングル「[[今を抱きしめて]]」をプロデュースし、[[第36回日本レコード大賞]]で優秀賞を受賞した<ref>[http://www.jacompa.or.jp/recotai_his/36.html 『第36回日本レコード大賞』] 公益社団法人 日本作曲家協会 2012-09-22</ref>。 1994年には[[クイーン (バンド)|クイーン]]のドラマーである[[ロジャー・テイラー]]とのコラボレーション・シングル「[[Foreign Sand]]」をリリースし<ref>[http://www.discogs.com/Yoshiki-Roger-Taylor-Foreign-Sand/release/3394895 Foreign Sand] Discogs 2012-09-18</ref>、[[国際連合|国連]][[UNESCO]]の呼びかけによりにより催された『[[The Great Music Experience|GME '94 〜21世紀への音楽遺産をめざして〜 AONIYOSHI]]』で共演した。また、[[キッス]]のトリビュート・アルバム『[[トリビュート -KISS MY ASS-]]』に、オーケストラ・アレンジした「ブラック・ダイヤモンド」で参加した<ref>[http://www.discogs.com/Various-Kiss-My-Ass-Classic-Kiss-Regrooved/release/2331017 Kiss My Ass: Classic Kiss Regrooved] Discogs 2012-09-18</ref>。このアレンジで初めて全パートを自らオーケストレーションした<ref>『FOOL'S MATE』(1994年7月号)フールズメイト</ref>。同年にメジャー・レーベル「[[プラチナム・レコード]]」を設立し、[[GLAY]]をメジャー・デビューさせた<ref>『日経エンタテインメント!』(1998年3月号)日経BP社</ref>。同レーベルからは、1996年に自身2作目となるクラシック音楽のコンピレーション・アルバム『[[Yoshiki Selection II]]』もリリースされた。 1997年4月20日にボーカリストのToshlがX JAPANを脱退。同年9月22日に記者会見を開き、X JAPANの解散を発表した。2000年に新たなボーカリストを加えた形で再結成することや<ref name="fools2007_09">『FOOL'S MATE』(2007年9月号)フールズメイト</ref>、自身も日本やアメリカで音楽プロデューサーとして本格的に活動することを予定していたが<ref name="nikkei_200008">『日経エンタテインメント!』(2000年8月号)日経BP社</ref>、1998年5月2日にギタリストの[[Hide|HIDE]]が他界したたことで精神的に落ち込み、頓挫。[[北野井子]]や[[DIR EN GREY|Dir en grey]]のプロデュースを手がけるものの、表舞台には一切上がらずにいた。そんな中、『[[天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典]]』の奉祝曲の制作依頼を受け、1999年11月12日に[[皇居外苑|皇居前広場]]で行われた式典で作曲したピアノ協奏曲「Anniversary」を演奏<ref name="emperor_celebration"/>。この時に受けた歓声が再起の契機となった<ref>NHK「わたしはあきらめない」制作班『YOSHIKI―わたしはあきらめない』(KTC中央出版、 2003年)pp. 66-67</ref>。 === ソロ活動(2000-09年) === [[File:Yoshikix.jpg|thumb|left|『[[オタコン|オタコン2006]]』でサインに応じるYOSHIKI。]] 2000年6月にメジャー・レーベル「[[エクスタシー・ジャパン]]」の設立を発表<ref name="established_extasy2000">[http://ascii.jp/elem/000/000/310/310232/ YOSHIKI、音楽レーベルを主催――インターネットでコンテンツ配信も] ASCII.jp 2012-02-05</ref>。[[ぽるん|Shiro]]や、BEAST、[[Revenus]]など、レーベル所属のアーティストのデビューに携わった。また1998年2月にロサンゼルスに設立したレーベル「[[エクスタシー・レコード・インターナショナル]]」に所属する、アバンダンド・プールズ、ローラ・ドーン、キドニーシーヴスらのアルバムをプロデュースした<ref name="nikkei_200008"/>。Violet UKの制作も再開し、自ら演出、出演もした[[セブン-イレブン|セブン-イレブンセブン・ジャパン]]の企業イメージCMに「Blind Dance」と「The Other Side」を提供した。Violet UKとしては1998年公開の映画『[[イン・ゴッズ・ハンズ]]』に楽曲「sane」を提供している。 2002年9月1日、お台場で行なわれたライブ・イベント『[[a-nation|a-nation avex SUMMER FESTA 2002]]』のステージで[[globe]]に加入することを発表<ref>[http://www.barks.jp/news/?id=52289839 globeに元X-JAPANの“彼”が加入…! その発表映像が到着!] Barks.jp 2002-09-03</ref>(2005年にYOSHIKIを加えての活動の際の名称が[[globe extreme]]になることが発表された<ref>市川哲史『私も「ビジュアル系」だった頃。』(竹書房、2006年)p. 105</ref>)。同年12月に[[東京国際フォーラム]]で『Yoshiki Symphonic Concert 2002 with Tokyo City Philharmonic Orchestra featuring Violet UK』を開催。弦楽器に比重が置かれた16型編成のオーケストラを[[藤原いくろう]]とコンスタンチン・D・クリメッツが指揮したこのコンサートには、Violet UKからドーターと[[ニコール・シャージンガー]]も参加し、ニコールは「[[I'll Be Your Love]]」の英語バージョンを歌った。「I'll Be Your Love」は[[2005年日本国際博覧会|2005年日本国際博覧会「愛・地球博」]]の公式イメージ・ソングとして、YOSHIKIが抜擢したハワイ出身の歌手・[[DAHLIA (歌手)|DAHLIA]]が歌ったものがシングルとして2003年10月29日にリリースされた<ref name="expo_song">[http://www.expo2005.or.jp/jp/N0/N2/N2.2/N2.2.64/index.html 9月25日 前売入場券発売を記念 2005年日本国際博覧会「愛・地球博」公式イメージソングCD発売決定!] 愛・地球博公式ウェブサイト 2012-10-05</ref>。ニコールが歌う英語バージョンは、同年9月26日にリリースされた愛知万博の公式アルバム『「愛・地球博」presents GLOBAL HARMONY』に収録された<ref name="expo_song"/>。 2003年2月1日に放送された、NHKのテレビ放送50周年記念番組『あなたとともに50年 今日はテレビの誕生日』のエンディング・テーマとして、[[チョ・ソンモ]]と[[島袋寛子]]が歌う「君だけだから」を作曲し、番組ではピアノで伴奏した。2004年には[[宝塚歌劇]][[花組]]公演『[[TAKARAZUKA舞夢!]]』で[[春野寿美礼]]が歌う「世界の終りの夜に」を作曲<ref>[http://www.sponichi.co.jp/osaka/ente/takarazuka/backnumber/040529/takarazuka.html 元X-JAPANのYOSHIKIが楽曲を提供 花組公演「タカラヅカ舞夢!」] スポーツニッポン 2004-05-29</ref>。また、[[エイベックスグループ|エイベックス]]を介して依頼を受けた韓国のロック・バンド「[[TRAX]]」の日本デビュー・シングル「[[Scorpio]]」をプロデュースした<ref>[http://www.cdjapan.co.jp/detailview.html?KEY=AVCD-30639 「Scorpio」リリース情報] cdjapan.co.jp 2012-10-05</ref>。 2005年には[[愛知万博の開会式]]で[[EXPOスーパーワールドオーケストラ]]が演奏する「I'll Be Your Love」のクラシック・アレンジバージョンを指揮した。事前に[[ヘルベルト・フォン・カラヤン]]や、[[レナード・バーンスタイン]]、[[小澤征爾]]らのビデオを観てトレーニングを積んだ<ref name="komatsu_book_434">小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年) p. 434</ref>。