ゲーメスト

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ゲーメスト』 (GAMEST) は、新声社が1986年から1999年まで発行していたアーケードゲーム専門雑誌。通称「メスト」。姉妹誌として、投稿雑誌の『ゲーメストワールド』やコンシューマーゲーム雑誌の『ゲーメストEX』、ゲーム漫画雑誌『コミックゲーメスト』などが存在する。本誌ライターらは自分達が雑誌に載る事に満足して世の偉人になったが如く振舞ったため今日では各地で馬鹿にされている。
そもそもこの雑誌は新声社による編集と呼べるものではなく、彼らにゲーム雑誌の編集能力がなかったためゲームサークルの人員に声を掛けて作らせた「子供によって作られた子供の雑誌」に他ならない。


概要

1986年4月創刊。

新声社と、当時会員400名を有する大手であったビデオゲームサークルVG2(ベリーグッド・ビデオゲーマーズ)との協力により創刊された。基となったのは「VG3(ベリーグッド・ビデオゲーマーズ・バージョンアップグループ)」という、VG2の会報誌である同人誌。そのため、当初のライターはVG2の幹部メンバーが主になっており、創刊号の読者コーナーには、会員からのハガキが掲載され、本誌が「VG3」の代わりとなる手筈だったがこれはすぐに止めになり、そのまま「VG3」は『ゲーメスト』とは別に、VG2の会報誌として復活している。 この同人誌は内輪性が非常に強い内容で作られていたため読者の多くは内容が掴みにくく、その意味では全く内容がずさんなものになっていた。同人誌としては当時「ログイン」誌で知られていた事もあって、ゲームフリークの方が評判が高かったようである。

1986年に読売新聞がこのVG2を記事に取り上げ、これを当時の新声社が目をつけた事からサークルに声がかけられる事になり、これが創刊のきっかけとなっている。創刊時のスタッフは総本部長の植村番北(後に「伴北」と改名、読売新聞上では「植村浩之」と本名で表記された)を初めとしたVG2メンバーである。

本誌創刊当初は隔月刊誌でファミコンやパソコンのコーナーなどもあり、第6号より月刊誌、1994年の第116号より月2回発行となった。

VG2

84年結成し、92年頃まで活動。上記では「ベリーグッド・ビデオゲーマーズ」となっているが、早期の会報誌上では「VeryGood VideoGame maniaplayers association」となっており、「V」と「G」が2つネーム中にあるため「VG2」とされたと言うが、ずさんにもネームそのものが度々変えられている節も見られるためネームそのものはあまり当てにはならない。発行された会報誌はサークル名と同じ「VG2」、「テクニカルVG2」等だったが後に会名と区別するため「VG3」にされ、その他に末期には「G-AIM」等の発行もある。他サークルと共同し、「GWB」と言う共同体を作ると共に合併誌の発行がなされた事もあった。共同体は「GoldenGamerBridge」の略称でそう命名されたが、その活動そのものは合併誌の発行一度限りで終わっている。

当初はノートに各地から集めたハイスコアの記録更新情報を書きためて行く事が発端となり、それがやがて20以上ものサークルが手を結ぶ一つの組織、「ゲーム連合」を形成する事に繋がって行き、これを母体として一つのサークルとなった。しかし、これを基に公式に何度も「84年結成」とVG2側は語りながらも末期から言動が変質するようになって行く。

日本最初のゲームサークルは「Tampa」こと高岡アミューズメントマシン同好会(82~84年)であるが、VG2は彼らよりも早くから結成し活動していたものと主張し出すようになり、特にネット普及が進むにつれそれが顕著になって行った。 無論、何度も公式に「84年結成」と会報誌等に発表していた手前認められる発言ではないが、ほぼ解散している筈の現在もこの妙な主張は続けられており、2000年時には「創立20周年」と称して内輪のアメリカ旅行さえしている。実質はハイスコアの記録更新情報を書きためて行くサークル結成以前の動きまで「サークル活動」の年数に計上しているデタラメに過ぎない。

VG2は母体となっていた「ゲーム連合」を形成していた頃不祥事を起こし、組織維持を図るべく改名を図る事により逃げている。しかし、こうした事は表には語れず結果としてこれを「84年結成」と言う事でごまかしているだけなのが真相のようである。尚、前述の「Tampa」については都内の国会図書館において所蔵されている「AMライフ」誌を閲覧すれば大まかな事を知る事が現在でも可能である。この雑誌は新声社でもゲーメスト編集部内で参考用に常備されていた。Tampaのサークル運営をした彼らは高校生の集団であり当時のゲームフリークと親交を持ち、「ビタミンAM」と言う会報誌を10号まで発行しつつ高校卒業と共に解散している。

タイトーのゲーム「バブルボブル」では「ひでごんす」と言うキャラクターが登場しているが、これは元Tampaのライターの名をそのまま取ったものであり、高校卒業後の動向がこれで窺える。

