自由主義
自由主義(じゆうしゅぎ)とは政治思想の一つ。「リベラリズム」とも言う。
目次
種類
古典的自由主義
古典的自由主義 (Classical liberalism) とは、個人の自由の尊重、平等な個人の観念、寛容、法の尊重、権力の分立と議会制度、市場経済の承認といった価値観を主張する思想。放任される自由を強調する思想であり、個人主義の哲学・世界観に基づく市場経済社会と政治体制として議会制をもつ「夜警国家」を主張する。古典派自由主義経済学は利己的に行動する各人が市場において自由競争を行えば、その意図せざる結果として(「見えざる手」)、公正で安定した社会が成立すると考える思想(→アダム・スミス)。経済的自由を重視する立場から、英語圏ではEconomic liberalism(経済自由主義)やMarket liberalism(市場自由主義)とも呼ばれる[1]。
現代の自由主義/リベラリズム
現代の自由主義/リベラリズム (英:New liberalism, Reform liberalism) は、自己と他者の自由[2]を尊重する社会的公正を指向する思想体系のこと。自由放任を基本原理とする古典的自由主義や(自由至上主義)とは異なり、それが人々の自由をかえって阻害するという考え方が根底にある。現代において個人の自由で独立した選択を実質的に保障し、極度の貧富差における経済的隷属や個人の社会的自由を侵害する偏見や差別などを防ぐためには、政府の介入を制限する(リバータリアニズム、新自由主義)のではなく、政府や地域社会による積極的な介入も必要であるという考えに基づく。
「公正」とはジョン・ロールズによれば「立場入れ替え可能性の確保 」を意味する。これは人々に「社会のどこに生まれても自分は耐えられるか」という反実仮想を迫るものであり、機会平等と最小不幸を主張する。ロールズの格差原理では、社会で最も不遇な人々の厚生が計られないかぎり、格差ないし不平等は公正ではないものとされる[3]。
よって、リベラリズムは自己決定を推奨し、国家による富の再配分または地域社会による相互扶助を肯定する。すなわち、市場原理主義では大企業が利益を最大化する一連の行為のために、失業問題や構造的貧困や環境問題など様々な弊害・社会問題が生じ、それは古典的自由主義の意図に反して 人々の社会的自由をかえって阻害しているとし、古典的自由主義を修正する思想である[4] 。
日本語ではそのニュアンスの違いを表すため、また、混同を避けるためにあえて自由主義ではなくリベラリズムと呼ばれることが多い。積極的自由や社会的自由を重視したり、社会民主主義との親和性を書き表すために英語圏ではSocial liberalism(社会自由主義)と表現されることもある。ただしロールズにおいては、あくまでも事後的な社会保障にとどまる福祉国家論とは別個に、人的資本を含む生産手段の広範な分散的保有の事前的な制度的保障が主張されている[5]。
なお、政府ではなくローカル共同体などの中間集団による再分配と相互扶助を主張するリベラリズムの一種としてアナキズムがある。
歴史的起源とその展開
「政府は、共同体一人ひとりのメンバーを強力な権力でつぎつぎと押さえ込み、都合よく人々の人格を変質させたあと、その超越的な権力を社会全体に伸ばしてくる。この国家権力は細かく複雑な規制のネットワークと、些細な事柄や征服などによって社会の表層を覆った。そのために、最も個性的な考え方や最もエネルギッシュな人格を持った者たちが、人々を感銘させ群集の中から立ち上がり、社会に強い影響を与えることができなくなった。
人間の意志そのものを破壊してしまうことはできないが、それを弱めて、捻じ曲げて、誘導することはできるのだ。国家権力によって人々は直接その行動を強制されることはないが、たえず行動を制限されている。こうした政府の権力が、人間そのものを破壊してしまうことはないが、その存在を妨げるのだ。専制政治にまではならないが、人々を締め付け、その気力を弱らせ、希望を打ち砕き、消沈させ、麻痺させる。そして最後には、国民の一人ひとりは、臆病でただ勤勉なだけの動物たちの集まりにすぎなくなり、政府がそれを羊飼いとして管理するようになる」―アレクシス・ド・トクビル(Alexis de Tocqueville、1805年 - 1859年)『アメリカの民主体制』より