また、[[シェリー・バーグ]]や[[川本統脩]]から本格的な指導を受けたほか、[[佐渡裕]]からもアドバイスを受けて指揮に臨んだ<ref name="komatsu_book_434"/>。同年、2作目となるクラシック・アルバム『[[ETERNAL MELODY II]]』と<ref name="yoshiki_columbia">[http://columbia.jp/yoshiki/ コロムビアミュージックのYOSHIKIアーティストサイト] コロムビアミュージックエンタテインメント 2012-10-05</ref>、『Yoshiki Symphonic Concert 2002 with Tokyo City Philharmonic Orchestra featuring Violet UK』のライブDVDを<ref name="yoshiki_columbia"/>、2003年2月に専属契約を結んだ[[日本コロムビア|コロムビアミュージックエンタテインメント]]からリリースした<ref>[http://columbia.jp/company/corporate/news_release/2003/030728.html X JAPAN伝説のライブ・パフォーマンス「ART OF LIFE」~10年の歳月を経て初映像化~] コロムビアミュージックエンタテインメント 2012-10-05</ref>。 2006年には、劇場長編アニメーション映画『[[ベルサイユのばら#劇場版アニメ(21世紀版)|ベルサイユのばら]]』の音楽を担当すると発表<ref>『FOOL'S MATE』(2007年9月号)フールズメイト</ref>。同年8月5日に[[ボルチモア]]で開催されたアニメ・コンベンション『[[オタコン|オタコン2006]]』に特別ゲストとして招かれた<ref>[http://www.jmusicamerica.com/us/articles-88-yoshiki-the-honored-guest-at-otakon-2006.html YOSHIKI, the honored guest at OTAKON 2006] JMusicAmerica.com 2006-09-24</ref>。 2007年には、5月25日と26日にロサンゼルスのウィルターン・シアターで『J-Rock Revolution Festival』を主宰<ref>[http://www.jrockrevolution.com/news/news-archive/69-site-news/12-jrock-revolution-festival-announcement.html J-Rock Revolution Festival Announcement] JrockRevolution.com 2007-04-20</ref>。[[アリス九號.]]や、[[ヴィドール (バンド)|ヴィドール]]、[[DuelJewel]]、[[Kagrra,]]、[[雅-miyavi-]]、[[D'espairsRay]]、[[メリー]]、[[Girugämesh]]、[[ムック (バンド)|ムック]]らが出演した。YOSHIKIは[[GACKT]]、[[SUGIZO]]、雅-miyavi-とのロック・バンド「[[S.K.I.N.]]」の結成と、同年6月に[[ロングビーチ_(カリフォルニア州)|ロングビーチ]]で開催される『[[Anime_Expo|Anime Expo 2007]]』においてS.K.I.Nのファースト・ライブを行うと発表した<ref>[http://www.oricon.co.jp/news/confidence/44947/ YOSHIKI、新バンド「SKIN」今夏始動を発表!] Oricon.co.jp 2007-05-27</ref>。 また、2007年公開のアメリカ映画『[[カタコンベ (映画)|カタコンベ]]』や『[[ソウ4]]』の主題歌制作<ref>[http://www.cdjournal.com/main/news/news.php?nno=16651 【予告編】P!NKも熱演!パリの地下墓地を舞台にした恐怖映画『カタコンベ』公開!] CD Journal 2007-09-28</ref>、2008年公開のアメリカ映画『[[REPO! レポ]]』の音楽総監督や製作総指揮を務めるなど<ref>[http://cinematoday.jp/page/N0011506 あのYOSHIKIが、パリス・ヒルトン次回作のプロデューサーに!] シネマトゥデイ 2007-09-21</ref>、アメリカにおける活動が増した。『ソウ4』の主題歌には、Toshlとの10年ぶりの再会をきっかけに再結成に向けて動き出していたX JAPANの楽曲「[[I.V.]]」が使用され<ref>[http://www.barks.jp/news/?id=1000035052 YOSHIKI、X JAPAN再結成の真相を語る] Barks.jp 2007-10-23</ref>、2007年10月18日には公式ウェブサイトで正式に再結成が発表された。 2008年には、日本テレビ開局55年記念ドラマ『[[東京大空襲 (テレビドラマ)|東京大空襲]]』の主題歌として、[[秋川雅史]]が歌う「愛する人よ」を制作したほか<ref>[http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20080313-334730.html YOSHIKI「東京大空襲」主題歌披露] 日刊スポーツ 2008-03-13</ref>、[[黒澤明]]生誕100年祭『AK100 Project』の音楽アドバイザーを務めると発表した<ref>[http://www.ak100wt.com/ja/about/ AK100 World Tour | ツアー概要] ak100wt.com</ref>。2009年には、日本テレビ系情報番組『[[ズームイン!!SUPER]]』の天気コーナーに「Blue Sky Heaven」を提供した<ref>[http://www.ntv.co.jp/zoomin/info/index_090330.html 「ズームイン!!SUPER」30周年記念 ♪春のお天気テーマ♪のお知らせ] ズームイン!!SUPER 2009-03-30</ref>。 === ソロ活動(2010年-現在) === [[File:Yoshiki at Grammy Museum 2013-08-26 09.jpg|thumb|[[グラミー・ミュージアム]]でピアノを演奏するYOSHIKI(2013年)。]]2011年5月27日から、アラスカとハワイを除く全米で展開しているアメリカの衛星ラジオ局[[シリウスXMラジオ|シリウスXM]]のハード・ロック専門チャンネル「ザ・ボーンヤード」で『YOSHIKIラジオ』と題された音楽番組のホストを務めた<ref name="YoshikiRadio_FCI_2011-05-11">[http://www.fujisankei.com/video_library/art/yoshiki-radio.html YOSHIKIが米で初ラジオ番組] fujisankei.com 2011-05-11</ref><ref>[http://www.barks.jp/news/?id=1000069899 YOSHIKI、米衛星ラジオ放送シリウスXMで「YOSHIKIラジオ」スタート] barks.jp 2011-05-14</ref>。YOSHIKIが影響受けた音楽や、アニメなどの日本のポップ・カルチャーも紹介した<ref name="YoshikiRadio_FCI_2011-05-11"/>。2010年10月にニューヨークで行われたX JAPANのコンサートを見て関心を持ったラジオ局の関係者が、YOSHIKIに新番組の依頼をしたことがきっかけとなった<ref name="YoshikiRadio_FCI_2011-05-11"/>。番組は月に1回、1時間全編を通して英語で放送された。27日の東部時間20時から1回目が放送され、2回目となる6月5日から7回目の11月6日まで、毎月第1日曜日の東部時間21時から放送された<ref>[http://www.siriusxm.com/boneyard Yoshiki Radio] SiriusXM 2011-05-28</ref>。 2012年には[[ハリウッド外国人映画記者協会]]から[[ゴールデングローブ賞]]の公式テーマ・ソングの制作依頼を受け、制作した楽曲「[[ゴールデングローブのテーマ]]」が[[第69回ゴールデングローブ賞]]の授賞式から使用されている<ref>[http://www.oricon.co.jp/news/music/2019905/full/ YOSHIKI、米G・グローブ賞のテーマ曲が2年連続起用 ソロ名義初のiTunes配信も] ORICON STYLE 2012-12-21</ref>。