藤原上子
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藤原上子(ふじわらのうえこ/じょうし、生没年不詳)は、平安時代初期の女官。桓武天皇の宮人。滋野内親王の母。
藤原北家の出身で、贈正一位太政大臣藤原房前の曾孫。藤原鳥養の孫娘。父は大納言藤原小黒麻呂。母は不明。兄弟に正三位中納言藤原葛野麻呂・従四位上参議藤原道雄らがいる。 延暦23年(804年)7月7日、無位から従五位上に叙されているので、桓武天皇の後宮に入ったのもこの時期と考えられる。大同4年(809年)、皇女滋野内親王を産んだ。
滋野内親王(809-857)は桓武天皇の第7皇女で、『日本文徳天皇実録』によれば「容色妖艶で、淇上(きじょう)の譏(そし)りをまぬかれなかった」とあるので、美貌に恵まれて男女関係が派手だったことが推測される。彼女は生涯独身のまま、天安元年(857年)4月7日に49歳で薨去している。