泥仕合 (Enpedia)
提供: Yourpedia
泥仕合(どろじあい)とは、典拠記載のない記事を、典拠記載のない記事で書き替える編集のこと。また、それに対する差し戻しが行われた結果発生する編集合戦のこと。
無駄な編集エネルギーを消費する反面、記事の品質の向上には全く貢献しないので、賢明な編集者は泥仕合を避けるものです。
泥仕合の一例
2017年9月14日に、Enpediaの「捕虜」の記事で典型的な「泥仕合」が行われました[1]。事例を実際の利用者名を使って説明していたところ、他の利用者からやり過ぎだとクレームがありましたので、以下、仮名を用い、変更履歴を参照せずに説明していましたが、Yourpediaへの移入を機に参照を復元しました。
- ズネ夫さん(仮)が、「議論」のページで、のぴ太さん(仮)の記事に出典がないことを問題にしました[1]。
- すると、シャイアン(仮)が、のぴ太さんの出典のない記事を、出典のない記事に書きかえました[2]。当人は「のぴ太の記事よりよくなった」と思っているのかもしれませんが、傍目にはよくなったようには見えないし、のぴ太さんにとって気分の悪い編集であることは想像に難くありません。もしかすると、のぴ太さんが気分を害するであろうことが分かっていながら、編集をしたのかもしれません。
- すると、のぴ太さんはこの編集をリバートしました[3]。
- すると、シャイアン(仮)が「のぴ太のくせに生意気だ」とリバート仕返しました[4]。
これが泥仕合です。
なお、この事例ではシャイアンは管理者権限を持っており、のぴ太さんを投稿ブロックにしたので、のぴ太さんは「トラえもん、助けてー!」と声を上げることもできませんでした。
泥仕合を防ぐには
当初「泥仕合に勝つ方法」と題して叙述していたところ、道徳的によくないということで記述が除去されてしまうので改稿しました。Enpediaでは、皮肉は除去の対象になってしまうようです。気を付けましょう。泥仕合を防ぐにはどうしたらよいのでしょうか。
Wikipediaの場合
- 泥仕合を防止するためのよく知られた方針が「出典を明記する」です。wikipediaの記事は、「出典を示さなければ書けない」と思われがちですが、そうではありません。wikipediaの記事は、引用をする場合や、他の人から出典の明記を要請された場合を除いて、出典を示さずに書くことができます。
Wikipedia's Verifiability policy requires inline citations for any material challenged or likely to be challenged, and for all quotations, anywhere in article space.
- このため、wikipediaでも泥仕合は起こります。泥仕合が起きそうな場合に、wikipediaが推賞するのは、「要出典」テンプレを貼るという方法です。上記の事例で、2.においてズネ夫さんがのぴ太さんの記述に問題があると考えた箇所に「要出典」テンプレを貼ると、のぴ太さんは記述の出典を示す必要があり、記述の出典が示されない限りで、記述は除去され得ます。wikipediaの「出典を明記する」は、「出典の明記を要請された場合には、出典を明記しなければならない」という原則であり、泥仕合を防ぐための原則です。
- また、出典のある記述は出典のない記述よりも価値があると見なされ、出典付きの記述を出典のない記述で書き替える編集は「荒らし」としてお仕置きを受けます。このため、賢明な編集者は泥仕合を避け、記述に出典を付します。
Yourpediaの場合
- Yourpediaの方針は「先編集主義」です。上記の事例で、のぴ太さんが3.でシャイアンの編集をリバートするときに「先編集権」テンプレを貼ると、シャイアンはリバートし返すことができません。先編集者の意に沿わない編集をすると、銅鑼右衛門にお仕置きされてしまうからです。このため賢明な編集者は泥仕合を避け、あまり興味がない記事には触れないようにするか、余程不満があれば別記事を作成します。
Enpediaの場合
- Enpediaの方針はどうでしょうか。Enpediaは「出典の明記」を要しないことを謳っているため、「ソース募集」テンプレを貼ってものぴ太さんに対して出典の明記を強要することはできません。
- また、EnpediaにはYourpediaの「先編集権」に類した「主執筆者」という概念もありましたが、もともとあまり効果がなく、 Enpediaの至らない点を指摘されて逆上し、自警化したナル味の強い常連さんの提案によって、「主執筆者ではない編集者が記事をいじりにくくなる」というふざけた理由で廃止されてしまいました[5]。
- ・・・となると、ルールらしいルールは何もないので、Enpediaでは当事者が話し合って泥仕合を解決することになります。「話し合いで解決」といえば、Wikipedia日本語版でお馴染みの、常駐者や管理者のお友達、ソック使いの不条理な意見が常に罷り通るアレです。ズネ夫がシャイアンを呼んで管理者権限を発動してもらえば、記事の保護も投稿ブロックも思いのままです。ルールがないだけに、自警管理者はWikipedia以上に横暴です。そう、Enpediaは、法が欠缺し、それ故に縁故主義が跋扈する、無法地帯になっているのです。執筆者は、些細なことでも否が応でも泥仕合にまきこまれてしまい、編集どころではありません。記事も荒され放題です。目下、Enpediaにおいては泥仕合は不可避です。そして、ナル味の強い常連の自警管理者に逆らうと、一言二言トークページに書き込みしただけで投稿ブロックです。