ユーリ・テミルカーノフ
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ユーリ・ハトゥエヴィチ・テミルカーノフ(ロシア語:Юрий Хатуевич Темирканов, ラテン文字転写例:Yuri Khatuevich Temirkanov, 1938年12月10日[1] - )は、カバルダ・バルカル自治ソビエト社会主義共和国出身の指揮者。
ナリチク出身。10歳の頃からヴァレリー・ダシュコフにヴァイオリンの手解きを受ける。地元の音楽学校を経て1953年にレニングラード音楽院附属音楽学校に進学し、ミハイル・ベリャコフにヴァイオリンを師事。1957年にレニングラード音楽院に進学して1962年までヴィオラを学んだ。一方でニコライ・ラビノヴィチとイリヤ・ムーシンの指揮法の授業も受講した。1962年から指揮法のクラスに本格的に転科してムーシン等の薫陶を受け、1965年に同音楽院の大学院に進学して1968年に卒業した。1965年にレニングラードのミハイロフスキー劇場でジュゼッペ・ヴェルディの《椿姫》を指揮して初舞台を踏んだ。1968から1976年までレニングラード交響楽団の首席指揮者を務める。1977年からキーロフ劇場の芸術監督を務めたが、1988年に亡くなったエフゲニー・ムラヴィンスキーの後任としてレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任した。1979年からロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者を務めていたが、1992年から1998年まで同管弦楽団の首席指揮者を兼任し、退任時に桂冠指揮者の称号を贈られた。1998年から2006年までボルティモア交響楽団の首席指揮者を兼任。2022年にレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団の職を退任。[2]