同楽曲は2013年1月に[[iTunes Store]]を通じて、ソロ名義では初めて全世界111ヶ国に配信された<ref>[http://www.billboard-japan.com/d_news/detail/9146 YOSHIKIの手掛けるテーマ曲が、2年連続で米【ゴールデン・グローブ賞】彩る] Billboard JAPAN 2012-12-21</ref>。同年8月27日には『Eternal Melody』と『ETERNAL MELODY II』の収録曲に、「ゴールデングローブのテーマ」とX JAPANのワールド・ツアーのオープニングで使用された新曲「Miracle」を加えたベスト・アルバム『[[YOSHIKI CLASSICAL]]』をリリースした<ref>[http://mantan-web.jp/2013/07/24/20130724dog00m200040000c.html YOSHIKI 8年ぶりソロアルバム 新曲「Miracle」含むクラシックベスト盤] 毎日新聞デジタル 2013-07-28</ref>。アルバムの発売を記念して、前日の26日にロサンゼルスの[[グラミー・ミュージアム]]で『An Evening with Yoshiki』と題されたソロ公演を行い、公演の模様は[[ニコニコ生放送]]と[[Ustream]]で生中継された<ref>[http://www.barks.jp/news/?id=1000093762 【イベントレポート】<An Evening with Yoshiki(YOSHIKIとの夜)>、ニコニコ生放送で感動のフィナーレ] Barks.jp 2013-08-27</ref>。 2014年2月19日にグラミー・ミュージアムでソロ公演を兼ねた記者会見を開き、ソロとしては初めてとなるワールド・ツアー『YOSHIKI CLASSICAL WORLD TOUR』を開催すると発表<ref>[http://www.oricon.co.jp/news/2034245/full/ YOSHIKI、初の単独世界ツアー開催へ] ORICON STYLE 2014-02-23</ref>。4月25日の[[カリフォルニア州]][[コスタメサ (カリフォルニア州) |コスタメサ]]を皮切りに、アメリカ、メキシコ、ロシア、ドイツ、フランス、イギリス、中国、タイ、台湾、日本を廻った<ref>[http://www.billboard-japan.com/d_news/detail/20633 YOSHIKI ワールドツアーがフィナーレ、8月にディナーショー開催を発表] Billboard Japan 2014-06-18</ref>。また、アジアのアーティストとしては初めて愛用のピアノやステージ衣装などがグラミー・ミュージアムに展示された<ref>[http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140220/k10015407761000.html グラミー・ミュージアムでYOSHIKI展] NHKニュース 2014-02-23</ref>。同年3月14日には、テキサス州オースティンで開催された音楽コンベンション『[[サウス・バイ・サウスウエスト|SXSW]]』に出演<ref>[http://www.oricon.co.jp/news/2035164/full/ YOSHIKI、ソロ初の海外イベントで“バーチャルYOSHIKI”と連弾] ORICON STYLE 2014-03-17</ref>。イベント終了後に行われたアフター・パーティでは会場にピアノを2台設置して、自身のホログラムとの連弾を披露した<ref>[http://www.musicman-net.com/artist/34521.html YOSHIKI、ホログラムによるバーチャルYOSHIKIとの共演映像公開] Musicman-NET 2014-06-18</ref>。 == 慈善活動 == [[File:John Roos with Yoshiki.jpg|thumb|right|YOSHIKI(左端)と[[ジョン・ルース]](右から2人目)。2010年[[独立記念日 (アメリカ合衆国)|独立記念日]]パーティーにて。]] 幼くして父を亡くした経験から、とりわけ遺児救済に関わる活動に積極的である。2009年1月16日のX JAPANの香港公演『[[X JAPAN WORLD TOUR LIVE IN HONG KONG]]』では200人の孤児をコンサートに招待し、地元のNPO団体「[[仁愛堂]]」にコンサート収益の一部を寄付<ref>[http://blog.magazineworld.jp/yoshiki/1922/ YOSHIKI 愛と生と死] magazineworld.jp 2009-02-10</ref>。2009年3月29日から3日間、中国政府の要請により[[四川大地震]]の被災地と孤児院を慰問し、仮設校舎の敷地内にプレハブで建て、ピアノやオルガン、木琴などさまざまな楽器も寄贈した<ref>[http://www.barks.jp/news/?id=1000048432 YOSHIKI、子供たちに音楽室をプレゼント] Barks.jp 2009-04-06</ref>。 その後、より継続的な支援を目標にチャリティ基金「Yoshiki Foundation America」を2010年7月1日に設立。YOSHIKIは設立にあたり、グラミー基金、聖ヴィンセント・ミールズ・オン・ホイールズ、[[メイク・ア・ウィッシュ|メイク・ア・ウィッシュ・オブ・アメリカ]]に、それぞれに寄付した<ref>[http://ticket-news.pia.jp/pia/news.do?newsCd=201007050001 YOSHIKI基金設立パーティで、X JAPANが新曲を初披露!] チケットぴあ 2012-09-24</ref>。[[ナショナル・アカデミー・オブ・レコーディング・アーツ・アンド・サイエンス]]が運営するグラミー基金とは共同で、楽器の購入支援、音楽レッスンの提供、音楽関連のイベントへの参加支援など、音楽を通じた支援活動を予定している。なお、Yoshiki Foundation Americaは[[アメリカ合衆国|アメリカ]][[w:en:Internal Revenue Code|内国歳入法]][[w:en:501(c)#501(c)(3)|501条(c)項(3)号]]団体として認定されている<ref>[http://www.yoshikifoundationamerica.org/?page_id=1279 Donate Funds] yoshikifoundationamerica.org 2012-09-24</ref>。 2011年3月11日に発生した[[東日本大震災]]の被災者のために[[Yahoo! JAPAN]]のチャリティ・オークションにX JAPANのコンサートで使用したクリスタル・ピアノ「カワイ・CR-40A」や愛用品を出品し、落札金額を[[日本赤十字社]]に全額寄付した<ref>[http://www.barks.jp/news/?id=1000068936 YOSHIKI愛用のクリスタルピアノ、4月17日よりYahoo! JAPAN「チャリティ・オークション」に登場] Barks.jp 2011-04-22</ref>。また、交流のあるハリウッドの著名人にも被災地の義援金協力を呼びかけ<ref>[http://www.barks.jp/news/?id=1000083027&ref=rss YOSHIKI、米ボランティア支援団体セレモニーで食事権を寄付] Barks.jp 2012-09-12</ref>、[[マリリン・マンソン]]、[[アンソニー・キーディス]]、[[スタン・リー]]、[[ロバート・パティンソン]]、[[ジェームズ・フランコ]]、[[リース・ウィザースプーン]]などが寄付を申し出た<ref>[http://www.barks.jp/news/?id=1000069118 Yoshikiのクリスタルピアノに続き、マリリン・マンソンやアンソニー・キーディスも参加] Barks.jp 2013-09-05</ref>。 そうした取り組みにより、2012年9月7日にアメリカ最大のボランティア支援団体「[[ポインツ・オブ・ライト財団]]」が開催したイベントに、在アメリカ合衆国特命全権大使の[[藤崎一郎]]に招待され出席<ref>[http://mdpr.jp/021201870 YOSHIKIと食事する権利に1万ドル超の入札] モデルプレス 2012-09-12</ref>。慈善団体への募金を目的に開催されたチャリティ・オークションに「YOSHIKIとプライベートでディナーをともにする権利」を出品し、落札金を寄付すると発表した<ref>[http://www.sanspo.com/geino/news/20120909/oth12090904060012-n2.html 入札殺到! YOSHIKI独り占めディナー権] SANSPO.COM 2012-09-12</ref>。