二階堂行泰
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二階堂 行泰(にかいどう ゆきやす、建暦元年(1211年) - 文永2年10月2日(1265年11月11日))は、鎌倉時代中期の武将。父は二階堂行盛。子に行佐、行実、行頼。
略歴
建長元年(1249年)に引付衆になる。建長5年(1253年)に父が死去したため政所執事、5番引付頭人となる。康正元年(1256年)に出家して行善と号する。正元元年(1259年)に評定衆になり、弘長2年(1262年)に政所執事の職を息子の行頼に譲る。しかし翌年11月に行頼が34歳で早世したため、政所執事に再任された。2年後の10月2日に55歳で死去。政所執事の職は子の行実が継いだ[1]。
脚注
- ↑ 安田、1991年、P455