藤原冬緒
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'''藤原 冬緒'''(ふじわら の ふゆお、[[大同 (日本)|大同]]3年([[808年]])- [[寛平]]2年([[890年]])[[5月25日 (旧暦)|5月25日]])は[[平安時代]]前期の[[公卿]]。[[藤原京家]]の出身で、[[藤原豊彦]]([[参議]][[藤原浜成]]の子)の三男。[[正三位]]、[[大納言]]。 [[承和 (日本)|承和]]10年([[843年]])[[勘解由判官]]に任官。同14年([[847年]])に[[従五位下]]、[[貞観 (日本)|貞観]]3年([[861年]])[[大宰大弐]]、同11年([[869年]])[[参議]]、同16年([[874年]])[[民部卿]]、同19年([[877年]])[[中納言]]、[[元慶]]3年([[879年]])[[正三位]]、同6年([[882年]])[[大納言]]。同8年([[884年]])に至り致仕。 [[儒学]]の才を謳われる一方、民政にも明るく、[[官田]]の設置([[元慶官田]])を提唱して財政再建を行うなど、[[清和天皇|清和]]・[[陽成天皇|陽成]]朝を支える能吏として活躍した。政治的には振るわなかった京家においては際立った存在であり、結果的に京家出身の最後の公卿となった。 {{DEFAULTSORT:ふしわら の ふゆお}} {{Japanese-history-stub}} {{people-stub}} [[Category:平安時代の公家]] [[category:藤原京家|ふゆお]] [[Category:808年生]] [[Category:890年没]]