ゲーメスト上のハイスコア集計

全国のゲームセンターからの申請に基いて、誌上で全国ハイスコア集計が実施されていた(創刊当初は、個人によるハイスコア申請も受付けられていた)。情報環境のない当時としては、『マイコンBASICマガジン』と並んで数少ない全国規模の集計であり、店舗・プレイヤーともに「全一(全国一位)」を懸けての全国的な競争を記事として掲載していた。当初はゲーメスト編集部もこの競争に参加していたが後にこれは禁止され、結果として編集部員はマイコンBASICマガジン側の集計に流れる事になって行った。

ゲーメスト誌上の集計においては虚偽のハイスコア(いわゆる、「ウソスコア」)申請の問題や、アルバイト店員や常連などによるフリープレイ問題、星(全一)の継続的獲得を目的としてスコアラーに小幅な更新を要求する不正な行為が横行する問題などが発生した。そのためか、『ゲーメスト』末期には店舗別星数集計は廃止されている。

これらのハイスコア関連記事はこうした雑誌だけが行う独特のものだったが実質的には大衆には投稿ページ等の側がなじみやすく、一般には定着しないまま終わっている。そして休刊後の「アルカディア」誌に引き継がれた現在でもハイスコア競争はあまり定着してはいない。

さらに言うならば、前述のアルバイト店員、常連などによるフリープレイ問題はもとより店の鍵を勝手に使用したり、閉店後も店からそれぞれが退去せずに徹夜でプレイを好き放題行う等モラルも秩序も全くなく、地方の者が上京して都会の店舗を訪れる際、多くの場合キセル乗車等を繰り返していた事実も存在し、VG2の一派もこの行為がバレて三倍の乗車料を結果的に徴収された事すらある。

今ではハイスコア競争自体がアルカディア誌に移行しても萎縮の一途を辿り、風前の灯火の如き状態にあるが、現在の視点から考えるならば所詮は子供の雑誌なのにもかかわらず「公正を保つため」としてハイスコアの真偽を巡って電話確認を編集者が行う等、ある意味行き過ぎた面が存在していた事は否めない。また、そうした編集者も現在の視点から考えるならば子供じみたものと言わざるを得ない一面がはっきりとある。

ゲーメストの編集者

早期のライター陣はVG2から始まっているが、時と共に入れ替わりが激しくなって行く。そして一時期はほぼ総入れ替えと同様の状態になってしまっていた時期すらあった。編集部員はゲームマニア気取りの者が多かったためハイスコアを取れない者を冷遇したりする等の心的欠陥を見せている。これは編集部内に止まらず、外部でも同様の対応をしておりその意味では公衆に迷惑を掛けていた部分があった。

編集部員とその取り巻きは80年代後半から90年代前半にかけて都内における東久留米キャロットハウスに常時たむろしていた一時期があり、ちょうどそれがその時期でもあった。その当時は編集部員は取り巻きと共に一丸となる形で行動しており自分達を店の中心的存在の如くに位置付けた振る舞いを見せ、トイレに入っている者の扉を数人で蹴る、自分らに取り立てて邪魔でもない者に集団で無視で応じる冷遇を行う、徹夜によるフリープレイ等全く秩序がなかった。特にライターであったJOE山田はその振る舞いが露骨で、取り巻きと共に動く自分の居丈高な姿勢に対し、何かと相手の表情を窺おうとする癖があった。また、そんな自身を棚上げしつつ他人の行いを良い悪いと抜け抜けと言う有様で、当時この男は二十歳だったが現在の倫理観から考えるならば全くこれはただのガキに過ぎず、編集部員の悪態を示すいい例になっているものとさえ言える。

なおこのJOE山田はゲーム雑誌の編集部にいる事がステイタスだと考え込み、ゲーメスト廃刊後もアルカディアに移って編集部に出入りしておりコスプレ等、実質子供相手の記事を書く時になるまで自分が一体どこに出入りしているのか気付く事が出来ず、その時になってからようやく辞めたおめでたい百円ライターでもあった。


