禁色

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禁色(きんじき)には3種類ある。本項目ではこのうち最初の2種類について述べる。

  1. 「色を禁ずる」と書くように、特定のの使用を禁じたものだが、転じて色以外でも着用を禁じられた衣装織物なども含んだ[1]
    • これらの禁止は、天皇の許しを得た場合は使用可能となる。逆に誰でも使用できる色のことを「ゆるし色」と言った。
  2. 律令制の「衣服令」で定められた、自身の当色(とうじき、位階に相当する色)以上の色を用いては成らないという規則を指す[1]
  3. 三島由紀夫小説禁色 (小説) を参照。

色彩の禁色

天皇の御にのみ用いられる黄櫨染(こうろぜん)は天皇以外誰も使用することが出来ない絶対禁色である。

青白橡)、(赤白橡)、黄丹深紫支子深緋深蘇芳(濃蘇芳とも言う)の七色、及び文様を織り出した織物が特に「禁色」の対象である。

は天皇の御袍、上皇黄丹皇太子深紫は一位の公卿の袍の色として服制で定められており、支子は黄丹、深緋と深蘇芳は深紫に紛らわしいことからみだりに着用することを禁止されたが、これらの色・文様は天皇の「禁色聴許の宣旨」を受けることによって着用できる。

禁色聴許の辞令(宣旨)の例 「康富記」
征夷大將軍左馬頭源朝臣義成
正三位行權中納言兼右衞門督藤原朝臣持季宣
奉 勅件人宜聽著禁色者
文安六年四月廿九日 大炊頭兼大外記清原朝臣業―奉
(訓読文) 征夷大将軍左馬頭源朝臣義成(のちの義政。15歳、正五位下) 正三位行権大納言兼右衛門督藤原朝臣持季(正親町持季 35歳)宣(の)る、勅(みことのり 後花園天皇 20歳)を奉(うけたまは)るに、件人(くだんのひと)宜しく禁色に著(つ)くことを聴(ゆる)すべし者(てへり) 文安6年(1449年)4月29日 大炊頭兼大外記清原朝臣業忠(41歳 従四位上)奉(うけたまは)る、

また、典侍六位蔵人が青色を着ることを特に許されていたように慣例による例外もあった。

明治時代以降は規制が緩和され、天皇の黄櫨染と皇太子の黄丹の二色を誰も使用することが出来ない絶対禁色とし、ほかの色の規制は解かれた。

染色の禁色

「地摺りの」が最も有名。地摺りとはステンシルの要領で草木の汁などで模様を染め出したものだが、宮中では金泥・銀泥を用いた豪奢なものであったという。

織物の禁色

浮織物や「青の唐衣」「赤の唐衣」が有名。青・赤の唐衣は染色ではなく織色で微妙な色彩を表すもの。

脚注

  1. 1.0 1.1 増田美子 「日本衣服史」 2010年 吉川弘文館 ISBN 4642080317

外部リンク