駒井高白斎
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駒井 高白斎(こまい こうはくさい、? - 永禄6年(1563年)?)は、戦国時代の武将。甲斐武田家の家臣。諱は政直(まさなお)、昌頼(まさより)[1]。兄弟に信為。子に政直。
生涯[編集]
武田信虎に代官や奉行として参画した[1]。信虎政権では家臣の反乱、奉行の国外退去が相次ぐ中で駒井のみは信虎に従い続けた[1]。『高白斎記』によると天文10年(1541年)6月14日における信虎の駿河訪問を最初は知らず、6月16日になって初めて知ったという[2]。当主訪問という機密事項だったとはいえ、武田家の奉行である駒井が知らなかったとあるため、武田晴信に近い存在のため信虎から警戒されていたものと推測される[1]。
信虎追放後、晴信政権ではその近臣として内政・外交・軍事を管掌した[1]。没年に関しては永禄6年(1563年)5月晦日に高野山で供養が行なわれているため、その直前に死去したものと推測される[1]。
武田家の研究で重要史料とされている『高白斎記』の著者とされているが、近年では異論もある[1]。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 柴辻俊六 編『武田信虎のすべて』(新人物往来社、2007年) ISBN 978-4-404-03423-6