三河国
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三河国 (みかわのくに) は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、東海道に位置する。現在の愛知県の東部にあたる。三の大字を用いて参河国とも表記する。三州または参州 (さんしゅう) と呼ぶこともある。延喜式での格は上国、近国。 大宝律令以前は、三川と表記。律令制~平城京までは参河と表記。長岡京以後は、三河と表記したことが、木簡から判明している。
沿革
645年の大化の改新後に穂国造と参河国造(三河、三川)の支配領域を合わせて成立したと考えられているが確証はない。参河国が確実に存在したのは律令制の成立以後である。また7世紀後半に石神遺跡から、三川国穂評と記載された木簡が出土することから、穂国造を否定する説もある。ちなみに穂国造は、偽書説のある先代旧事本紀にしか登場しない(他の史料で、東三河を穂国(穂の国)と呼称している事実はない)。
穂国造の本拠は宝飯郡であるが、確定できる主要な古代遺跡がないため中心地は不明である。
西三河に該当する三河国造の本拠は、二子古墳のある鹿乗川流域遺跡群(安城市桜井町地域)と推定されている[1]- ↑ 平凡社マイペディア、愛知県埋蔵文化財センター、安城市埋蔵文化財センター
- ↑ 平凡社マイペディア、愛知県埋蔵文化財センター、安城市埋蔵文化財センター<references/>。石神遺跡から出土した木簡に、桜井君、長浴部直と記載された地方国主を想定するものがある。また、三河国内では、古代の木簡は、安城市の下懸遺跡(小川町)・上橋下遺跡(古井町)からしか出土していない。また、市の付く地名が、その国の中心地と想定され、大市郷
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