コミュニケーション
コミュニケイションは、この項目へ転送されています。その他の用法についてはコミュニケーション (曖昧さ回避)をご覧ください。 |
コミュニケーション(英:communication、交流)とは、
原語がcommunicationなのでカタカナで表記する場合は「コミュニケーション」と表記されるのが正式であり、広辞苑でもそう表記している[1][2][3][4]。
目次
概説
「コミュニケーション」という語は多種多様な用いられ方をしている。
辞典類ではまず、人間の間で行われる知覚・感情・思考の伝達[1][5]、などといった簡素な定義文が掲載されている。
ただし、上記のような定義文では不十分で、一般に「コミュニケーション」というのは、情報の伝達だけが起きればが充分に成立したとは見なされておらず、人間と人間の間で、《意志の疎通》が行われたり、《心や気持ちの通い合い》が行われたり、《互いに理解し合う》ことが起きて、はじめてコミュニケーションが成立した、とされている、といった説明を補っているものもある [6]
学術的には、一般的な用法から離れて、広義に用いることがあり、記号などの何らかの因子の移動を伴う、ある分けられる事象間の相互作用の過程をコミュニケーションと呼ぶことがある。
語源
- 英語:communication = ラテン語:communis ( common, public, 共通の) communio(交わり, comm共に unio一致)+ munitare(舗装する, 通行可能にする)
心理学的解釈
コミュニケーションを発信と応答という観点から見た場合、ある個体のアクションに応じて別の個体にリアクションが生じた場合、両者の間にコミュニケーションが成立していることになる[7]。コミュニケーション行動の機能は、たんに情報の伝達にとどまらず、情動的な共感、さらには相手の行動の制御をも幅広く含んでいる[8]。
コミュニケーションの成立は、そのための適切な発信行動が取られたというだけではなく、受け手が適切なシグナル・媒体に注意を向け情報を受信した上で、さらに的確な理解をしているかどうか、という点にもかかっている。記号の解釈にあたっては、相補的関係にあるコンテクスト(非言語的な文脈)とコード(言語的な約束)とが参照される[9]。定められたコードを参照するだけでは、メッセージが解読できないとき(たとえば子供のコミュニケーション)、コンテクストが参照され、受信者による推定が加わる事になる[10]。
コミュニケーションによって、受け取られる、または伝えられる 情報の種類は、感情、意思、思考、知識など、様々である。受け取るまたは伝える ための媒体としては、言葉、表情、ジェスチャー、鳴き声、分泌物質(フェロモン等)などが用いられている。動物の媒体[11]と人間の媒体を比較すると、人間の媒体には(身体の動作、表情、フェロモンなどの動物と共通の媒体に加えて)言語がある、という点が異なっている。
コミュニケーションは、その相互作用の結果として、ある種の等質性や共通性をもたらすことも少なくない[12]。人間の場合は特に、他者に対して自分の心の状態を伝えることで働きかけるだけでなく、他者から受け取った情報により、相手の心の状態を読み取ったり共感したりすることも含まれる(他者理解)[13]。
人間関係とコミュニケーション
イヌやネコも、イヌやネコなりにコミュニケーションをしているが、しかし人間のように、こまやかな関係をつくることはできない。「刎頚の交わり」という言葉があるが、これは首を切られても悔いが無いような親しい友人関係のことである。このような言葉があるほどに、人間は親密になることも可能である。なぜ、このようなことが可能なのか。 それは、ひとつには人間が「ことば」を使えるからであり[14]、お互いに「わかる」ことができ、共感(Empathy)を持つこと、共感することができるからである[15]。
