都営バス深川営業所

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1942年(昭和17年)2月 - 旧東京市内の路面交通事業統合により、江東区東陽町に洲崎自動車営業所を開設。 1942年(昭和17年)9月 - 太平洋戦争により洲崎自動車営業所を廃止。 1949年(昭和24年)3月 - 洲崎自動車営業所を再開。 1968年(昭和43年)5月 - 洲崎自動車営業所を江東区東雲に移転、局有地にあった同東雲分車庫と統合する形で深川自動車営業所に改称。 1972年(昭和47年)11月 - ハイブリッドバスの試験運行を実施。 1991年(平成3年)6月 - 東雲庁舎が竣工。 1991年(平成3年)7月 - 東雲庁舎に港区芝浦から自動車整備工場と職員研修所が移転。 1992年(平成4年) - リフトバス導入。中央区より「銀ブラバス」の運行を委託し、営業を開始。 1994年(平成6年) - CNGバス導入。CNG充填設備新設。 1999年(平成11年) - CNGノンステップバス導入(いすゞS-E400・三菱ふそうS-F464) 2003年(平成15年)8月 - 燃料電池バスの試験運行を実施( - 2004年12月)。 東陽町駅至近にある東陽操車場が、当営業所の全身となる洲崎営業所であった場所である。

戦中いったん廃止されたものの、戦後江東営業所の分車庫として営業を再開した。1949年には営業所として独立した。当時は、19(→東19→門19系統)、26(→秋26系統)、27(→東21系統)の3系統を担当していた。その後、33系統(→業10系統)、61系統(→東15系統)が相次いで開業したことにより、管轄する路線は東雲、豊洲地区へと延びることとなった。

以上のように、豊洲や東雲地区に路線が延びたことにより、1961年には東雲分車庫を開設した。しかし、需要が拡大していくことにより、洲崎営業所の土地は狭小となり、このため東雲分車庫とあわせて東雲鋼材置場に1968年、新たに深川営業所を新設することとなった。当時の地図を見ると周りは野原であったが、鉄鋼団地や辰巳団地など工業、住宅の両面から発展を遂げることとなり、これらへの旅客輸送を担うこととなった。

しかし、1988年に営団有楽町線(当時)の新木場駅延長により、豊洲や辰巳地区におけるバスの優位性は崩れ、橋14系統、東18系統が廃止され、門19系統も再編される結果となった。一方、都市新バスの都05系統が、このころに設定された。

平成に入ると、東京都交通局の芝浦にあった研修所を当地に移すこととなり、あわせて営業所も若干北方に移動し新たに東雲庁舎が完成した。この際、当営業所は整備工場などが併設されたため、他営業所の車両の整備も行うこととなり、都営バスの中で中心的な役割を果たす営業所となった。また、13号地と呼ばれたお台場地区の開発が進むこととなり、この方面への路線が積極的に新設されることとなった。

その後、都営大江戸線の全通やりんかい線の開業による再編、および営業所間での路線の移管が行われたため、当営業所は主に江東区南部の路線を所管する営業所へとなった。