徳川義親
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徳川 義親(とくがわ よしちか、1886年10月5日 - 1976年9月6日)は、尾張徳川家第19代当主、戦前の侯爵・貴族院議員。学究肌で冒険好きな人物として知られ、豊富な財力を背景に、徳川美術館や徳川林政史研究所・徳川生物学研究所などを創設、また様々な人物・活動のパトロンとなった。1927年のダンス不敬事件により貴族院議員を辞職した後、国家革新運動と南進論に傾斜し、1931年の三月事件を支援、1938年の排英運動を推進するなどした。1942年に日本軍政下のマラヤで第25軍の軍政顧問に就任した。戦後、公職追放を受け、華族制度廃止等により爵位と資産の8割以上を喪失した。1947年から20年間、共栄火災の会長を務めた。