平野昌一
平野昌一(ひらのまさかず 1963年生まれー )は日本のタレントプロダクションプロデューサー/歌番組制作演出ディレクター/コンサート演出担当 血液型B型 所属はオフィス日新 福岡県福岡市西区姪浜(愛宕)出身
人物・経歴
福岡市立姪浜小学校、福岡市立姪浜中学校、福岡第一高校(普通科)卒業
フジワイド制作へ契約アルバイトとして入社後、フジテレビ「夜のヒットスタジオ」の当時のプロデューサー疋田拓に師事し生番組、特に音楽番組の制作演出を学ぶ 同番組や夕やけニャンニャン、歌謡番組の特番などのAD FDなどを経験し現在はNHK歌謡コンサートや各歌番組の演出(PD)を担当する。
一時期はNHKエデュケーショナルで幼児ソフト部門に所属し「おかあさんといっしょ」「英語であそぼ」など子供番組の制作経験もある 更にテレビ朝日では報道番組「スーパーJチャンネル」のFD、お昼の情報ワイド番組「ワイドスクランブル」のFMも担当した時期があった。 何れも生放送番組のスタジオスタッフ、フロアディレクター、仕切りスタッフとして貴重な役割りでもある。
平野昌一の演出の特徴としては生演奏(オーケストラ、フルバンド)を用いて派手な電飾セット、また今でもスクールメイツ等を使った演出をするので有名。 ドライアイスや紙吹雪やミラーボールなどを使用した演出が特徴的である。 どうしても80年代のバブル期に身に付けた豪華で派手な演出は夜ヒットそのものである。 視聴率が取れる制作スタッフとしても定評があり本人曰く「予算をある程度かけないとただ歌っているだけでは視聴者様の関心も薄いと思う、その予算をどう使いこなせるかが 一番大変」と週刊大衆の記事で語っている。
衣装に関しても演出の一環で平野は昔からの専属のスタイリスト梅原ひさ江らを起用してることが多い。 衣装にはかなりこだわりをもっていて何度も直しがあるという。 他の関連スタッフも夜ヒット時代からの付き合いのスタッフが多く平野ブレーンが作られてる。
演奏は三原綱木とザ・ニューブリードスペシャル 振付は西条満先生でダンシングオフィス西条の振り付け師を起用することが多い 三浦亨や菊地ヒロユキらもそのメンバーである。
音楽監督には広瀬健次郎 宮川泰 藤野浩一 たかしまあきひこ らが多い。 美術デザインは馬場文衛、 衣装スタイリストは梅原ひさ江 相澤宏美
フリーアナウンサー(元TBSアナウンサー)の小川哲哉、フリーアナウンサー岩田まこ都らと親交が深い
平野昌一はタレント受けが凄くよく歌手やタレントさんの中にも平野昌一ファンが多い。 それらのタレントさんも平野ブレーンとなっている。 師匠の疋田拓氏に疋田班というものがあるのと同じ形である。
声優タレント平野綾が前事務所をやめて移籍を相談したのも平野昌一で後に平野綾は バーニング系Grickに移籍している。 ちなみに平野昌一と平野綾は親戚関係ではない。
また厳しい指導や接し方の反面携わったタレントのケアも繊細に気遣い出切る人物である。 挨拶、礼儀には非常に厳しく上下関係や横のつながりを大切にしている。 平野をよく知らない人は性格が悪いとか怖いとかで関わりたくないなどという人も少なくはない。 演出やタレントプロデュースに関して一切妥協しない頑固者である。 毎回の演出でも後になって完璧だったこと思ったことは一度もなく毎回反省材料があるという。
またテレビ番組制作と平行してタレントプロデューサーとしても歌謡業界では実績がありバーニングプロダクション系でもある疋田拓氏の援護もあり同プロ系列で オフィス日新の代表兼プロデューサーとしても活躍の場を広げている。 オフィス日新には元おニャン子クラブの福永恵規が広報担当でスタッフをやっている。 このことは国生さゆりが今でも親友の福永恵規のことを励ます意味で雑誌インタビューで語っている。
- 芸能界の福岡出身のタレントやスタッフが集まる福岡会のメンバー
- 放送音楽プロデューサー連盟会員
1995年に服飾パタンナーやってる人と結婚するが7年後に協議離婚 子供はいない。
後にさまざまなアイドルやタレントとの噂が耐えない人物でもある。
本人曰く自身は篠原涼子や昔からの熱狂的な松本ちえこ、岩崎宏美のファンであると語っている。 ここ近年ではガールズバンドSCANDALのファンでもありライブを見に行くほどである。 また俳優の石立鉄男の大ファンでもある。
元西鉄ライオンズ選手で元近鉄オリックス仰木彬監督の大ファンで監督時代は仰木彬後援会に入ってたことがあり シーズン中は近鉄やオリックスの野球観戦を仕事の合間に行ってた熱狂的な仰木彬ファンでもある。
実家は福岡市西区姪浜で(飲食店などでサービス提供される)貸しおしぼり業をやっているが道路拡張の為移転したか廃業したかは不明。
平野昌一本人は上京したての頃は東京のおしぼり屋さんで配送営業のアルバイトをやっていた。
福岡でも上京するまではレストランでソフトメニューの調理アルバイトの経験を持つ 得意なのはプリンアラモードやマロンパフェで平野が作るオリジナルのミックスジュースは評判だったとか。 また平野昌一本人は大の回転寿司好きでテレビの仕事をやっていなかったら回転寿司屋さんをやりかったとの夢もあったそうだ。