同年10月26日には、一般財団法人[[メイク・ア・ウィッシュ|メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパン]]の20周年を記念したYahoo! JAPANのチャリティ・オークションに、Yoshiki Foundation Americaを通じて「YOSHIKIのピアノでX JAPANの曲を歌う権利」を出品し、その落札額を寄付すると発表した<ref>[http://www.barks.jp/news/?id=1000084220&p=0 YOSHIKI、「YOSHIKIのピアノでX JAPANの曲を歌う権利」を出品] Barks 2012-11-07</ref>。 2013年1月にリリースした[[ゴールデングローブ賞]]の公式テーマ・ソング「[[ゴールデングローブのテーマ]]」の収益の全額を、同賞の主催者である[[ハリウッド外国人映画記者協会]]を通じて慈善団体などに寄付すると発表した<ref>[http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20121220-OHT1T00303.htm YOSHIKI、Gグローブ賞テーマ曲を初世界配信] スポーツ報知 2012-12-21</ref><ref>[http://www.sanspo.com/geino/news/20121221/oth12122105060011-n1.html YOSHIKI、111カ国配信&全収益寄付] SANSPO.COM 2012-12-21</ref>。 == 使用楽器 == === ピアノ=== CR-40A、カワイ・CR-40A 1990年までのステージではスペースの都合でアコースティック・ピアノが使えなかったため、[[ローランド]]のエレクトリック・ピアノ「ローランド・RD-1000」を使用していた<ref>『ロッキンf』(1989年11月号)立東社</ref>。ピアノ以外にも[[チェンバロ]]などに音色を変えて演奏する事も多かった。 1991年以降のステージでは、外装部分が透明[[アクリル樹脂]]で出来ている[[河合楽器製作所|カワイ]]の[[クリスタル・ピアノ]]「カワイ・CR-40A」を主に使用している。東京の自宅では特注した[[MIDI]]仕様のCR-40Aを置いている<ref name="keyboard_magazine_2003"/>。2011年のX JAPANのヨーロッパ・ツアーと中南米ツアーではCR-30を使用した。1993年にはカワイによるシグネチャー・モデルのフルコンサート・ピアノが製作された。幼少から自宅のカワイのピアノで練習をしていたことからカワイのタッチに慣れており、レコード会社と[[エンシノ (ロサンゼルス)|エンシノ]]の自宅にもそれぞれカワイのピアノを置いている<ref>NHK「わたしはあきらめない」制作班『YOSHIKI―わたしはあきらめない』(KTC中央出版、 2003年)p. 58</ref><ref name="keyboard_magazine_2003"/>。1997年のテレビ出演時にはカワイのシンセサイザー「カワイ・K5000W」を使用した。 レコーディング・スタジオには、カワイ・RX、[[ヤマハ]]のフルコンサート・ピアノとMIDIピアノ、[[スタインウェイ・アンド・サンズ|スタインウェイ]]のフルコンサート・ピアノが置かれている<ref name="keyboard_magazine_2003"/>。スタインウェイのフルコンサート・ピアノは[[カーネギー・ホール]]で使われていたものを買い取ったもので、著名なアーティストのオートグラフが数多く入っている<ref name = "tbs_value">TBS『世界バリバリ★バリュー』2007-01-24 O.A.</ref>。 === ドラムセット === [[File:Yoshiki with drum kit 2011.jpg|thumb|left|TAMA・カスタム・アクリル・キットとYOSHIKI(2011年、サンパウロ)。]]基本的に[[星野楽器|TAMA]]の2バス (16"x24", 16"x24")、スネア (6.5"x14")、2フロア (16"x16", 16"x18")、4タムタム (10"x10", 12"x12", 13"x13", 14"x14") の構成である<ref>[http://www.tamadrum.co.jp/artist/roster_jp.php?artist_id=369 Artist profile of Yoshiki] tamadrum.co.jp 2013-05-09</ref>。 音質を重視するレコーディング用と、視覚的効果を重視するステージ用とを使い分けており、X JAPANのアルバム『[[Jealousy (Xのアルバム)|Jealousy]]』のレコーディングからはTAMAの[[チタン]]シェルのセットをラック・システムで使用<ref name="gigs_1996">『月刊ギグス』 (1996年5月号) シンコーミュージック・エンタテイメント</ref>。チタン特有のドライな音を補うため、比較的薄いドラムヘッドに付け替えている<ref name="gigs_1996"/>。また、X JAPANのシングル「[[Rusty Nail]]」のレコーディングからは、オン・マイクで拾ったスネア・ドラムとバス・ドラムの音をトラッキング・ルームにセットした大型のPAスピーカーからルーム全体に流し、[[残響|部屋鳴り]]も同時にルーム・マイクで録るシステムを採用している<ref name="gigs_1996"/>。この手法によって、オン・マイクのアタック感と、通常のドラム・レコーディングでは得られない奥行きのある部屋鳴りをミックスしている<ref name="gigs_1996"/>。このシステムは1994年からドラム・テクニシャンに迎えたロス・ガーフィールドが組んでいる<ref name="gigs_1996"/>。 ステージではこれまでにTAMA アートスター・カスタムのレッドとクローム、TAMA カスタム・アクリル・キット(通称{{la|"}}クリスタル・ドラム{{la|"}})を使用。初期にはレッドが、以降はクロームが破壊パフォーマンスに使用されている。ステージでメインとなるクリスタル・ドラムは、ライブで「ライトによって何色にでも光る」という理由で、エンドースメント契約したTAMAに特注した。その後台数限定で市販もされたが、[[シェル構造|シェル]]がアクリル樹脂素材のため、「あのモデルを買った人は大変だと思いますよ。強く叩かないと鳴らないから」と語っている<ref name="drum_magazine_2008">『リズム&ドラム・マガジン』 (2008年6月号) リットー・ミュージック</ref>。ドラムヘッドはエヴァンス。フット・ペダルにはヤマハのベルト・タイプ「ヤマハ・FP-910」を使用<ref name="drum_magazine_2008"/>。TAMAとエンドースメント契約する以前のインディーズ時代のステージでは[[パール (楽器メーカー)|パール]]のドラムセットに[[ロート・トム|ロートタム]]をセットしていた。2007年のS.K.I.N.のライブからは、バスドラムのフロント・ヘッドにバンドのロゴを入れるようになった。 シンバル系は初期はパールのWILDシリーズを使用していたが、後に[[ジルジャン]]に統一された。ハイハット・スタンドはTAMAのIRON COBRA HH805<ref name="drum_magazine_2008"/>。 [[File:Tama H-YKB.JPG|thumb|TAMA・H-YKB]] [[ドラムスティック]]はTAMAから市販もされている自身のシグネチャー・モデル「TAMA・H-YKB」を使用している<ref>[http://www.tamadrum.co.jp/japan/products/sticks/signature.html Signature Sticks] tamadrum.co.jp 2013-05-09</ref> 。ヒッコリー材でチップはボールタイプ。全長:398 mm、径:14.25 mm。ショルダー部分が比較的太く、先端にウエイトが置かれている。TAMAからは汗による滑りを防止する特殊塗装マティロを採用したドラム・スティック「TAMA・H-YKM」と、YOSHIKIのネームロゴが入ったティック・ケース「TAMA・TB-YK」も販売されている。X JAPANのシングル「[[JADE (X JAPANの曲)|JADE]]」のミュージック・ビデオでは、[[パール (楽器メーカー)|パール]]の110Hや、110HBを使用している。 === ギター === レコーディングやViolet UKのステージではギターを弾くこともある。1992年10月には[[フェルナンデス (楽器メーカー)|フェルナンデス]]によるシグネチャー・モデル「Burny BG-125X」が製作され、同年12月から市販もされた。