ゲーメスト出典の新語

ビデオゲーム攻略に関する専門用語俗語の内、ゲーメストが発祥とされるものが幾つか存在する。

めくり
対戦型格闘ゲーム用語。相手をぎりぎりで飛び越すようにしながら攻撃することによって、防御操作のレバー入れの方向を迷わせる技術。または、着地後に連続攻撃を入れやすくするため、相手を飛び越すようにしながら背中側に攻撃を当てること。「背中の皮めくり」が語源。
当時は同じ技術に対して「裏まわり」などの別呼称も存在したが、現在も一般的に「めくり」が使われている。
安全地帯
シューティングゲーム等の用語。絶対に敵の攻撃が当たらない場所を指す。略して「安地」。
実際の『ゲーメスト』誌上では更に発展した「玉置」と言う言葉が同義語として使われていた。由来は、当時の安全地帯のヴォーカルだった玉置浩二から。また、敵弾(玉)に対して自機を置ける場所とも掛けている。もともとは「安全地帯」という言葉がメーカーチェックにより不許可となったための言い換え語。
当て身
対戦型格闘ゲーム用語。相手の打撃技を受け止めて反撃する技の総称。
本来、当身といえば格闘技用語で打撃技そのものを意味するが、ゲーメスト誌上において『餓狼伝説』のギース・ハワードの必殺技「当て身投げ」が安易に略されたことから、本来とは違った意味で広まってしまった。
大パンチ、小パンチ(キックなども)
ゲーム内の表記では「強パンチ」、「弱パンチ」だった場合でも、語呂や表記の関係でまとめて「大パンチ」「小パンチ」と表記されるようになり、この呼び方が一般的となった。
脱衣麻雀
それまで「脱がせ麻雀」など呼称は複数あったが、『ゲーメスト』の表記以来「脱衣麻雀」の呼称が一般的になった。
レゲー
「レゲーの魂」コーナーから。元々は「レアゲームの略」とされていたが、近年では「レトロゲームの略」として普及した。

漫画連載

ゲーム雑誌らしく、アーケードゲーム作品と関連した漫画を連載することもあったが、休載・打ち切りが多い内容でもあった(当初は特に雑誌としての地位も低かったため、作者の都合によって原稿を落とされ、そのまま打ち切りとなるケースが多発している)。完結作品の代表的なものとして、中平正彦の『ストリートファイターZERO』などがある。『ストリートファイターIII』に登場するリュウの必殺技「真・昇龍拳」が生まれたのもこの作品からとされる。この他にも、連載していた『さくらがんばる!』内で中平が登場させたオリジナルキャラ「神月かりん」がゲーム作品に逆輸入されるなど、ゲーム本編にまで多くの影響を与えている。

その他、広告として連載されていたものが人気を博していたこともある。代表的なものとして、東陽片岡の『てくなーとマンガ』や、小林真文の『そんなんARIKA』など。『そんなんARIKA』は後継誌にあたる『月刊アルカディア』にも掲載されていた。

読者投稿

「アイランド」という読者投稿コーナーが存在し、当時のアーケードゲームに関連した文章・イラスト・マンガが投稿されていた。当時、同種の雑誌が他にほとんどなかったという環境も手伝って、レベルや人気も高く、これを纏めた「ゲーメストアイランド黙示録」など単行本化もされた。

ここでの投稿作家から、イラストレーター・漫画家に転身したものも多く、プロへの登竜門としても機能していた(例としては雑君保プ吉崎観音古葉美一荒川弘など。余談だが、雑君保プ風見螢の中学、高校の後輩である)。

アーケードゲームをネタにした、読者からの4コママンガ投稿ページである「ゲーパロ4コマグランプリ」は特に人気が高く、単行本の売上は本誌やコミック以上であったとも言われ、今でも語りぐさとなっている。

廃刊とその後

新声社の倒産により、1999年8月30日発売の第274号(9月30日号)をもって廃刊となった。その号に廃刊・休刊などの報はない。会社の都合で廃刊になってしまったが、『ゲーメスト』自体はしっかりと利益を確保できていた状態であった。尚、当時の社長は倒産後まもなく自殺している。

廃刊時のスタッフの多くがアスキー(現在のエンターブレイン)へ移り、アーケードゲーム専門雑誌『月刊アルカディア』を創刊した。

幻の誌名

この雑誌の誌名は、創刊スタッフのVG2メンバーがいくつかの案を持ち寄り、その中から新声社の編集者が「ゲーメスト」に決定した。そのため、他にも多数の誌名候補があった。以下はその内のいくつかである。

  • 「フィフスジェネレーション」(JOE長崎提案)
  • 「アーティスティックゲーマーズ」(風見螢提案)

その他

  • 創刊号と第2号だけは版形がA4版だったが、第3号以降はAB版に変更されている。これは、中綴じという本の性質上、本屋での販売時点で縦置きされると自重でお辞儀をしてしまう(上部が折れて、垂れてきてしまう)というA4版の欠点を解消するためだった。
  • 創刊号と第2号は表紙がイラストだが、以降は写真が主体となっている。これは、第3号の編集時点で担当イラストレーターの身内に不幸が起きて原稿が間に合わず、急遽写真が使われる事になり、以後、そのままとなったため。
  • 上記にあるように事前に廃刊の報は無かったが、廃刊となる年の、しかも新年の本誌1号目となる第252号(1月30日号)掲載の「マルゲ屋瓦版」内にある4コマ「超世紀末ゲーム伝説 ハルマゲメルティ」には「今年の夏くらいまでのこと(付き合い)だし!」と、近い将来を占うような台詞が出ている(実際は1999年の恐怖の大王に関してのネタだが)。


関連ページ

外部リンク

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