チャンプア・ゲッソンリット

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チャンプア・ゲッソンリットChiangpuet Kiangsongrit1966年10月13日 - )は、タイ出身のムエタイ選手。正しくはチャーンプアック・ギアットソンリットと読む。身長175cm、体重70.0kg。「チャンプア」とはタイ語で「白象」という意味。

K-1初期に国際戦専用ボクサーとしてムエタイ代表で数々の名勝負を演じる。1980年代、日本のキックボクシングが衰退していた時期、力をつけ始めた欧州キックボクシング勢がタイに乗り込んできだした当時、タイでは重量級の選手がおらず、ムエタイ最強の看板を引っさげてパーヤップ・プレムチャイ、ラクチャート・ソーパサドポンそしてシティーサック・トゥーアヌソン等当時の重量級選手を欧州に送り込むも全敗と言った事態が続き、一部ではもはやムエタイが欧米に勝つのは不可能なのか?と囁かれた中、救世主の如く現れた重量級ムエタイボクサー。当時ヨーロッパ最強と言われたロブ・カーマンを撃破し、ムエタイ最強の名前を再びこの世に知らしめた。

来歴[編集]

1989年11月29日、第2次UWF興行「U-COSMOS」で日本のリングに初登場、安生洋二と戦いドローに終わる。

1991年5月24日、後楽園で行われたWMK世界ヘビー級初代王者決定戦に出場。ベンジャミン(オランダ)を破り、初代王者になる。

1993年4月30日、「K-1 GRAND PRIX '93」に出場。1回戦でブランコ・シカティックと対戦。10kg以上もの体重差はいかんともしがたく、KO負けを喫した。

1993年12月19日に一度だけ開催された80kg以下のトーナメント、K-2グランプリの決勝でアーネスト・ホーストと対戦。10kgもの体重差を背負いながら打たれても打たれても前に出続け、4ラウンドには力尽き失神KOとなるが、その勇敢な姿が観客の心を大きく掴む。チャンプアコールと拍手喝采の中、タンカで運ばれ退場した。この時は、優勝したホーストよりもチャンプアのほうが注目された。

1994年9月18日、K-1 REVENGEにてマイケル・トンプソンと対戦。3R開始直後、左中段後ろ回し蹴りでKO負け。この蹴りで小腸を断裂、しばらく試合から遠ざかっていたがその後再び日本のリングに帰ってくるも、もはや全盛時の勢いはなく数回の試合をこなした後、沖縄での試合を最後に日本のリングから姿を消した。

その後、ゲッソンリットジムの閉鎖を機に拠点をタイのパタヤー市にあるオランダ人が経営するムエタイジムに移しヨーロッパで試合をこなしていたが、2006年12月にパタヤー市で開催された試合を最後に選手人生にピリオドを打った。

戦績[編集]

キックボクシング[編集]

空手[編集]

獲得タイトル[編集]

  • WMK世界ヘビー級王座
  • IMF世界ライトヘビー級王座
  • UKF世界ライトヘビー級王座
  • K-2 GRAND PRIX '93 準優勝
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