[[ピックアップ (楽器)|ピックアップ]]はフェルナンデスのオリジナル・モデル「THD-1」がフロントとリアに付けられている<ref name="gigs_1993">『月刊ギグス』 (1993年1月号) シンコー・ミュージック</ref>。[[駒 (弦楽器)|ブリッジ]]はオクターブ調整が可能なバダス・タイプ<ref name="gigs_1993"/>。[[B.C.リッチ]]のBICHを基にしたマホガニーのボディーにはバラが描かれており、ネックの12フレットには"YOSHIKI"の文字が刻まれている<ref name="gigs_1993"/>。 == レコーディング・スタジオ == X JAPANのアルバム『[[ART OF LIFE]]』のレコーディングで、ノースハリウッド・ランカーシム通りNoHoアート地区のコンプレックス型スタジオ「ワン・オン・ワン・レコーディング」(One On One Recording) を借りて使用していたが、当時[[メタリカ]]や[[ボン・ジョヴィ]]、[[マドンナ (歌手)|マドンナ]]などの有名アーティストに人気で予約が取りにくい上、スタジオ機材のレンタル料も嵩むことから、YOSHIKIが1992年に購入した。『ART OF LIFE』完成時の打ち上げではメンバーがスタジオを破壊し、一部タブロイド紙の地方版にも掲載された。その後、設備の充実化や内部の改築・改修工事を施し、スタジオAは引き続きレンタル・スタジオとして貸し出され、スタジオBは1年分のスケジュールをYOSHIKIが自分のために押さえていた<ref>『月刊ギグス』(1997年2月号)シンコーミュージック・エンタテイメント</ref>。1997年にはスタジオ2階部分にビデオ編集専用ルームが作られた<ref>『ロッキンf』(1997年9月号)立東社</ref>。2000年にエクスタシー・レコーディング・スタジオ (Extasy Recording Studios) に改称<ref>小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 452</ref>。2003年からは一般へのレンタルを一切やめ、完全なプライベート・スタジオとして使用している<ref name="dicogs">[https://www.discogs.com/label/Extasy+Records Extasy Records' label profile] Discogs.com 2009-10-21</ref>。エクスタシー・レコード・インターナショナル (Extasy Records International) とエクスタシー音楽出版 (Extasy Music Publishing) も同じ建物に所在する。スタジオに備えられたレコーディング機材と、シンセサイザー、ピアノなどの楽器の総額は10億円を越え<ref name="tbs_value"/>、[[Toshl]]がX JAPANの再結成に向けてスタジオへ出向いた後、エクスタシー・レコーディング・スタジオの設備の充実度はおそらく世界一だろうと自身のホームページで印象を明かした。 約300坪の敷地にA・B・Cの3つのスタジオと、ラウンジ、機材室などがある。 '''スタジオA'''のコントロール・ルームにはメイン・モニタリング・スピーカー「[[GENELEC|ジェネレック]]・1035B」と、アメリカ本土最大となる104インプットの[[ミキシング・コンソール]] 「[[ソリッド・ステート・ロジック|SSL]]・9000J」が備えられ<ref name="tbs_value"/><ref name="mix_magazine">Maureen Droney (2000-01-01). [http://mixonline.com/mag/audio_la_grapevine_29/ "L.A. Grapevine"] Mix Magazine 2009-10-20</ref>、70人規模のオーケストラが収容できるトラッキング・ルームはドラム・レコーディングにも定評がある<ref name="keyboard_magazine_2005"/>。 '''スタジオB'''には72インプットのミキシング・コンソール「SSL・Jシリーズ」が置かれ、ブースは主にボーカルのレコーディングに使用している<ref name="keyboard_magazine_2005"/>。 '''スタジオC'''には[[Digidesign]] Pro Controlが置かれ、エディット作業に使用している<ref name="keyboard_magazine_2005"/>。 1998年には、マドンナのマネージャーを務めていたフレディー・デ・マンとレコーディング・ディレクターのビル・ドゥーリーが1993年にビバリー通りに構えたブルックリン・レコーディング・スタジオ (Brooklyn Recording Studios) を買い取り、エクスタシー・レコーディング・スタジオ・サウス (Extasy Recording Studios South) に改称して使用していたが<ref name="billboard_1998">[http://books.google.co.jp/books?id=mQ4EAAAAMBAJ&printsec=frontcover&hl=en&source=gbs_v2_summary_r&cad=0#v=onepage&q=&f=false Billboard Newspaper] 1998年4月18日号</ref>、YOSHIKIがアメリカのバンドのプロデュース活動から手を引いた2003年に手放している<ref name="dicogs"/>。このスタジオには80インプット、32モニターチャンネルへの拡張と、104本のフェーダーのGMLオートメーション化がなされた[[Neve Electronics|ニーヴ]]のビンテージ・ミキシング・コンソール「ニーヴ・8078」が備えられていた<ref name="mix_magazine"/>。ここで商業用に貸し出していたスタジオでは[[キッス]]や[[ヴァン・ヘイレン]]、[[ジェーンズ・アディクション]]などのほか<ref name="billboard_1998"/>、1999年には[[トレイシー・チャップマン]]や[[フィオナ・アップル]]、[[マリリン・マンソン]]といったアーティストがレコーディングに使用している<ref name="mix_magazine"/>。 [[デジタルオーディオワークステーション|DAWソフト]]はMark of the Unicornの[[Digital Performer]]を使用<ref name="keyboard_magazine_2003"/>。[[globe]]のシングル「[[seize the light]]」では、MIDIのプログラミングを含め、全て[[アビッド・テクノロジー]]の[[Pro Tools]]を使用して[[小室哲哉]]とエディットのやりとりをした<ref name="keyboard_magazine_2003"/>。MIDIマスター・キーボードには[[コルグ・Tシリーズ|コルグ・T1]]と、[[ドイプファー]]・LMK4+を使用している。 == 事業家として == {{See also|エクスタシーレコード}} 1986年、Xのレコードをリリースするためにインディーズのレコード会社「[[エクスタシーレコード]]」を20歳で設立した。エクスタシーレコードは後に[[LUNA SEA]]や[[GLAY]]、[[ZI:KILL]]を輩出する一大インディーズ・レーベルとなる。知り合いのプロダクション代表がエクスタシーレコードの音源の無断使用で莫大な利益を得ていた一件から、楽曲の権利を守るために1988年に音楽出版社「エクスタシー音楽出版」を設立し、[[日本音楽著作権協会]] (JASRAC) に登録した<ref name="komatsu_book_223">小松成美『YOSHIKI/佳樹』(角川書店、2009年)p. 223</ref>。また、1992年には自身のマネージメントや楽曲の版権を管理する「ジャパンミュージックエージェンシー」を設立している<ref name="komatsu_book_223"/>。1994年に[[ポリグラム]]・グループとプロデューサー契約を結び、メジャー・レーベルの「[[プラチナム・レコード]]」を設立した。 1998年2月にロサンゼルスを拠点とするレーベル「[[エクスタシー・レコード・インターナショナル]]」 (Extasy Records International) と<ref name="nikkei_200008"/>、1999年8月に日本を拠点とするレーベル「[[エクスタシー・ジャパン]]」を設立した<ref name="established_extasy2000"/>。エクスタシー・レコード・インターナショナルは[[ワーナー・ブラザーズ・レコード]]、エクスタシー・ジャパンは[[イーストウエスト・ジャパン]](いずれも[[ワーナー・ミュージック・グループ]])と流通契約を結び<ref name="nikkei_200008"/>、エクスタシー・ジャパンには[[メディアファクトリー]]が資本参加した<ref name="established_extasy2000"/>。