蓑部修

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蓑部 修(みのべ おさむ)とは、全日本同和会宮崎県連合会2代目会長。

経歴

宮崎県串間市出身。初代会長・丹村教義が同和地区中小企業経営安定資金の不正流用や暴力糾弾で指弾されて退任した後を継いで会長に就任。

1977年頃、県の同和対策室主査(当時)の谷口幸雄が蓑部による丹村への追い落とし工作に協力し、それ以後、谷口と組んで県の同和行政を牛耳るに至る。全日本同和会内部の不平分子の動きを谷口が蓑部に密告し、その見返りに蓑部が谷口の県庁内での発言を後方から支援するという関係であった。

蓑部のカネ集めの方法は以下のようなものであった。

  • 県と関係市町村からの年間8000万円にのぼる団体助成金を自分名義の口座に振り込ませ、うち市町村分の15パーセントをピンはねする。
  • 同和地区改良事業を落札した業者から、「建設工事協力金」名目で工事費の10パーセントをピンはねする。

蓑部はまた、県同和高度化資金貸付制度を利用し、輸入食肉事業協同組合をでっち上げ、1983年2月と5月に土地購入や設備費などの名目で3億9000万円の融資を受け、約2億9000万円で宮崎市内に鉄筋コンクリート3階建て、総床面積1340平方メートルの施設を建造。しかし実際には輸入肉を2回ほど仕入れただけで事業はおこなわず、施設の3階を自宅とし、サウナを含む13部屋で優雅に暮らしていた。

さらに蓑部は、故郷の串間市に同和住宅新築資金で豪邸を建設。この屋敷は「蓑部御殿」と呼ばれた。また宮崎市でも中古住宅を購入し、改修費名目で同和住宅改修資金を詐取していた。

こうして蓑部は3つの家を持ち、ベンツやジャガーなど高級車4台を乗り回し、ゴルフの会員権を3箇所に持ち、「同和貴族」と呼ばれた。

しかし1986年9月10日、谷口が詐欺容疑で逮捕される。1983年6月、知り合いの女性を同和地区出身者に仕立て上げ、宮崎市内にハンバーガー店を開業すると虚偽の申請をおこない、県同和地区中小企業経営安定資金から500万円をだまし取った容疑である。

この後、蓑部は宮崎から行方をくらましていたが、1986年9月29日、宮崎空港に舞い戻ったところを贈賄と詐欺の容疑で逮捕される。被疑事実は

  • 谷口から同和事業にからむ県の情報提供を受けたこと
  • 県職員採用手続きに便宜を図った謝礼として1983年12月頃に現金100万円を渡したこと
  • 谷口と共謀して1982年から1983年にかけて県同和対策協会の業務委託料のうち500万円をだまし取ったこと

であった。

これに伴って蓑部は全日本同和会宮崎県連合会会長を退任。1986年11月、後任の永住茂久が会長となったが、永住もまた1987年1月に企業恐喝容疑で全日本同和会宮崎県連合会高崎支部長の児玉重光とともに逮捕されている。

出典

  • 中原京三『追跡・えせ同和行為』p.104-112