ひとりの人間の内部に発生している状態ときわめてよく似た状態がもうひとりの人間の内部に生ずる過程、それが共感である。例えば、誰かが「痛い」と言う。その「痛い」という言葉を聞いた時、聞いた人の内部ではひとつの過程が発生する。「痛い」という言葉によって表現されたからだの状態に似た状態を、聞き手はみずからの体験に即して想像する。聞き手はべつだんその部分に痛みを感じるわけではないが、「痛い」という言葉によって表現しようとしている身体の状態がどのような性質であるかを知っているのである[16]。また、共感はしばしば、生理的な次元でも起きる。例えば、母親と子供といったこまやかな関係においては、痛みはたんに想像上経験されるだけでなく、実際の生理的な痛みとして体験されることもある。子どもが「痛い」と言うたびに、母親もその部分が本当に痛くなったりするのである[17]。人は映画を見ている時など、登場人物が危機的な場面に陥るとハラハラしたり、胸がドキドキしたり(つまり心拍数が上がったり)、手に汗をにぎったりする。人間は、映画のなかの登場人物に自分自身を置き換えると言える。人間は「相手の身になる」能力を持っているのである[18][19]。
ところで、ことばを用いた共感についてであるが、これは日常的に行われている平凡なことであるが、よくよく考察すると奇妙なものなのである。例えば、小説を読んでいるときの人間の心のうごきを分析してみると、前述のごとく、読者は作品のなかの登場人物の「身になって」物語を追う。これは平凡な現象である。だがしかし、よくよく分析すると、この物語とは何かというと、紙の上に点々と黒くしみついているインクのシミのあつまりにすぎぬ。人間はそれを文字という名で呼ぶが、物質的に言えば(実在という観点からは)、ただの紙とインクを見つめているだけなのである。例えば、仮に文字を知らない宇宙生物でもいて人間のやっていることを見たら、人間を珍奇な生物と思う可能性はある。なにしろ、紙の上のインクのシミを見て、ニヤニヤしたり、メソメソしているのだから[20]。つまり人間というのは、実在世界的世界の速記法として、記号の世界を泳ぐ能力を持っているのである[21]。
人間は記号によってうごく。そして人間同士は、記号を用いて互いに共感しあうことができる。共感の過程をコミュニケーションと呼ぶ[22]。
共感がつみかさねられてゆけばゆくほど、人間関係は深くなってゆく。人間関係はコミュニケーションの累積だと言ってさしつかえない。また、お互いに記号を交換しあうことなしに成立する人間関係というのは、ほとんど想定できない。何度も往復する手紙、繰り返されるデート、おしゃべり、会議など、恋愛関係であれ、友人関係であれ、取引関係であれ、およそ人間関係というのは記号、言葉の交換を通じて成立しており、「ことばをかける」ということは人間関係の基本的な条件である[23]。
非言語コミュニケーション(NVC)
人間はコミュニケーションを行う時、言葉を使い互いの感情や意思を伝えあってもいるが、「目は口ほどにものをいう」といった諺にも示されているように、言葉よりも、顔の表情、視線、身振りなどが、より重要な役割をになっていることがある。
日常的に人間は複数の非言語的手がかりを使いメッセージを伝達しあっている。これを非言語的コミュニケーション(nonverbal communication: NVC)という[24]。この非言語的なコミュニケーションは、意識して用いていることもあれば、無意識的に用いていることもある[25]。
顔の表情、顔色、視線、身振り、手振り、体の姿勢、相手との物理的な距離の置き方などによって、人間は非言語的コミュニケーションを行っている[26]。
他者理解:対人的コミュニケーションと個体内コミュニケーション
人間は、いくらことばをたくさん使っても、理解しあうことが難しい。対話は、人間の内部で起きているからである[27]。
ひとりの人間の内部には"もうひとりの自分"がいる。それは別の表現でいえば、"とりこまれた他人"ということでもある。ふたりの人間のあいだで進行しているようにみえるコミュニケーションは、実は、ひとりの人間の内部でのコミュニケーションでもある。ある学者は、この人間内部のコミュニケーションを「個体内コミュニケーション Intrapersonal communication」と呼んで、「対人的コミュニケーション Interpersonal communication」と区別した[28]。
