大宅映子

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大宅 映子(おおや えいこ、1941年2月23日 -)は日本の評論家、公益財団法人大宅壮一文庫理事長。大宅壮一の3女。 東京都出身。東京学芸大学附属世田谷中学校、東京都立駒場高等学校、1963年に国際基督教大学卒業。ICUの大学院に入学するも、3ヵ月で中退する。

1978年から始めたマスコミ活動では個人の立場で、子育・国内政治経済から食文化・国際問題、大所高所からの視野で発言する。 「地球的規模の環境問題に関する懇談会」、「医療保険福祉審議会」、「行政改革委員会」、「警察刷新委員会」、「教育改革国民会議」、「税制調査会」、「年金業務・社会保険庁監視等委員会」など多くの審議会委員歴がある。  ㈱西武ホールディングス社外、㈱高島屋、民間企業では社外取締役を務める。 レギュラー番組ではテレビではサンデーモーニング(日曜日、8:00~ 9:54)がある。TBSラジオでは「大宅映子の辛口コラム」には、毎週土曜日に出演している。

大宅家の育て方[編集]

大宅家について雑草教育で、踏みつけられても自分で立ち上がれと教えられる。親は保護しないが、指図もしないと語る。 父から受けた影響は、ものごとを「タテ」「ヨコ」「ナナメ」から見たうえで総合的に判断するというものであった。小学五年生のときにテネシーワルツを姉から教わり英語の歌に興味を持って、アメリカに行きたいと思ったという。高校生になって行こうとしたら親父の大宅壮一に「だめだ」と言われて諦めた。大宅家では読むものは全部自由だったので新聞も雑誌も小学生のときから読み飛ばしていた。

独自性の尊重[編集]

日本の問題点を「平等のはき違え」と指摘する。平等は皆が同じということではなく、機会の平等をいう。自由競争の日本では、競争の結果に差が出ることは当然とする。結果を平等にすると、がんばれる人は足踏みする。すべて平等という発想は貧困である。新潟は新潟、三条は三条、燕には燕のよさがあるから、それぞれ違うことはいいことであると主張する。人は失敗から学ぶことがたくさんあり、失敗から成長する。(2007年11月20日、三条信用金庫講演会より)

講演[編集]

  • 2010年5月23日(日)東京都立多摩図書館「父が残したもの」(主催:東京都立多摩図書館)
  • 2013年10月9日(水)米国ハワイのアラモアナホテル「愉しく欲張って生きる」(主催:(ハワイシニアライフ協会(HISLEA))
  • 2017年1月25日(水)日比谷図書文化館 「皆違って皆いい 違うことは良いことだ」(主催:千代田区立日比谷図書文化館)

著書[編集]

  • 1990年「私の雑草教育」三水社
  • 1990年「どう輝いて生きるか」海竜社
  • 1993年「だから女は面白い」海竜社
  • 2000年「いい親にならなくていい」海竜社
  • 2008年「親の常識」(海竜社」
  • 2011年「女の才覚」(ワニブックス)