「人民の2人の敵は犯罪者と政府である。したがって、第2(政府)が1番目(犯罪者)の合法化バージョンにならぬように、憲法の鎖で羽交い締めにしよう。」―トマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson、1743年 - 1826年)
自由主義の哲学的、思想的源流をさかのぼると、17世紀イギリスのジョン・ロック(1632年 - 1704年)の思想に行き着く。ロックは、人間は生来自由で可能性に充ちた生き物であり、いかなる人間にも自らの自由な意思と選択で生きることが認められていると主張した。この権利は「自然権(Natural Rights)」として個々の人間に生まれた時から備わっているものであり、誰からも妨害されることはない。人間は誰もが、個人の自由な意思に基づいて人間は自らの判断で思想も宗教も生き方や生活のスタイルも自由に選ぶことができると主張した。当時、市民の生活に強力な王権で干渉し、人々の財産までその一存で奪うことができた絶対主義政府の国家権力に対抗する思想としてロックが生み出した主張が、リベラリズムの始まりであると言われる。
ロックはさらに、この個人の自由に生きる権利を実際に行使するためには、専制的権力者や独断的な政府政策、政治制度や社会制度の一方的な主義や主張、イデオロギーなどによって勝手に奪われてしまうことのない自分の「財産」を所有する必要があると主張した。ロックによれば、当人の所有物となるのは身体を用いて自然界の共有物から切り離されたものであるとされた。[6]またこの自己所有は自己の身体に対する所有権にその原型を有するものとされた。この立場からは、当人の所有物をその同意を得ないで使用することはいわば奴隷化と同等であって正義に反するとされた。
そして、自由な政治と経済体制のもと、自由な市民による自主的な合意によって制定される「法律」と、自由な意思を持つ個人どうしの自発的で主体的な裁量によって結ばれる「契約」によって初めて、各人がこの「所有権」を保障され、自分自身や自分が自由に生きるために必要な自分が占有できる財産を得るのだと主張した。「政府」の真の役割とは、こうした個人の権利を「守る」ことに限定される。これを破ってその国家権力を乱用し人々の自由を奪った時には、市民が抵抗権, 革命権を行使しその政府を交代させる権利を持つのだと主張した(社会契約説)。
スコットランドの古典派経済学 (classical economics) の学者であるアダム・スミス(1723年 - 1790年)はロックに続いて、個人の利己心がその意図しない結果として社会全体の利益をもたらすという「見えざる手」の議論を展開した上、そのために、政府の干渉や介入政策を受けない、自由な経済環境(自由市場)における自由な経済活動が必要だと説いた。
このイギリスの自由主義(リベラリズム)の思想が18世紀にアメリカに渡り、米3代大統領トーマス・ジェファーソン(1743年 - 1826年)らアメリカ建国の中心人物たちであるファウンディング・ファーザーズ(= 建国の父達)によってアメリカ建国の国家思想として引き継がれた。彼らは、巨大な国家権力で人民を縛り付けたイギリスの政府支配体制に対抗してイギリスを離れ、新天地アメリカに王権にも専制政府権力にも統制を受けない、独立した市民による自発的な人々の自由な市民社会の設立を目指した。建国後に建国の父達は人民の基本権を守るために権利章典を制定した。
その後ジョン・スチュアート・ミルのように自由民主主義の方向で対応してゆく流れ(L.T.ホブハウス、A.D.リンゼイ、アーネスト・バーカー、ジョン・デューイ)にたいして、とりわけ二〇世紀の前半になると、新自由主義論(グレイのような論者は「古典的自由主義の復興」として取り扱う)が台頭してくる。その代表はF・A・ハイエクである。
現代リベラリズムの成立とその後
十九世紀後半から二十世紀前半にかけて、ルヨ・ブレンターノ、レオナルド・ホブハウス、トーマス・ヒル・グリーン、ジョン・メイナード・ケインズ、ベルティル・オリーン、ジョン・デューイといった人たちによって哲学的・経済学的な視点から、自由放任主義を放棄し、時には国家による介入も容認するべきであるとする根拠と方法が次第に理論化され、こうした思想家の影響を受けた自由主義者たちは new liberals と呼ばれ影響力を増していく。
