ジョンヘンリー
ジョンヘンリー | |
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ジョーンヘンリー(31歳) | |
性別: | 牡→騸 |
毛色: | 青鹿毛 |
白斑: | {{{斑}}} |
品種: | サラブレッド |
生誕: | 1975年3月9日 |
死没: | 2007年10月8日(32歳) |
父: | オールボブバウアーズ |
母: | ワンスダブル |
母の父: | {{{母父}}} |
生産: | Golden Chance Farm Inc. |
生国: | アメリカ合衆国 |
馬主: | D.Lingo & C.Madere →H.Snowden Jr. →S.Rubin →Dotsam Stable |
調教師: | Phil Marino(米) →H.Snowden Jr.(米) →Robert A.Donato(米) →Victor J.Nickerson(米) →Ronald McAnally(米) |
厩務員: | {{{厩}}} |
競走成績 | |
生涯成績: | 83戦39勝 |
獲得賞金: | 6,597,947ドル |
ジョンヘンリー(John Henry)はアメリカ合衆国の元競走馬である。高齢まで活躍し、6歳と9歳時に米年度代表馬(エクリプス賞)に選ばれた。ほかG1競走16勝の記録も持つ。馬名の由来はアメリカの民衆の英雄、ジョン・ヘンリーより。
デビュー前の1歳時に去勢されている。
戦績
当初は激しい気性のため活躍できず様々な馬主、調教師の間を転々としていたが、5歳時にロナルド・マッカナリーによって素質を開花させた。この年はGIII勝利に始まりGII、GIと徐々にクラスをあげつつ6連勝、通算で8勝をあげた。翌年はジョッキークラブゴールドカップステークス、アーリントンミリオンステークス等に勝ち、ついにエクリプス賞年度代表馬に選出される。
7歳時に出走した第2回ジャパンカップで招待馬の目玉として1番人気に支持されながら13着と大敗するなどスランプに見舞われた時期もあったが、9歳になり再び全盛時の力を取り戻しGIを4勝、引退レースにも勝ち9歳にして再び年度代表馬に選ばれる等、息の長い競走生活を送った。
引退後
引退後はケンタッキーホースパークにて余生を送っており、30歳の誕生日にはファンや関係者150人が集まり祝福された。その後も不機嫌ながら元気に生活を送っていたものの2007年秋頃から脱水症状などで体調を崩すようになり、同年10月8日に安楽死となった。32歳であった。
評価
エクリプス賞
表彰
- 1990年 - アメリカ競馬名誉の殿堂博物館の殿堂入り
- 1999年 - ブラッドホース誌の選ぶ20世紀のアメリカ名馬100選において23位に選ばれる
ほか、アーリントンパーク競馬場の一角にジョンヘンリーを讃える記念像が置かれている。
血統表
ジョンヘンリーの血統(プリンスキロ系/Bull Dog(Sir Gallahad)4×4・5=15.63% Blue Larkspur5×4=9.38%) | |||
父 Ole Bob Bowers 1963 |
Prince Blessed | Princequillo | Prince Rose |
Cosquilla | |||
Dog Blessed | Bull Dog | ||
Blessed Again | |||
Blue Jeans | Bull Lea | Bull Dog | |
Rose Leaves | |||
Blue Grass | Blue Larkspur | ||
Camelot | |||
母 Once Double 1967 |
Double Jay | Balladier | Black Toney |
Blue Warbler | |||
Broomshot | Whisk Broom | ||
Centre Shot | |||
Intent One | Intent | War Relic | |
Liz F. | |||
Dusty Legs | Mahmoud | ||
Dustemall F-No.8-c |
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