演奏不可能の作品

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演奏不可能の作品は演奏難解な作品の概念と大いに関係している。:

クラッシック音楽の世界ではすべて安易なまたは演奏可能なポピュラー音楽とは違って、いわゆる難解で演奏できない作品が多数あり、その研究も特にヨーロッパでは音楽学界の一大分野となっている。ただ単純にこれが悪い作品と見なさないで、音楽政治学や未完成の作品、音楽経済学、作品評価学等と並んで、客観的な学問的関心を持って追求され、このなかにも純然たる傑作作品がおびただしいため、容易に無視できない存在となっている。

歴史は長く、バッハあたりから、モーツァルトのオペラ作品を経てベートーヴェンのピアノ曲・協奏曲や第七・第九交響曲などが古典的な例とされ、ロマン派ではパガニーニのヴァイオリン曲やリストのピアノ曲、ブルックナーの第二交響曲、ブラームスのヴァイオリン協奏曲、チャイコフスキーの諸作品, マーラーの交響曲があったが、それらはもはや演奏技術の発達により演奏不可能の作品とは見られないようになっている。

近代ではストラヴィンスキーの「春の祭典」、シェーンベルクの「ピアノ協奏曲」や「ヴァイオリン協奏曲」、「モーゼとアロン」があるが、最初のバレエと最後のオペラは現在では演奏技術の発達でスタンダードのプログラムになってしまっている。意図的に作曲された例としてはチャールズ・アイヴスの「義務」という歌曲があるが、今日では演奏家は内声などを省略するか、アルペジオするか、アシスタントを設けるかで解決されている。他のピアノソナタなども同様である。

演奏不可能の作品という概念は現代では新しい複雑性とも深く関係している。ファニフォーの諸作品は確かに演奏にとても難解ではあるが、決して不可能な音楽ではないとされる。しかしながら逆説的には演奏不可能の概念は、今日例えばP.C.のキューベースに自分で四分音符をメトロノームに合わせてキーボードで打ち込んでも決して四分音符や強弱が正しく出てこないという経験から、人間が演奏する限りにおいてすべての音楽に当てはまるという事も言えよう。マティアス・スパーリンガーはダルムシュタットで1988年に「オーケストラのテュッティは決して同時には出ない」と語った。

今日最も演奏の難しい現代音楽は、クセナキスの諸作品と言われている。第一番のピアノ協奏曲にあたる「シナファイ」、「ノモス・アルファ」、「エヴリアリ」や「ヘルマ」・「ミスツ」のピアノ独奏曲、「エオンタ」などである。

多くは全く演奏されない作品に演奏不可能の楽曲が多いが、単純に「粗悪な曲」というレッテルだけはクラシックの世界では決して容認しがたい。作曲家のこういった難解作品の主旨の多くは超人的な作曲・演奏技術の向上に捧げられている。