2008年に[[エクスタシーレコード|Extasy A Music]]を、X JAPANのシングル「[[I.V.]]」の全世界同時発売時に設立した。 音楽関連以外では、2008年にエナジー・ドリンク「[[ロックスター]]」のエグゼクティブ・プロデューサー<ref>[http://www.rockstarenergy.jp/event.php?evt=67 ROCK STAR - YOSHIKI Event report] rockstarenergy.jp 2008-09-15</ref>、2009年に[[SUPER GT]]のレーシング・チーム「[[童夢 (自動車会社)|童夢]]」のチーム・プロデューサー<ref>[http://www.dome.co.jp/news/news/dt_91b.html 2009年 童夢GT参戦体制発表] Dome.co.jp 2009-02-11</ref>、アメリカの動画共有サービス「[[Ustream]]」のエグゼクティブ・アドバイザーを務めた<ref>[http://japan.cnet.com/news/biz/story/0,2000056020,20398763,00.htm X JAPANのYOSHIKI、Ustreamのエグゼクティブアドバイザーに就任] CNET Japan 2009-08-24</ref>。また、2010年11月に設立された、[[辻野晃一郎]]が代表を務めるベンチャー企業「[[アレックス (企業)|アレックス]]」の共同設立者に名を連ねている<ref>[http://www.alex-x.com/about/founder/yoshiki.html ファウンダー陣の紹介] アレックス株式会社 2010-12-16</ref>。映画監督の[[紀里谷和明]]・[[岩井俊二]]と共に、クリエイターのための[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス]]「[http://freeworld.tv/ FREEWORLD]」を運営している。2011年の11月にβ版としてスタートし、2012年2月に正式版が公開された<ref>[http://cloud.nifty.com/cs/catalog/cloud_caseinterview/catalog_120427000697_1.htm クラウド導入事例 クリエイター向けSNS「FREEWORLD」] ニフティクラウド 2013-09-27</ref>。2012年9月には、スポーツカー「[[トミーカイラ・ZZ]]」の[[電気自動車]]化の開発を手がける[[京都大学]]発のベンチャー企業「グリーンロードモータース」に出資者として加わった<ref>[http://www.tv-tokyo.co.jp/mv/wbs/news/post_27795 独自 ベンチャーEV初認証 YOSHIKIさんも出資] ワールドビジネスサテライト 2012-09-28</ref>。 2011年3月6日に[[国立代々木競技場]]にて行われたファッション・ショー『ASIA GIRLS EXPLOSION』を、『[[東京ガールズコレクション]]』のプロデューサー[[Jake f.R|Jay f.R]]と共同で企画。着物ブランド「YOSHIKIMONO」を発表し、[[ファッションデザイナー]]としてもデビューした<ref>[http://www.barks.jp/news/?id=1000067551 YOSHIKI、「YOSHIKIMONO」でデザイナー・デビュー、イベントの構想はファッションミュージカル] Barks.jp 2011-02-09</ref><ref>[http://www.wws-channel.com/news/age/ ASIA GIRLS EXPLOSION YOSHIKIインタビュー ] WWSチャンネル 2011-03-07</ref>。同年11月12日には国立代々木競技場にて行われたファッションと音楽の融合イベント『Girls Award 2011 by CROOZ blog Autumn/Winter』にスペシャル・ゲスト・モデルとして参加した<ref>[http://www.wws-channel.com/news/girls_award2011/yoshiki02.html YOSHIKIステージ │Girls Award 2011 Autumn/Winter ] WWSチャンネル 2011-11-14</ref>。 [[グラミー賞]]の投票権を持つ「ボーティング・メンバー」の1人でもある<ref>[http://www.barks.jp/news/?id=1000052371 YOSHIKI、Ustream.tvのエグゼクティブ・アドバイザーに] Barks.jp 2009-08-25</ref>。 == 持病 == 初期の頃に頭を激しく振りつつ、力任せにドラムを叩いていた結果、[[頚椎]][[椎間板ヘルニア]]や神経循環無力症(心臓神経症)などを相次いで発症し、これまでに何度もライブの中止や延期を引き起こしている。X JAPANの全国ツアー『[[DAHLIA TOUR 1995-1996]]』で倒れた際には、「次に痛みが出たら車椅子生活になる」と医師から宣告された<ref name ="ongaku_to_hito_96">『音楽と人』(1996年12月号) シンコーミュージック・エンタテイメント</ref>。再発防止のために筋肉で骨を補強するようスポーツ専門家から勧められ、自宅にジムを作って筋肉トレーニングに励むようになった<ref name ="ongaku_to_hito_96"/>。その結果、見た目が変わるほどにまでに筋肉が強化されたが、回復後に行われたライブ『DAHLIA TOUR FINAL 1996』以降は首にコルセットを巻いてドラムを叩くようになった。しかしX JAPANの2009年のワールド・ツアーでヘルニアをさらに悪化させ、椎間孔切除の手術を受けた<ref>[http://www.barks.jp/news/?id=1000051438 YOSHIKI、7月27日(月)頸椎椎間孔切除の手術] Barks.jp 2009-07-27</ref>。手術は成功したものの、ほかの頚椎間や腰にも損傷が判明したため、3年以内に再手術が必要であると医師から宣告された<ref>[http://mainichi.jp/enta/geinou/news/20090823mog00m200013000c.html?inb=rg YOSHIKI:首の回復は「100%無理」と告白 3年以内に再手術も] 毎日新聞 2009-08-24</ref>。 そのほか、長い時間手首に負担がかかる角度でスタジオのマスター・キーボードを弾いて以来、慢性的な[[腱鞘炎]]を患っている<ref name="keyboard_magazine_2003"/>。10歳の頃から悩まされている自身の[[不眠症]]の治療をきっかけに<ref name="tokyo_journal"/>、ライフワークとして[[コロンビア大学]]の医学博士・[[加藤友朗]]と共同で[[音楽療法]]の研究も進めている<ref> 『Hanako』 (941号) マガジンハウス</ref>。 == ディスコグラフィ == === ソロ作品 === '''スタジオ・アルバム''' * 『[[Eternal Melody]]』(1993年4月21日) * 『[[ETERNAL MELODY II]]』(2005年3月23日) '''シングル''' * 「[[Amethyst]]」(1993年11月3日) * 「[[Foreign Sand]]」(1994年6月1日) * 「Blue Sky Heaven」(2009年6月17日)(着うた配信) * 「[[ゴールデングローブのテーマ]]」(2013年1月15日)(デジタル配信) '''ベスト・アルバム''' * 『[[YOSHIKI CLASSICAL]]』(2013年8月27日) '''コンピレーション・アルバム''' * 『[[Yoshiki Selection]]』 (1991年12月12日) * 『[[Yoshiki Selection II]]』 (1996年11月4日) '''トリビュート・アルバム''' * 『[[トリビュート -KISS MY ASS-]]』(1994年6月13日) * 『[[hide TRIBUTE SPIRITS]]』(1999年5月1日) '''映像作品''' * 『天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典』(2000年3月1日) * 『Yoshiki Symphonic Concert 2002 with Tokyo City Philharmonic Orchestra featuring Violet UK』(2005年3月30日) === グループ作品 === '''X JAPAN''' {{See|X JAPANの作品}} '''Violet