毒入りオレンジ事件
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毒入りオレンジ事件(どくいりオレンジじけん)は、1982年3月11日号「週刊文春」の記事に端を発し、毎週4月8日号までの5回にわたる連載にて告発した、日本のプロボクシング史上最悪の事件と言われるエピソードである。
週刊文春によると、金平正紀協栄ボクシングジム会長が、渡嘉敷勝男や具志堅用高の防衛戦の相手に薬物を混入したオレンジジュースを飲ませたとする記事を掲載。国会でも取り上げられるなど騒動になった。
週刊文春には、買収されて「毒入りオレンジシュース」を出したホテルの料理長の証言と、薬の成分が筋弛緩剤であること、その他の搾取と恐喝などについて内容が書かれていた。金平は鬼籍入りしたため真相は闇の中である(実際には下剤であったと言われている)。
- 搾取についての1例としてあげられるのは、具志堅がタイトルをフローレス(メキシコ)に明け渡した昭和56年(1981年)3月8日の沖縄戦。収入は、テレビの放送権料が9千万円、CM料が肖像権料等を含めて1億5千万円、地元に売る興行権料が5千万円。支出は具志堅に7千万円(マネジメント料、税込み)の他、前座試合にかかる諸経費。すると協栄ジムには、1億円前後が転がってくる。[1]
この事件が原因で、金平は1982年にボクシング界からライセンスを無期限剥奪された(7年後に処分が解除、プロボクシング界に復帰)。また、具志堅の引退セレモニーも中止になった。
脚注
- ↑ 昭和57年(1982年)4月1日号「週刊文春」(金平問題第4弾!)