かれらは社会主義者のように階級間の融和不可能な対立や中央集権的な統制を是認しない一方で、古典的自由主義者のように自由競争が市場における「神の見えざる手」のように最大多数の最大幸福を自動的に実現するとは信じず、政府によって、各人の社会的自己実現をさまたげ、市場や社会における相互の欲求の最適化や調整のメカニズムを阻害する過度の集中や不公正などの要因を除去することが、まさしく「自由」の観点から言っても必要だと考えた。
なかでもケインズは「自由放任の論拠とされてきた形而上学は、これを一掃しようではないか。持てる者に永久の権利を授ける契約など一つもない。利己心がつねに社会全体の利益になるように働くというのは本当ではない。各自別々に自分の目的を促進するために行動している個々人は、たいてい自分自身の目的すら達成しえない状態にある」と述べ[7]、アダム・スミスに由来する「見えざる手」に信頼する自由放任論からの脱却を求めるとともに、具体的には不完全雇用均衡からの脱却のための経済政策が政府によって実現されることを求めた。
こうして、大恐慌を代表とする「市場の失敗」とニューディール政策などの革新主義運動を経てアメリカでは民主党などに代表されるように、自由を実質的に実現するためには、その現実的制約となっている社会的不公正を是正しなければならない、というアイザイア・バーリンのいう積極的自由を重んじる(他からの不干渉というのにとどまらず実質的な自己決定、自己支配が達成されなければ、形式的自由には意味がないという)思想がリベラルのなかで優勢となった。
しかし、二十世紀後半以降、石油危機後の低成長時代を迎え、スタグフレーションや財政赤字といった問題が深刻化する中、従来のリベラリズムに対する批判が経済学のシカゴ学派から始まり、福祉国家の見直しや国営企業の民営化、規制緩和を志向する新自由主義が優勢となった。その後、1980年代の新自由主義への対抗から、小さな政府と大きな政府との中道を模索し、市場を重視しつつも国家の補完による公正の確保を志向する第三の道が1990年代に台頭した。2000年代の今日では、グローバル化の進行に伴い、リバタリアニズムや新保守主義とどのように対応していくかがリベラリズムの課題となっている。
「リベラル派」という誤用
インターネット上で用いられる「リベラル派」なる用語はほとんどが理解せぬままに用いられた誤用か実体無き命名である。
関連項目
脚注・参考文献
- ↑ しかしながら、アダム・スミスは現代社会のように大企業が支配的・独占的になるという現象や、それが一国のみならず世界規模の現象となる(グローバル資本主義)を想定していなかったので様々な弊害が表れた
- ↑ ロールズの第一原理では、各個人は、他者の自由と両立しうる限り、基本的な自由を平等に享受するとしている
- ↑ これは第二原理の一つである。もう一方は不平等をもたらす職務につく機会が全ての人に開かれていることである
- ↑ リベラリズムは、ある一つの価値である「自由」に対して普遍性を認めるものであるが、バーリンなどの価値多元論がリベラリズムを否定する価値をも包摂するかぎり、これとリベラリズムとの整合性が問題とされることがある。 価値多元論をきわめて強く解釈したジョン・グレイは、固定化できない「自由」という論争的概念の追求は、多様な自我や差異の存在と真っ向から対立するものであるとして、自由主義はイデオロギー化できないという考え方を示している。ことにロールズの自由主義契約論は「社会的基本財」、すなわち自由の追求を前提に据えた議論であり、それゆえにロールズが示す「無知のヴェール」を纏った「閉じた社会」に対して、自由を是とする「開かれた社会」の優位性を前提とするこの議論の進化論的性格を、グレイは論理的に破綻していると結論している(ジョン・グレイ,2001,『自由主義論』,ミネルヴァ書房)
- ↑ 平野仁彦ほか(2002)「法哲学」有斐閣
- ↑ この労働の果実としてのロック的な所有権は実際の歴史では特に不動産の場合においては稀であった。
- ↑ Keynes, John M. (1926) The End of Laissez-Faire.
関連書
- レオ・シュトラウス 石崎嘉彦、飯島昇蔵 訳 『リベラリズム 古代と近代』 ナカニシヤ出版 ISBN 4-88848-831-2
- 阪本昌成 『リベラリズム/デモクラシー』 有信堂高文社 ISBN 4-8420-1054-1
- 稲葉振一郎 『リベラリズムの存在証明』 紀伊國屋書店 ISBN 4314008482