アセフ・アシュ=シャウカト

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アセフ・アシュ=シャウカト(Asef Shawkat、1950年 -)は、シリアの軍人、政治家。軍事情報部長(2005年2月 -)。少将。バッシャール・アル=アサドの妹、ブシュラ・アル=アサドを妻とし、大統領一族の一員であり、バッシャールから特別の信任を得ている。

シリア西部のタルトゥス市出身。アラウィー派。1968年、国立大学の法学部に入学し、バアス党員となった。1972年から1976年まで同大学の歴史学部で勉学を続ける。博士論文の題材は、1925年の大シリア蜂起だった。1978年、士官学校に入校し、1983年、将校に任官した。

1980年代、シャウカトはシリア陸軍の一将校に過ぎなかった。1980年代末、ハーフェズ・アル=アサド大統領の愛娘ブシュラと知り合った。アサド一族は、娘の交際に反対し、現大統領であるバッシャールだけがシャウカトの味方に付いた。1995年、バッシャールの支援のおかげで、シャウカトは前妻と離婚し、ブシュラと結婚することができた。同時にシャウカトは少将に昇進した。この後、バッシャールはシャウカトと親密になり、ハーフェズ・アル=アサド大統領も彼をバッシャールの安全保障問題担当顧問に任命した。特にシャウカトは、軍・政・党における粛清の発議者ともなった。

アサド一族の中にはシャウカトを嫌う者もおり、1999年には、ハーフェズの三男マエルが官邸内でシャウカトに発砲したことがある。しかしながら、このことはシャウカトの出世を妨げていない。

その後、シャウカトは軍事情報部副部長に任命され、2000年初め、国内保安庁長官となった。

2005年2月、シャウカトは、ハッサン・ハリル(Hassan Khalil)将軍に代わって、軍事情報部長に任命された。ハリルの退任は、公式にはハリルの定年(60歳)到達のためとされるが、元レバノン首相ラフィーク・ハリーリーの暗殺事件と関係しているともされる。

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