着エロ
着エロ(ちゃくえろ)はグラビアアイドルのイメージビデオやグラビア写真に於ける表現手法の一つ。
概要
「着」は「着衣」の略で、「着メロ」の捩り。ヘアヌードが堂々と発表される中にあって、乳首やヘアを出す事を拒否し、ギリギリの露出でエロを表現しようとする傾向を指す。裸体を間接的に見せる事で視聴者に対する「焦らし」を狙う。2003年にFLASH (写真週刊誌)によって使われたのが最初とされる。
着衣と認識されるだけの衣類を纏っているよりは、多くは乳首・局部等をごく小さな水着やモデルの手、テープ等で覆い隠しただけの状態で撮影される事が多い。全裸ながら身体の一部を隠す「セミヌード」の一部も、着エロに含められる。又、ブラジャーを外して手だけで乳首を隠す「手ブラ」を多様に使う手法も有る。その場合、ブラジャーを外すシーンでゆっくり外す事によって想像を掻き立てる。
過激な物になると、緊縛姿や口にギャグボールを噛ませた姿、セックスやフェラチオを連想させるシーンや街中を半裸で歩く物まで有る。また最近では乳輪や乳首が殆ど見えていても着エロに分類される事も有る。
この様な手法は、2000年代の初め頃から多く見られる様になる。着エロの言葉すら出来ていなかった時代に「エロテロリスト」としてのイメージが定着していたインリン・オブ・ジョイトイが、その先駆け的存在である。着エロ女王とまで言われる様になった堀口としみは元々レースクイーンとしての活動が主だったが、レースクイーンとしての優位性でもあるそのボディラインを着エロとして表現し、その存在を不動の物とした第2作 "glitter" で一気に着エロブームを押し上げる事となった。同時期に2人が一躍有名になったのは、この着エロという新ジャンルを先導した功績による所が大きい。その後、着エロはグラビアアイドルにも広まる様になり、安めぐみや那由多遥等が知られた。折しもこの時期のグラビア業界は、1990年代のヘアヌードブームの終焉から半ば閉塞状況となっており、着エロはヘアヌードに次ぐ新潮流として注目を集めた。
又、このジャンルはモデルの年齢に対し比較的寛容であった為、正統派グラビアアイドルとしての活動が難しかった20代の無名モデルや、レースクイーン、劇団員、地下アイドル等に対する活動の場を提供する事にもなった。
2005年には、青木さやかが『ロンドンハーツ』の企画で着エロ写真集を発売し、1タイトルで8万部以上を売り上げると言う前人未到の快挙を達成し、結果的に梨花や華原朋美、オセロの松嶋尚美等が後を追う形で「着エロ」の認知度を劇的に押し上げる事となった。
代表的な着エロ
AV女優等の着エロ
2004年の中頃から、ヌードモデルやAV女優、レースクイーン等を起用した着エロビデオが氾濫し始めた。着エロには露出度以上に卑猥な印象が有る為に一般のグラビアアイドルらは敬遠しがちだが、彼女達のように既に卑猥な撮影に慣れている人物にとっては逆に大人しい内容であったので、彼女らの中にこの「儲け仕事」に飛び付く者が多く出てきたのである。
本来着エロとは「限定的な視覚情報から、モデルの裸体を想像させる」手法である為、容姿が並だったり既に乳首やヘアを公開したりしている人物がこれを行っても想像のプロセスが上手く機能しない。又、ヌードモデル・AV女優は着エロ作品ではヌードの仕事歴を意図的に隠す事が多かった為、これらの作品は一部マニアから酷評を浴びる事もあった。
しかし、当真ゆきのように「着エロAV」と言う新たなジャンルの作品を作り上げ、それのヒットに伴い過去のイメージビデオもヒットすると言う逆転現象も起きている。つまりは既存の概念にとらわれない新しいアイデアと企画こそがこの世界では何よりも重要であると言える。