個体内コミュニケーションがうまくいっていない例をひとつ挙げると、ワンマン的な社会関係、社会学者が言うところの「権威主義」的な社会では、ワンマンは"もうひとりの自分"を持っていないので「理解」能力のない人と呼ばれる。多数の人は、"もうひとりの自分"におしひしがれてしまっている。わからずやの方には、なんらかの自己満足があるものの、ハイハイと言っている側の人間には何の喜びもない[29]。
人間関係 も参照
コミュニケーションの男女差
(翻訳元は英語版)
男性と女性とでは、人とコミュニケーションをする時の仕方が大きく異なっている。例えば、女性は自分のことを述べる頻度が男性よりも多い。女性は、自分の個人的なことを詳しく述べる。そして、女性は男性よりも、相手と親しい話をしながら相手との信頼を深める。一般的に言えば、女性は男性よりも、コミュニケーションを重要視している。
伝統的に、男性は男性とコミュニケーションを行い、女性は女性とコミュニケーションを行ってきたが、その方式は異なっている。男性は、利害が共通することにより、他の男性と親しくなる。女性は、相互支持に基づいて、他の女性と親しくなる。しかし、男性も女性も、異性と親しくなるのは、共通の要因による。共通の要因とは、近くにいること、受容、努力、コミュニケーション、共通の利益、愛情、新奇さなどである。
他の人とどのようにコミュニケーションを行うかを決める時に、状況というのは重要である。個々の人間関係において、どのような伝え方をするのが適切かを理解することは重要である。特に、与えられた状況で、親しさや愛情がどのように伝えられるかを理解するのは、極めて重要である。例えば、男性は、親しい関係においても、競争を念頭に置いている。男性は、自分の弱さや傷つきやすさを述べることを避ける。男性は、他人とのコミュニケーションにおいて、自分の個人的なことや感情に関することを話したがらない。男性は、友人と一緒に活動をして友情を交換しながら親しさを伝える。男性は、テレビでスポーツを見る時のように、互いに肩を並べて親しさのコミュニケーションを行うことが多い。
これに対して、女性は自分の弱さや傷つきやすさを述べることを気にしない。実際、女性はそれを述べる時に友情を深めることが多い。女性は、友人を身近に感じる。女性にとって友人とは、相互に批判しない関係、支持し合う関係、自己評価を高め合う関係、正当であると認め合う関係、快適さを提供し合って人間的成長に貢献し合う関係であり、女性は友人の価値を重んじている。女性は、昼食を共にする時のように、顔を向かい合わせて親しさのコミュニケーションを行うことが多い。
異性の友人とコミュニケーションを行うことは、しばしば困難である。なぜならば、男性と女性が、友人関係において使用する表現方法は、根本的に異なっているからである。男性は女性よりも、身体的な接触を性的な欲求と結びつける。また、男性は女性よりも、異性関係においてセックスを求めるが多い。こうしたことにより、異性間のコミュニケーションは、非常に困難なものになる。こうした困難を乗り越えるために、両者ともに、男性のコミュニケーションの仕方と女性のコミュニケーション仕方について、オープンに話し合うことが必要である。
コミュニケーションと男女の文化
コミュニケーション文化が存在するとは、人々の集団において、互いにコミュニケーションを行う際の標準的なやり方が存在しているということである。
コミュニケーション文化は、男性のものと女性のものに分けることができる。その他のコミュニケーション文化としては、アフリカ出身のアメリカ人のもの、老人のもの、アメリカ原住インディアンのもの、ゲイの男のもの、レスビアンの女のもの、障害者のものなどがある[30] 。男女のコミュニケーション文化は、まず最初に形成され、他の文化との相互作用により維持されている。我々は他者とのコミュニケーションを通じて、我々の文化が、我々の性にどのような活動をするように命じているかを学ぶのである。
