戸塚ヨットスクール事件
戸塚ヨットスクール事件(とつか―じけん)とは1983年までに愛知県知多郡美浜町のヨットスクール『戸塚ヨットスクール』内で発生、発覚して社会問題に発展した一連の事件。
概要[編集]
一般児童・青少年向けのヨットスクール・戸塚ヨットスクールにおいて訓練生の死亡・傷害致死・行方不明といった事件が1980年代を通じてマスコミに取り上げられ、スクールの方針が教育的な体罰というより過酷な暴行だったことが明らかになった。
1980年代、非行少年や不登校児の問題が叫ばれる中、教師も親も手をつけられない子どもたちを叩き直す最後の砦として戸塚ヨットスクールは脚光を集めた。殴る、蹴る、海に突き落とす、といった戸塚ヨットスクールの体罰スパルタ教育の凄まじい訓練、木の格子扉をはめた座敷牢のような押し入れに三角座りでうずくまる少年、座禅の最中、気を抜いたと長渕キックさながらの跳び蹴りキックを入れられ、床に頭をぶつけられ、泣きながら謝る少年たちの姿がニュース番組やワイドショーを賑わした。そんな鉄拳スパルタ教育によって、どうにもならない子どもがどうにかまともに立ち直ることも実際にあり、それゆえ戸塚ヨットスクールには親も学校もどうしようもない子どもたちが全国から送り込まれ、スクール全盛期には100人を超える訓練生がいた。スクール開校4年目の1982年、「体罰でしか人格の再教育はできない」と豪語する戸塚校長ほか12人のコーチが逮捕された。訓練中に生徒2人が死亡し、さらに奄美大島の合宿から戻る途中のフェリー船から海に飛び込んだ生徒2人が行方不明になった。戸塚らは傷害致死、監禁致死の罪に問われ、戸塚校長に懲役6年、コーチ3人にも実刑判決が下った。警察署から移送される際、手錠を掛けられた腕を高くかざし、ガッツポーズをする堂々と不敵な笑みを見せた戸塚の姿がいく度となく放映された。
30年後 戸塚ヨットスクールの現在の姿を多角的に映し出したドキュメンタリー映画「平成ジレンマ」が公開された。制作は、社会派ドキュメンタリー番組を数多く手がける東海テレビ放送[1]。
- 1979年から1982年にかけて、訓練中に訓練生の死亡・行方不明事件が複数発生。
- 1982年に起きた少年の死亡に関し、警察は当初は過ぎた体罰による事故と見ていたが、遺体から無数の打撲・内出血の痕跡・歯2本の損壊などが確認されたことから、1983年に傷害致死の疑いでスクール内を捜査。その後、指導員が舵棒と呼ばれるヨットの部材(舵取りのための道具。一部では「角材」と報道された)で少年の全身を殴打し、その後ヨットでの訓練を続けていたことがわかり、組織ぐるみの犯行として校長を含む関係者が逮捕され、他の死亡事件についても起訴された。
- 1992年7月7日、名古屋地裁は戸塚宏、コーチらに対して傷害致死罪を認定。戸塚宏に懲役3年、執行猶予3年(検察側の求刑は懲役10年)、コーチらに懲役1年6ヶ月から2年6ヶ月、執行猶予2年から3年を言い渡した。これに対して、検察側と戸塚、コーチら6人が双方で控訴。
- 1997年3月12日、名古屋高裁は「訓練は人権を無視。教育でも治療でもない」として一審判決を破棄し、戸塚宏に懲役6年、コーチ3人も実刑の判決を下した。戸塚らは即日上告。
- 2002年2月25日、最高裁は二審判決を支持して戸塚宏の上告を棄却。これで戸塚宏の懲役6年とコーチ陣ら起訴された15人全員の有罪が確定した。
- 2006年4月29日 - 満期で戸塚が出所。今後もヨットスクールを続ける意向を語った。
訓練中に発生した死亡・行方不明事件[編集]
- 1979年 少年(当時13歳)が死亡
- 戸塚側は「低体温症によるもので体罰との因果関係は無い」と主張。病死として不起訴扱いにされた。
- 1980年 入校4日目に暴行により青年(当時21歳)が死亡
- コーチによって暴行を加えられた事によるものとして傷害致死で起訴
- 1982年 少年2名(当時15歳)が船から海に飛び込んだとして行方不明
- 体罰から逃れるために飛び込んだとして監禁致死で起訴
- 1982年12月 少年(当時13歳)が死亡。入校一週間で暴行を受け、戸塚宏とコーチらはヨットから何度も海に落とし、死亡。この間、一切治療は行われなかった。
- 傷害致死で起訴された。
当時13歳だった少年の母親は週刊現代(2006年11月18日号)の実名インタビューで「出所後も焼香や謝罪は無かった。再犯が懸念される」という旨のコメントをしている。また、1982年にフェリーから海に飛び込んだとされて行方不明となっている少年の父親は同じく実名で「息子が本当に船から海に飛び込んだのかどうか未だにわかっていない。本当は突き落とされたのではないか」とコメントしている。
一連の事件は、日本に於いて体罰の是非を問う討論等でたびたび参考として出され、また個人の教育論の展開(講演会や商業書籍の執筆など)のために、引き合いに出されている。
事件後[編集]
- 警察は自殺と事故の両面で捜査を行っていると報道された。男性はうつ病で通院中であり、父親もスクールで共に寝起きしていたが、目を離した隙に居なくなり、スクールから3キロ離れた地点で水死体になって発見されている。同男性の遺体に目立った外傷はなかった(2006年11月7日現在、新聞報道による)。
戸塚ヨットスクールを支援する会[編集]
戸塚ヨットスクールが教育荒廃から日本を救うものだ!という宗教的信念のもと石原慎太郎以下36名により結成されたのが「戸塚ヨットスクールを支援する会」である。石原慎太郎は「心身症に代表される“文明病”に著しい効果を持ち、しかもそれが教育的に重大な意義を持つものである」との心情を熱く吐露している[2]。
我々の手で教育改革を!
