ハレルヤコミュニティーチャーチ

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ハレルヤコミュニティチャーチ(略称HCCまたはライブチャーチ)主要な人物は榊山清志牧師。

榊山 清志(さかきやま きよし)1951年長野県生まれ(母や兄は愛知県新城市在住)は日本の牧師(福音派)                          当初はイエス福音教団所属の浜松教会の牧師であった。清志氏の義父は滝元明氏(新城教会牧師)であり、清志氏の妻は仁子(滝元明氏の長女である)

1977年、浜松市中区富塚町にて自宅アパートの部屋を会堂として開き、イエス福音教団浜松教会として活動開始(五つの大学で聖書研究会を開く)

1981年、浜松市高丘東に教会堂を移す(元ビリヤード場)。信者の中から塾生(献身者)が多く集まり、榊山牧師がスパルタ的な訓練を施す。

1987年、浜松市花川町(元の吉野町)に大規模な新会堂を新築する。同時期にHCCは宗教法人として認可される。

2000年、所属教団だったイエス福音教団から離脱(元信者達の暴力被害相談を受けた教団監督の穐近氏と面談の上で、榊山氏本人の意思で離脱

2000年、日本中央聖会と銘打った大々的な伝道集会を、本田弘慈氏(故人)などを招いて開く。

2003年、富塚会堂時代から最初の伝道者として活躍していた大木彰氏や実弟の榊山敬氏などがHCCから脱退した。

2005年、大木彰氏などが立ち上げた「ゆうきの会」というHCCの被害者達のグループが民事訴訟を浜松地裁に提出した。

2006年、の1月にHCCは、元所属教団であるイエス福音教団監督の穐近氏、ゆうきの会の大木氏、その他原告4名に対して逆提訴した。

2007年、「随想 吉祥寺の森から」というプログの主の杉本氏(榊山氏とHCCから2006年に杉本氏が民事提訴された件)が裁判に勝訴した。

2008年、の2月に被害者サイド及び加害者サイド両方による民事裁判の最終的な判決が出た。結果は双方の請求を棄却するという判決となった。

     しかし榊山の暴力・セクハラ行為は司法により明確に事実認定されたのだが、時効により棄却されるという結果になった。