「性が差異の根源である。性が、人々が他者に関与する仕方や他者とコミュニケーションを行う仕方を規定している。」と広く考えられているが、実際、性は重要な役割を果たしている[30]。全ての文化は、男性の文化と女性の文化に分けることができる。男性の文化と女性の文化は、コミュニケーションの方式が異なっており、また、他者とどのように折り合って行くかという点で異なっている。Julia T. Wood は、研究により「男性であることと女性であることの文化的定義をする上で、コミュニケーションがどうであるかは重要である。」 と述べている[30]。男性文化と女性文化とでは、コミュニケーションを行う理由と、その仕方が、全く異なっている。
コミュニケーションの様式の男女差
Deborah Tannen デボラ・タネン教授は、コミュニケーションの様式における男女の違いを以下のように説明した[31]。彼は、男性が他の男性と多様な状況で関与するのに対して、女性は他の女性と協調的に関与すると考えた。例えば、
- 男性は公的な状況で話す傾向がある。女性は私的な状況で話す傾向がある。
- 女性は対面して視線を合わせながら話すことが多い。男性は視線をそらして話すことが多い。
- 男性は、話題から話題へと飛び移るが、女性は一つの話題にある程度の時間をかける。
- 人の話を聞く時に、女性は「うん」とか「そうね」などと声を出しながら聞くことが多いが、男性は黙って聞くことが多い。
- 女性は、賛同と支持を表現することが多いが、男性は、論議することが多い。
などを挙げたが、これは、性別に根拠を置いて一般論とするには無理があり、個人差や、文化の背景が大きな要因となりえるともいえる。そこで、男性も女性も一般的には同じ方法でコミュニケーションを行っているという研究結果もある。Suzette Haden Elgin らは、「タネン教授の研究は、ある特定の文化の、ある特定の経済的状況の女性にだけ当てはまる。」と批判し、女性は男性よりずっと多くの単語を話すと一般的に信じられているが、それは事実ではないと説いた。 しかし文化人類学や民族学者らの研究調査で、特に色に関して、確かに女性が男性よりもずっと多くの表現を持っていて、互いにそれを使うとの観察結果がなされている。
実際、コミュニケーションにおいて性別による何らかの違いや特性があることを否定することはできない。Julia T. Wood 教授は、男性文化と女性文化の違いが、コミュニケーションにどのような影響を与えているかを説明している[30]。二つの文化の違いは、子ども時代から始まっている。Maltz と Broker の研究[32] は、子どもたちの遊びは、子どもを社会化して、男性文化と女性文化を取り込ませる働きがあると述べている。 例えば、女の子のままごとは、個人的な人間関係を発展させるが、決められたルールや目標は無い。これに対して、男の子は、異なった目標や戦略を持つ競争的なチーム・スポーツをすることが多い。こうした子ども時代の差は、女性のコミュニケーションの方式とルールを、女の子に学ばせる機会となる。女性のコミュニケーションの方式は、男性のものとは、かなり異なっている。Wood 教授は、男女のコミュニケーションについて、研究に基づいて、以下のような見解を述べている。
- 相互に働きかける方式が、男性と女性では異なるので、誤解が生じる。
- 男性と女性とでは、支援や興味や世話を与える方式が異なっている。
- 同じメッセージであっても、男性と女性とでは異なった意味で受け取ることが多い。
- 女性は、コミュニケーションを、人間関係をより親密にするための手段であると考えている。
- 男性は、コミュニケーションを、目標を達成するための手段であると考えている。
- 女性は、話を聞く場合には、話し手に対する興味を示し相互の関係を深めるために、相槌を多く入れたり、非言語的な同意の反応を多く行っている。
- 男性は、話を聞く場合には、話し手の言う内容に賛成するか反対するかを示すために、フィードバックを行っている。
- 女性にとって、「うん」とか「そうね」とか「ええ」は、話の内容に興味を持って聞いていることを意味する。
- 男性にとって、「うん」とか「そうだ」とか「ええ」は、述べられたことに対する賛成の意思表示を意味する。
- 女性にとって、話をすることは、他の人と親しくなるための主要な手段である。
- 男性にとって、目標を共有して仕事を遂行することは、他の人と親しくなるための主要な手段である。
