戸塚ヨットスクール事件
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戸塚ヨットスクール事件(とつか―じけん)とは1983年までに愛知県知多郡美浜町のヨットスクール『戸塚ヨットスクール』内で発生、発覚して社会問題に発展した一連の事件。
概要
一般児童・青少年向けのヨットスクール・戸塚ヨットスクールにおいて訓練生の死亡・傷害致死・行方不明といった事件が1980年代を通じてマスコミに取り上げられ、スクールの方針が教育的な体罰というより過酷な暴行だったことが明らかになった。
- 1979年から1982年にかけて、訓練中に訓練生の死亡・行方不明事件が複数発生。
- 1982年に起きた少年の死亡に関し、警察は当初は過ぎた体罰による事故と見ていたが、遺体から無数の打撲・内出血の痕跡・歯2本の損壊などが確認されたことから、1983年に傷害致死の疑いでスクール内を捜査。その後、指導員が舵棒と呼ばれるヨットの部材(舵取りのための道具。一部では「角材」と報道された)で少年の全身を殴打し、その後ヨットでの訓練を続けていたことがわかり、組織ぐるみの犯行として校長を含む関係者が逮捕され、他の死亡事件についても起訴された。
- 1992年7月7日、名古屋地裁は戸塚宏、コーチらに対して傷害致死罪を認定。戸塚宏に懲役3年、執行猶予3年(検察側の求刑は懲役10年)、コーチらに懲役1年6ヶ月から2年6ヶ月、執行猶予2年から3年を言い渡した。これに対して、検察側と戸塚、コーチら6人が双方で控訴。
- 1997年3月12日、名古屋高裁は「訓練は人権を無視。教育でも治療でもない」として一審判決を破棄し、戸塚宏に懲役6年、コーチ3人も実刑の判決を下した。戸塚らは即日上告。
- 2002年2月25日、最高裁は二審判決を支持して戸塚宏の上告を棄却。これで戸塚宏の懲役6年とコーチ陣ら起訴された15人全員の有罪が確定した。
- 2006年4月29日 - 満期で戸塚が出所。今後もヨットスクールを続ける意向を語った。
訓練中に発生した死亡・行方不明事件
- 1979年 少年(当時13歳)が死亡
- 戸塚側は「低体温症によるもので体罰との因果関係は無い」と主張。病死として不起訴扱いにされた。
- 1980年 入校4日目に暴行により青年(当時21歳)が死亡
- コーチによって暴行を加えられた事によるものとして傷害致死で起訴
- 1982年 少年2名(当時15歳)が船から海に飛び込んだとして行方不明
- 体罰から逃れるために飛び込んだとして監禁致死で起訴
- 1982年12月 少年(当時13歳)が死亡。入校一週間で暴行を受け、戸塚宏とコーチらはヨットから何度も海に落とし、死亡。この間、一切治療は行われなかった。
- 傷害致死で起訴された。
当時13歳だった少年の母親は週刊現代(2006年11月18日号)の実名インタビューで「出所後も焼香や謝罪は無かった。再犯が懸念される」という旨のコメントをしている。また、1982年にフェリーから海に飛び込んだとされて行方不明となっている少年の父親は同じく実名で「息子が本当に船から海に飛び込んだのかどうか未だにわかっていない。本当は突き落とされたのではないか」とコメントしている。
一連の事件は、日本に於いて体罰の是非を問う討論等でたびたび参考として出され、また個人の教育論の展開(講演会や商業書籍の執筆など)のために、引き合いに出されている。
事件後
- 警察は自殺と事故の両面で捜査を行っていると報道された。男性はうつ病で通院中であり、父親もスクールで共に寝起きしていたが、目を離した隙に居なくなり、スクールから3キロ離れた地点で水死体になって発見されている。同男性の遺体に目立った外傷はなかった(2006年11月7日現在、新聞報道による)。
その他の教育・更生団体の事件
関連項目
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