戸塚ヨットスクールは、その厳しい教育訓練のあり方、死亡事故の発生、歪曲された報道などのため、これまで様々な誤解と中傷に曝されて参りました。
しかしながら、同スクールが「大自然との闘いで精神を鍛える」という方法により五百余名の情緒障害児(登校拒否、非行、家庭内暴力、無気力など)を更生させ、心身の本当の健康状態を回復させることにも成功した事実には、教育と医学の両分野における画期的意義を見出すことができます。また、この事実を冷静に評価し分析する所から出発しなければ、戸塚ヨットスクール事件の真実も明らかにならないでしょう。
戸塚宏校長とコーチ達が3年余に及ぶ不当な弾圧をはねかえしてきたのも、同スクールの成果が、教育荒廃という名の文明病に病む日本にとって、かけがえのない価値を持つものであることを確信していたからに違いありません。
そうした認識に立つ時、「戸塚ヨットスクールを支援する会」は2つの目的を果たす必要があると思います。ひとつは、戸塚ヨットスクールの現実の運営を文字通り援助し、その存在基盤を確固たるものにすることです。よリ具体的には、入校生の紹介や成人スクール(健康増進のための短期合宿)への参加斡旋、寄付などです。
もうひとつの目的は、戸塚ヨットスクールがこれまで培ってきた間題児矯正の教育ノウハウに学び、そこから教育荒廃克服の道を切り拓いていくことにあります。
「戸塚ヨットスクール事件」が起きて以来すでに18年の歳月が流れていますが、当時も今も教育荒廃は何ひとつ改善されずにいます。鳴り物入りで発足した臨教審さえも教育荒廃の本質に迫った提言を成しえぬまま解散してしまった今、私達自身の手で真の教育改革を成し遂げることは、2l世紀に対する私達の責務であると信じます。
味覚の世界に「塩」というものがなかったなら、料理が味気なくなってしまうように、自己の深化を志向するある種のストイシズムを欠いた人生に人間の本当の喜びはないでしよう。これこそが今の教育に欠けているものです。そして、戸塚ヨットスクールが教えてれたものは、この「精神の塩」の価値にほからないのだと思います。
私は、この“支援する会”に呼応し、「我々の手で教育改革を!」という真摯の叫びが、日本全国で澎湃(ほうはい)として湧き上がって来んことを願ってやみません[2]。
戸塚ヨットスクールを支援する会 会長 石原 慎太郎
■「戸塚ヨットスクールを支援する会」の目的
この会は、戸塚宏校長の人格に接し、その理念に賛同した36人の発起人の呼びかけで発足しました。そして、再開された戸塚ヨットスクールの社会的意義の重大性を認め、同スクールの今後の活動を積極的に支援していくことを目的としています。 会の当面の課題は、同スクールの訓練が心身症に代表される“文明病”に著しい効果を持ち、しかもそれが教育的に重大な意義を持つものであることを示し、その正当性を広く明らかにすることにあります。また、暗黒裁判と呼ぶにふさわしい暴挙がまかり通っている戸塚裁判の正常化にも力を尽くします。 今後も、戸塚校長の講演会や各種出版物を手始めとして活動して参りますので、良識ある皆様方の御協力をお願い申し上げます。
■“支援する会”の入会手続き
この会の趣旨に賛同して入会されたい方は、年会費を納入の上、住所、氏名、電話番号、職業を 東京事務所までご連絡下さい。
<戸塚ヨットスクールを支援する会>
東京事務局 〒160-0022 東京都新宿区新宿2-2-1ビューシティ新宿御苑504
電話 03-3351-9757
年会費 : 10,000円 (個人)
100,000円 (法人)
振込先 : ○ 郵便振替
00120-7-355664
「戸塚ヨットスクールを支援する会」[2]
その他の教育・更生団体の事件[編集]
脚注[編集]
関連項目[編集]
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