- 男性は、他の人と具体的に何かを一緒にする時に、相手への配慮を表現することが多い。
- 女性は、男性が配慮を表現する仕方が分かれば、男性によって精神的に傷つけられることを防ぐことができる。
- 男性は、女性が配慮を表現する仕方が分かれば、女性によって精神的に傷つけられることを防ぐことができる。
- 女性は、男性に配慮を表現したい場合には、男性のために何かをするか、あるいは男性と一緒に何かをすれば、効果的である。
- 男性は、女性に配慮を表現したい場合には、配慮していることを会話で伝えれば、効果的である。
- 男性は、独り立ちしていることを強調するために、仕事を遂行する上で人に助けを求めることを好まない。
- 男性は、道に迷った時に人に道を聞くことは、女性よりもずっと少ない。
- 男性は、自主独立を大切にしており、自分の弱点や無能力をさらけ出すことを嫌う。
- 女性は、男性よりも、人間関係の中に自分の独自性(アイデンティティ)を見出すことが多い。
- 女性は、男性よりも、他の人との人間関係を求め、それを歓迎する。
- 男性は、人間関係は自分の自主独立を脅かすものだと考える場合がある。
- 女性にとって、人間関係とは、興味、注目、情報伝達の絶えることのない源泉である。
- 男性にとって、人間関係は、最も中心的な重要なことではない。
- 「私たちについて話をすること」は、男性と女性にとって、非常に異なったことを意味する。
- 男性は、人間関係がうまく行っているのなら、その人間関係について話す必要は無いと考えている。
- 女性は、人間関係について話をする場合にだけ、その人間関係はうまく行くと考えている。
- 女性は、「男性が人間関係がうまく行っているのならそれについて話をする必要がないと考えていること」が分かれば、精神的に傷つくことを防ぐことができる。
- 男性は、女性のコミュニケーションのルールを尊重することにより、女性とのコミュニケーションを改善させることができる。
- 女性は、男性のコミュニケーションのルールを尊重することにより、男性とのコミュニケーションを改善させることができる。
西洋のコミュニケーションの方式が、アジア文化の中で行われているとは限らないのと同じように、男性のコミュニケーションの方式が、女性の文化の中で行われているとは限らない。逆も同じである。Wood 教授は、男性も女性も、どのようにすれば異性とうまくコミュニケーションができるかを説明して、次の6つの提言を行っている。
1.相手に対して善悪の評価を下すのは止めよう。
異性に対する会話がうまく行かないときに、何が起きているかを理解せず、どうすれば相互理解が得られるかを把握せずに、相手を悪く言うことは、止めなければならない。
2.異なるコミュニケーションの方式に対しても、それが正当であることを認めよう。
女性は人間関係や感情を大切にしているが、それは競争を行う男性のコミュニケーションの方式を尊重する意思が無いことを示しているのではない。同様に、男性は仕事の結果を重視しているが、それは他の人への思いやりを示す女性のコミュニケーションの方式を尊重する意思が無いことを示しているのではない。Wood 教授は、異性間のコミュニケーションにおいては、男性であれ女性であれ、どちらか片方だけの方式を採用するのは不適当であると述べている。男性と女性が、それぞれ異なる目標と、異なる優先順位と、異なる基準を持っていることを、全ての人は認めなければならない。
3.相手が翻訳する手がかりを与えよう。
前項の提言に従えば、あなたは、男性と女性が異なったコミュニケーションの方式を身に付けていることを理解できるであろう。さらにあなたは、自分が伝えたい事を、相手が翻訳するのを助けることを思いつくであろう。これは、非常に重要なことである。なぜなら、自分の性文化に無いコミュニケーションの方式を、助け無しで自動的には理解できないからである。
4.翻訳の手がかりを探そう。
異性間の相互交流は、翻訳の手がかりを探して正しく反応することにより、改善させることができる。相互交流を建設的に改善させると、異なる文化に属する人からの反応を改善させることができる。