UK''' {{See|Violet UK#ディスコグラフィ}} '''L・O・X''' {{See|L・O・X}} '''V2''' * 「[[背徳の瞳〜Eyes of Venus〜]]」(1992年1月18日) * 『SPECIAL LIVE/1991.12.5 VIRGINITY』(1992年3月25日) '''globe''' *「[[seize the light]]」(2002年11月27日) *『[[8 Years 〜Many Classic Moments〜]]』(2002年11月27日) *『[[Ballads & Memories]]』(2002年12月26日) *『[[global trance best]]』(2003年9月3日) *「[[get it on now feat. KEIKO]]」(2003年3月26日) *『[[LEVEL 4 (globeのアルバム)|LEVEL 4]]』(2003年3月26日) '''Toshl Feat. YOSHIKI''' * 「クリスタルピアノのキミ」(2011年1月26日) * 『Toshl Feat. YOSHIKI with MIKUNI ~CRYSTAL PIANO no KIMI~』(2011年6月25日) === クレジット作品 === {| {| class="wikitable sortable" style="font-size: 85%" ! 年 !! シングル !! アーティスト !! クレジット |- | 1986年<!--8月--> || 「Mystery Temptation」|| [[POISON ARTS|POISON]] || プロデュース |- | 1993年 || 「[[今を抱きしめて]]」 || [[NOA (デュオ)|NOA]] || 作詞、作曲、編曲、プロデュース |- | 1994年 || 「[[RAIN (GLAYの曲)|RAIN]]」 || [[GLAY]] || 作詞、作曲、編曲、プロデュース |- | 1997年 || 「[[moment (西城秀樹の曲)|moment]]」 || [[西城秀樹]] || 作曲、編曲、プロデュース |- | 1998年 || 「[[Begin (北野井子の曲)|Begin]]」 || [[北野井子]] || 作詞、作曲、編曲、プロデュース |- | 1998年 || 「[[薔薇と緑]]」 || 北野井子 || 作詞、作曲、編曲、プロデュース |- | 1999年 || 「[[アクロの丘]]」 || [[DIR EN GREY|Dir en grey]] || 編曲、プロデュース |- | 1999年 || 「[[残-ZAN-]]」 || Dir en grey || 編曲、プロデュース |- | 1999年 || 「[[ゆらめき]]」 || Dir en grey || 編曲、プロデュース |- | 1999年 || 「[[Cage (Dir en greyの曲)|Cage]]」 || Dir en grey || 編曲、プロデュース |- | 1999年 || 「[[予感 (Dir en greyの曲)|予感]]」 || Dir en grey || 編曲、プロデュース |- | 2000年 || 「[[Pearl (Shiroの曲)|Pearl]]」 || [[ぽるん|Shiro]] || 編曲、プロデュース |- | 2000年<!--7月26日--> || 「LR-7」 || [[BEAST (バンド)|BEAST]] || 編曲、プロデュース |- | 2000年 || 「[[Happy Driving]]」 || [[Revenus]] || エグゼクティブ・プロデュース |- | 2000年<!--9月27日--> || 「Chemical」 || BEAST || 編曲、プロデュース |- | 2000年 || 「[[深紅の花]]」 || [[工藤静香]] || 作詞、作曲、編曲、プロデュース |- | 2000年 || 「[[透明な自分]]」 || Shiro || トータル・プロデュース |- | 2001年 || 「[[千の瞳]]」 || revenus || 編曲、プロデュース、エグゼクティブ・プロデュース |- | 2001年<!--4月26日--> || 「VISION」 || BEAST || エグゼクティブ・プロデュース |- | 2001年 || 「[[Flower (revenusの曲)|Flower]]」 || revenus || 編曲、プロデュース、エグゼクティブ・プロデュース |- | 2001年<!--10月24日--> || 「DIGITAL CRAZY KONG」 || [[BRAIN DRIVE]] || エグゼクティブ・プロデュース |- | 2001年<!--10月24日--> || 「ライラック」 || フランジャーズ || エグゼクティブ・プロデュース |- | 2002年<!--3月27日--> || 「新しいドア」 || フランジャーズ || エグゼクティブ・プロデュース |- | 2002年 || 「[[アカシア (revenusの曲)|アカシア]]」 || revenus || エグゼクティブ・プロデュース |- | 2002年<!--10月23日--> || 「よるごえ」 || [[P2H|PICK 2 HAND]] || エグゼクティブ・プロデュース |- | 2003年 || 「[[I'll Be Your Love]]」 || [[DAHLIA (歌手)|DAHLIA]] || 作詞、作曲、編曲、プロデュース |- | 2004年 || 「[[Scorpio]]」 || [[TRAX]] || 作詞、作曲、編曲、プロデュース |- | 2005年 || 「[[Rhapsody (TRAXの曲)|Rhapsody]]」 || TRAX || 作詞、編曲、プロデュース |} {| {| class="wikitable sortable" style="font-size: 85%" ! 年 !! アルバム !! アーティスト !! クレジット |- | 1989年<!--12月16日--> || 『THE INNER GATES』 || [[Gastunk|BAKI]] || 「IN MY HEART CAVE」を編曲 |- | 1990年<!--5月21日--> || 『Habit of Sex』|| EX-ANS || 「Different Malice」にピアノで参加 |- | 2001年<!--4月25日--> || 『クサ イキレ』 || [[P2H|PICK 2 HAND]] || エグゼクティブ・プロデュース |- | 2001年<!--5月9日--> || 『IMagination∞lenS』 || [[BEAST (バンド)|BEAST]] || エグゼクティブ・プロデュース |- | 2001年 || 『[[:en:Humanistic (album)|ヒューマニスティック]]』 || [[:en:Tommy Walter|アバンダンド・プールズ]] || エグゼクティブ・プロデュース |- | 2001年 || 『[[:en:Believer (Laura Dawn album)|ビリーバー]]』 || [[:en:Laura Dawn|ローラ・ドーン]] || 「アイ・ウッド」をプロデュース |- | 2001年<!--11月21日--> || 『SUPER TURTLE ATTACK』 || [[LADIES ROOM]] || エグゼクティブ・プロデュース |- | 2002年<!--2月26日--> || 『ビフォア・ザ・ビギニング』 || [[:en:Aja Daashuur|エイジア・ダシュール]] || エグゼクティブ・プロデュース、「シャドウ・オブ・ザ・セインツ」をプロデュース |- | 2002年 || 『[[:en:Zerøspace|ゼロスペース]]』 || [[:en:Kidneythieves|キドニーシーヴス]] || エグゼクティブ・プロデュース |- | 2002年 || 『[[glory days (revenusのアルバム)|glory days]]』 || [[revenus]] || エグゼクティブ・プロデュース |- | 2002年 || 『[[Jewelry Box]]』 || [[工藤静香]] || エグゼクティブ・プロデュース |- | 2002年 || 『[[昭和の階段 Vol.1]]』 || 工藤静香 || エグゼクティブ・プロデュース |- | 2003年<!--3月1日--> || 『歌人』 || [[チョ・ソンモ]] || 「君だけだから」を作曲 |- | 2003年<!--9月26日--> || 『「愛・地球博」presents GLOBAL HARMONY』 || オムニバス || 「I'LL BE YOUR LOVE」(英語バージョン)を作詞、作曲、編曲、プロデュース |- | 2004年<!--10月20日--> || 『[[TAKARAZUKA舞夢!]]』 || [[花組 (宝塚歌劇)|宝塚歌劇花組]] || 「世界の終りの夜に」を作曲 |- | 2005年<!--3月9日--> || 『Love the Earth』 || オムニバス || 「I'LL BE YOUR LOVE」(英語バージョン)を作詞、作曲、編曲、プロデュース |- | 2007年 || 『[[カタコンベ (映画)#サウンドトラック|カタコンベ]]』 || サウンドトラック || プロデュース |- | 2008年 || 『[[REPO! レポ (サウンドトラック)|REPO! レポ]]』 || サウンドトラック || プロデュース |} '''その他''' * 「レメディー」(アバンダンド・プールズ、2002年、ミュージック・ビデオに[[カメオ出演]]) * 「[[鳳凰♂昇天|あの輝かしい日々をもう一度]]」([[テネイシャスD]]、2012年、ミュージック・ビデオにカメオ出演) == エンドースメント == [[File:Larme Eau de Toilette.jpg|thumb|175px|ラルム オードトワレ]] * STARLIGHT YOSHIKI<span style="font-size:90%">(1992年)- [[リカちゃん]]の憧れのロック・スターという設定で、[[タカラトミー|タカラ]]から発売された人形。ローズ、シルバー、パープルの3種類。シリーズとしては初めて実在する人物がモデルとなった。</span> * Larme<span style="font-size:90%">(1993年)- YOSHIKIのプライベート・ブランド「ラルム」。[[コーセー]]から香水と、[[ワコール]]から女性用ランジェリーを発売。</span> * YOSHIKI ARTS<span style="font-size:90%">(2001年)- 直筆サイン入り[[シルクスクリーン]]3作品。</span> * YOSHIKI CURRY <キレ辛><span style="font-size:90%">(2004年)- 食べたカレーが辛かったことに腹を立てたYOSHIKIが、リハーサルへの参加を拒否したエピソードが元ネタとなったレトルト・カレー。</span> * YOSHIKI インテリアランプ<span style="font-size:90%">(2004年)- シェード部分にYOSHIKIの写真がプリントされた室内用ランプ。</span> * YOSHIKI Jewelry<span style="font-size:90%">(2008年)- ジュエリー・メーカー「[[桑山]]」とコラボレートしたジュエリー・ライン。</span> * UNDERGROUND KINGDOM VISAカード<span style="font-size:90%">(2008年)- [[三井住友カード]]が発行する、会員限定の特典があるYOSHIKIの写真がデザインされたクレジット・カード。</span> * yoshikitty<span style="font-size:90%">(2009年)- [[サンリオ]]から発売された、ビジュアル系メイクアップを施した[[ハローキティ|キティ]]。</span> * Y by Yoshiki<span style="font-size:90%">(2009年)- [[ロバート・モンダヴィ|モンダヴィ・ファミリー]]とコラボレートしたカリフォルニア産ワイン。白ワインは[[シャルドネ]]、赤ワインは[[カベルネ・ソーヴィニヨン]]。</span> * YOSHIKI Silkscreening<span style="font-size:90%">(2011年)- [[コンラッド・リーチ]]によるシルクスクリーン。「YOSHIKI PORTRAIT」と「YOSHIKI DRUMS」の2作品。</span> * 『ブラッド・レッド・ドラゴン』<span style="font-size:90%">(2011年)- 全4巻からなる、YOSHIKIが主人公の[[アメリカン・コミックス|アメリカン・コミック]]。クリエイターは[[スタン・リー]]と[[トッド・マクファーレン]]。</span> * SL150 YOSHIKI special edition<span style="font-size:90%">(2013年)- ヘッドホン・ブランド「SOUL」とコラボレートした、オリジナルカラー&オリジナルデザインのヘッドフォン。</span> == 書籍 == * [[市川哲史]]『ART OF LIFE』([[ロッキング・オン]]、1992年)ISBN 978-4947599193 * 羽積秀明『NUDE』([[FOOL'S MATE|フールズ・メイト]]、1992年)ISBN 978-4938716011 * [[小林信也]]『蒼い血の微笑』([[ソニー・マガジンズ]]、1993年)ISBN 4-7897-0793-8 * [[板坂剛]]『[X-JAPAN]YOSHIKIとその時代』([[鹿砦社]]、2001年)ISBN 4-8463-0418-3 * [[日本放送協会|NHK]]「[[わたしはあきらめない]]」制作班『YOSHIKI―わたしはあきらめない』([[中央出版|KTC中央出版]]、 2003年)ISBN 4-87758-286-X * [[小松成美]]『YOSHIKI/佳樹』([[角川書店]]、2009年)ISBN 978-4-04-883687-6 == 脚注 == {{Reflist|4}} == 外部リンク == {{commons|Yoshiki (musician)}} * {{Official|http://www.yoshiki.net}} * [http://www.teruya.co.jp/ym/ YOSHIKI mobile] * [http://www.yoshikifoundationamerica.org/ Yoshiki Foundation America] * {{Twitter|YoshikiOfficial}} * {{MySpace|yoshiki}} * {{Facebook|pages/Yoshiki/148183251887331}} * [https://soundcloud.com/yoshiki YOSHIKI - SoundCloud] * {{Google+|117960110692332035733|page=posts}} * {{Discogs artist | artist = Yoshiki}} * [http://www.ybyyoshiki.com/ Y by Yoshiki] * [http://www.yoshiki-jewelry.net/index.html Yoshiki Jewelry] * [http://wmg.jp/artist/yoshiki/ YOSHIKI|Warner Music Japan] * [http://columbia.jp/yoshiki/ コロムビアミュージックのYOSHIKIアーティストサイト] * [http://followgram.me/yoshikiofficial/ Yoshiki - Instagram] * [http://www.weibo.com/yoshikixjapan YOSHIKI - WEIBO] * {{Youtube user|yoshikiofficial|Yoshiki}} * {{IMDb name|0370668|Yoshiki}} {{X JAPAN}} {{Violet UK}} {{globe}} {{Normdaten|NDL=00262996|VIAF=4690153||LCCN=no/2006/92777}} {{DEFAULTSORT:よしき}} [[Category:1965年生]] [[Category:存命人物]] [[Category:千葉県出身の人物]] [[Category:X JAPANのメンバー]] [[Category:Globeのメンバー]] [[Category:日本のソングライター]] [[Category:日本の編曲家]] [[Category:日本のピアニスト]] [[Category:日本のドラマー]] [[Category:日本の実業家]] [[Category:日本の映画音楽の作曲家]] [[Category:日本の音楽プロデューサー]] [[Category:日本のヘヴィメタル・ミュージシャン]] [[Category:日本のファッションデザイナー]] [[Category:ヴィジュアル系ミュージシャン]] [[Category:日本の慈善家]] [[Category:ラジオ番組のパーソナリティ・DJ]] [[Category:NHK紅白歌合戦歌唱楽曲・作詞者・作曲者]] [[Category:NHK紅白歌合戦出演者]] [[Category:EMIミュージック・ジャパンのアーティスト]] [[Category:ワーナー・ミュージック・グループのアーティスト]] [[Category:日本コロムビアのアーティスト]] [[Category:エイベックス・グループのアーティスト]]