Amemura O-town Record

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Amemura O-town Record(アメムラ オータウン レコード)は、大阪市にあるビーイング傘下のレコードレーベルでかつて存在したレコード会社。略称AOR

概要[編集]

メジャーレーベル時代[編集]

1997年春、当時T-BOLANをはじめMANISHFEEL SO BADらのヒットで勢力を保っていたZAIN RECORDS内部レーベルとして、前身となるレーベルであるSpoonfulが設立され、5月28日に第1弾アーティストとして小松未歩がシングル『』でデビューした。

同年7月1日ビーインググループの関西進出の足掛かりを目的とし、ZAIN RECORDSの内部レーベルから独立レーベルとして設立された。当初はSpoonfulレーベルをそのまま独立とする予定であった(レーベル第1弾リリースとなった小松のシングル『輝ける星』は当初CD規格番号がSFDJ-1001で予定されていた)が、設立とともにレーベル名を改称した。販売元はZAIN RECORDSが委託していた。本社は大阪市中央区心斎橋で、同じビーインググループのレコードレーベルでAmemura O-town Record設立の翌年に設立されたGIZA studioも当初は同じビルの別の階に事務所を開いていた。なお、レーベル名の「Amemura」は大阪の流行発信地の一つであるアメリカ村の略であるアメ村(本社所在地のすぐ横がアメ村であった)で、「O-town」はモータウンと大阪市を掛けたものであり、大阪を意識してレーベル名が付けられたことが見て取れる。

同年9月25日、レーベル第1弾作品として小松未歩の2枚目となるシングル『輝ける星』が発売された。以降は椎名祐海辻尾有紗がレーベルに所属したが、椎名は同レーベルではシングル1枚しか発表していない。辻尾に至ってはレーベルに移籍後予定されていたシングルの発売が中止、直後に活動中止となっており、結局同レーベルからは1枚も発表しておらず、実質的には小松専用のレーベルとして運営されていた。

1999年3月3日、小松の7枚目のシングル『さよならのかけら』が発売された。この作品リリース直後に小松がGIZA studioへ移籍したことにより、これがレーベルにとって最後のリリース作品となり、アーティスト不在のために同年4月30日で運営を終了(事実上の消滅)した。

インディーズレーベルとして復活[編集]

2010年3月24日北村優希の2枚目のシングル「空になって」にAme-mura O-town Rの表記が復活。ビーイングをディストリビューターとしたインディーズレーベルとして運営される。

所属していたアーティスト[編集]

  • 小松未歩(Spoonful/ZAIN RECORDSより移籍、GIZA studioへ移籍)
  • 椎名祐海(本レーベルでメジャーデビュー、活動中止)
  • 辻尾有紗(Spoonful/ZAIN RECORDSより移籍、活動中止)

作品[編集]

1997年[編集]

1998年[編集]

1999年[編集]

関連項目[編集]