5.自分のコミュニケーションの技術を発展させよう。
相手のコミュニケーションの方式を学ぶことによって、相手の文化について知ることができるだけでなく、自分の文化についても知ることができる。オープンに学んで成長して、相手の文化で大切にされていることを取り込むことによって、自分のコミュニケーションの技術を改善させることができる。 Wood 教授によれば、男性は、どうすれば友人を支援できるかについて、女性文化から多くを学ぶことができる。同様に女性は、どうすれば何かをしながら親しくなれるかについて、男性文化から多くを学ぶことができる。
6.Wood 教授は、6番目の提言として、「相手に対して善悪の評価を下すのは止めよう」と繰り返している。
これは、特に重要な提言である。なぜなら、評価を下すことは、「他者を評価し、我々自身の立場を擁護する」という西洋文化の一部であるからである。性文化は、相手の性文化を評価し、自分の性文化を擁護するのに忙しくて、効果的な異性間のコミュニケーションを行っていない。異なる文化の間で、効果的なコミュニケーションを行う際には、相手を善悪で評価をしないことは、最初で最後の重要な原則である。
経営のコミュニケーション
経営のコミュニケーションは「人、物、金、情報」といった経営資源の一つとして位置づけられる。その中心にマーケティング・コミュニケーションがある。従来マーケティングミックスの4Pの一つ、「プロモーション」に代わって、最近マーケティングミックスの4Cの一つとして「コミュニケーション」が注目されている。また、統合マーケティングコミュニケーション(IMC)も、マーケティングの中のコミュニケーションとして位置付けられている。
この節を書こうとした人は途中で寝てしまいました。後は適当に頑張って下さい。 |
動物のコミュニケーション
生物学の領域では、ある動物の個体の身振りや音声などが同種や異種の他の個体の行動に影響を与え、かつ、それらの信号を送った側の個体に有利になる場合に、個体間で情報が伝えられた、と考えて、そのような情報伝達を「コミュニケーション」と呼ぶということが行われている[33]。
動物のコミュニケーションは種に共通しているが固定的ではなく、発信者の置かれた状況によって柔軟に変化する。またコミュニケーション信号のやりとりは同種間だけでなく異種間でも行われる。
コミュニケーション信号が交換されるとき、それは双方がそのやりとりから利益を受け取っていることを意味する。別種間、特に利害が相反する捕食者と被食者が、コミュニケーションによってどのように利益を得ているかは激しい議論がある。
分類
コミュニケーションは様々に分類が可能である。言語/非言語で分類すれば次のようになる。
用いられる感覚器で分類すれば次のようになる。
- 音声コミュニケーション
- 視覚コミュニケーション
- 嗅覚コミュニケーション
- フェロモン状物質の分泌
参考文献
- 広辞苑 第五版 1998年
- 加藤秀俊『人間関係 理解と誤解』中公新書、1966年
- 高橋正臣、秋山俊夫、鶴元春、上野徳美『人間関係の心理と臨床』北大路書房、1995年
- あがさクリスマス『図書館のすぐれちゃん』真珠書院、2007年。
- 岩波生物学辞典 第四版 1996年
出典 脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 広辞苑 第五版 pp.1004-1005 コミュニケーション
- ↑ 大辞泉も同じく「コミュニケーション」。
- ↑ 出だしのcommuは「コミュ」と発音する。「community コミュニティ」などと同系統の語幹を持っているのである
- ↑ 日本人にとっては、発音しにくく、記憶しにくいので、前後の母音を誤って入れ替えて記憶してしまったり、後ろの母音を前の母音にまで伝染させるなどしつつ記憶する人もいる。たとえば「コミニュケーション」、「コミニケーション」などと記憶したり書いてしまう人もいるのである。だが、正式の辞書類では一般にそうした表記は採用されていない。正式の辞書類では、communication なのであくまで「コミュニケーション」としている。
- ↑ デジタル大辞泉
