なつめ寺

提供: Yourpedia
2018年1月3日 (水) 20:44時点における由亜辺出夫 (トーク | 投稿記録)による版 (ページの作成:「'''なつめ寺'''(なつめでら、'''棗寺''')、'''運行寺'''(うんぎょうじ)は、東京・浅草にある浄土真宗大谷派の寺院<r...」)

(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内検索

なつめ寺(なつめでら、棗寺)、運行寺(うんぎょうじ)は、東京・浅草にある浄土真宗大谷派の寺院[1]

1950年春頃、運行寺住職の菅原恵慶は、花岡事件の死没者の遺骨の発掘・収集活動に参加[2]。400余柱の華人労務者の遺骨を花岡の信正寺から運行寺へ移し、その後、1953年に中国へ送還するまで同寺で保管していた[3]

GHQの占領時代には運行寺は「アカの巣窟」と見なされ、住職夫人が買い物で外出する際にも尾行がついたという[4]

遺骨が中国へ送還された後も、同寺には死没者の名前を記した位牌が遺されており、2001年7月当時も遺骨の供養が続けられていた[5]

脚注

  1. 杉原(2002)pp.93,97
  2. 杉原(2002)p.93
  3. 杉原(2002)pp.93-94
  4. 杉原(2002)p.94
  5. 杉原(2002)pp.95-96

参考文献

  • 杉原(2002) 杉原達『中国人強制連行』〈岩波新書785〉岩波書店、2002年、4-00-430785-6