- ↑ デジタル大辞泉では、わざわざ[補説]として次のような説明文を併記し、注意を促している。
- 『「コミュニケーション」は、情報の伝達、連絡、通信の意だけではなく、意思の疎通、心の通い合いという意でも使われる。「親子の―を取る」は親が子に一方的に話すのではなく、親子が互いに理解し合うことであろうし、「夫婦の―がない」という場合は、会話が成り立たない、気持ちが通わない関係をいうのであろう。』(出典:デジタル大辞泉)
- ↑ 『心理学』東京大学出版会 ISBN 4130120417
- ↑ 『心理学』東京大学出版会 ISBN 4130120417
- ↑ 池上嘉彦ほか『文化記号論への招待』有斐閣1983 ISBN 464102345X
- ↑ 脳科学では、言語的な理解を主に担っている左大脳半球に障害を負ったウェルニッケ失語症の人々は、語られたことの意味を理解できない反面、それがどのように 語られたかという非言語的な理解(またそれによる他者の感情の理解)では、障害を負っていない人々よりも優れた理解を示す。これは、右大脳半球が主に非言語的な理解を担っていることによると考えられている。
- ↑ 動物行動学では、相手の本能行動に影響を与えるための特定の信号は「リリーサー」ないし「解発刺激」と呼ばれ、コミュニケーションの手段として機能するP.J.B. スレーター(1994)『動物行動学入門』岩波書店。
- ↑ そもそもコミュニケーション(Communication)という語は、ラテン語のコムニカチオ(communicatio)に由来し、「分かち合うこと」を意味するものである。
- ↑ 他者理解の困難な自閉症の子どもは、ポテトチップスの筒の中にアイスバーが入っていることを知らされても、他の子どもであればその筒の中にはポテトチップスが入っていると答えるはずだ、ということが推測できないことがある(サリー・アン課題も参照)。
- ↑ 『人間関係 理解と誤解』p.64
- ↑ 『人間関係 理解と誤解』p.65
- ↑ 『人間関係 理解と誤解』p.66
- ↑ 『人間関係 理解と誤解』p.66
- ↑ 『人間関係 理解と誤解』p.66
- ↑ 関連項目 -- 心の理論、自閉症
- ↑ 『人間関係 理解と誤解』p.71
- ↑ ここで言う記号とは何かと言うと、C・モリスの定義のように「あるモノが眼のまえに存在していないにもかかわらず、それが存在しているかのような反応をおこさせる刺激」ということである。(『人間関係 理解と誤解』p.71)
- ↑ 『人間関係 理解と誤解』p.74
- ↑ 『人間関係 理解と誤解』p.76
- ↑ 『人間関係の心理と臨床』p.22
- ↑ 『人間関係の心理と臨床』p.22
- ↑ 『人間関係の心理と臨床』p.25-27
- ↑ 『人間関係 理解と誤解』p.82
- ↑ 『人間関係 理解と誤解』p.83
- ↑ 『人間関係 理解と誤解』p.85
- ↑ 30.0 30.1 30.2 30.3 Wood, J. T. (1998). Gender Communication, and Culture. In Samovar, L. A., & Porter, R. E., Intercultural communication: A reader. Stamford, CT: Wadsworth.
- ↑ Tannen, Deborah (1990) Sex, Lies and Conversation; Why Is It So Hard for Men and Women to Talk to Each Other? The Washington Post, June 24, 1990
- ↑ Maltz, D., & Borker, R. (1982). A cultural approach to male-female miscommunication. In J. Gumperz (Ed.), Language and social identity (pp. 196-216). Cambridge, UK: Cambridge University Press.
- ↑ 岩波生物学辞典 第四版 p.481【コミュニケーション】
関連理論
関連項目